プロローグ
雪がちらつくマルギアナ最北の街セイム
凍てつく風が街の人々を家へと押しやり、だんだんと日が落ち始めて暗闇が腰を下ろそうとしているなか、黒髪の少年アルトはただひたすら走り続けていた。
目指す場所はこの街のシンボルでもあり、観光名所にもなっているレンガ造りの巨大時計塔。その頂上にある展望台に見知った気配がある。
肌を突き刺す冷気を無視しながら、アルトはいそいで時計塔への入り口を開けると、長い石造りの階段を一足跳びならぬ八足跳びで一気に駆け上がる。そうして階段が切れたと同時に展望台への入り口を開けた。
「……カリン!! やっと見つけた!!」
息を切らしながら肩で息をつくアルト。カリンと呼ばれたその女性は鉄柵の向こう側をじっと見つめていたが、アルトの存在を確認すると優しく微笑んだ。
「あら、案外簡単に見つかっちゃったのね。……あ、そうかアルトならこれぐらいはできて当たり前か。なんたってアルトは……」
「……お願いだから、お願いだから戻ってきてよカリン! カリンがつらいのは分かるし、僕だってつらい。でもレオンの後を追うなんて……」
「……あなたに、そんなことが言える立場なのっ! あなたのせいで! レオンは死んでしまったのにっ!」
いたずらっぽい微笑を浮かべていたカリンの表情が唐突に変わると、深い哀しみと憎しみの篭った言葉のつぶてをアルトにぶつけてくる。
アルトは短刀で胸をぐさっと刺されたような気分になり、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
カリンの白い頬を一筋の涙が滑る。
「……私にとって、私にとってレオンは全てだったの。……あんなことになってしまっても、私はレオンのことを心の底から愛していた……でも、私の愛したレオンはもういない。だったら私もレオンの元に向かうわ。
……とりあえず……さようならアルト」
カリンはそれだけを言い残すと、鉄柵を一気によじ登って数十メートル以上はあるであろうその時計塔から飛び降りた。
――――っ!!
「カ、カリィィィィィン!! だめだぁぁぁぁぁ!!」
アルトは我に返ると、凄まじい瞬発力を発揮して鉄柵の上へと降り立つ。そうして落ち行くカリンに手を伸ばした。
しかしカリンの手は無情にもアルトの指先をすり抜けてしまい、カリンはそのまま遥か下の、白い地面へと落下していってしまった……
「カ、カリン……うぅ」
アルトは両膝をついてがっくりと肩を落とす。
常人には到底聞こえないはずの数十メートル下の地面では、早くも街の住民が騒ぎ始めるのが呆然としているアルトの耳に入ってきた。
この高さから地面に落ちていったら、おそらくカリンはもう……
自分に突き付けられた現実の残酷さに絶望して、その黒い瞳からはとめどなく涙がこぼれ始めた。そしてそれが展望台に積もった雪に落ちて、ゆっくりと溶かしていく。
「ぼ……僕の、僕の力のせいでレオンとカリンは……。
いったいどうしてっ! 僕はいままで何も気づかなかったんだ!
どうしてっ! 能天気にずっと笑っていたりなんかしていたんだ!
どうしてっ! 僕にはこんな力があったりなんかしたんだ! こんな力さえなければレオンとカリンは死なずにすんだのに!!」
アルトは自分を怨嗟する憎しみの咆哮を上げる。そして雪がはらはらと振り続ける中いつまでも、いつまでもアルトは泣きながら叫び続けた。
自分の犯した過ちを後悔する罪人のように――――
……その後、この街からアルトという少年は姿を消してしまった。
それから約一年。アルトはマルギアナの南に位置する中立地域の最大都市、セントクレアの魔法学校に二年生として在籍していた。
……過去の自分を捨て、今度は自分の力を他人に見せることのないよう平凡な生活を送るために――――