5.二人の貴公子
バスルームにも窓がある。
開け放って、ソレルはぬるめの湯にゆったり浸かった。
庭園から、小鳥の声が聞こえてくる。
王都での激務も旅の疲れも、溶けていくような心地だ。
いつになく長湯をして上がったら、そこから先はわりと地獄だった。
まずは座らされて、髪の水気をしっかり取ったあとに、髭の剃り直し。
これでも朝、きちんと剃ったはずなのに、やたらとジョリジョリと音がして、恥ずかしい。
蒸しタオルで顔を綺麗に拭い、ローションやらなにやらペタペタされる。
普段、ソレルは手のひらに出してバシャッとやって終わりだが、アドバンは大判のコットンに謎の液体をたっぷり出して、トントンと丁寧に叩き込んできた。
それから、拳を使って、ぐりんぐりんとソレルの頭や顔、首から肩をほぐし始める。
「いだいだいだいだいだい……!」
「まだお若いのに、頭皮が硬いですね。
放置していたら、そのうち禿げますよ」
「ええええええ!? そんなさらっと、怖いこと言わないでくださいよ!
ていうか、頭皮なんて、どうすればいいんですか!?」
「まずは、頭を洗う時に意識して頭皮を動かすことですね」
淡々と言いながら、アドバンはソレルの眉骨の下、頬骨の下などにも、指を入れるようにして、ぐいぐい押し上げる。
「あががががが……」
一段落ついて、ふと正面の鏡を見たソレルは驚いた。
「あ、あれ……眼が大きくなってる!?」
右を向いて見ても、左を向いて見ても、眼が大きく見える。
おまけに、頬から顎まわりもしゅっとしているようだ。
「馬車の旅で、少々むくんでいらっしゃいましたからね。
さて、お召し替えですが……」
アドバンは、ソレルに夜会服に着替えるように促した。
いったいなにをどうしたのか、だいぶ着古して、色がぼけかけていた夜会服は、かなりマシな感じになっている。
シャツも、買った時の白さを取り戻し、びしっと糊が効いていた。
ソレルは、全身鏡に映してみた。
近年稀に見るレベルで、いい感じに見える。
薄地とはいえウールなので、いかんともしがたく暑いのが残念だが。
しかし、アドバンは、気に入らない様子だ。
「サイズ感が……なんともふわふわしていますね。
次のボーナスが入ったら、きちんとした仕立て屋を探して、ジャストサイズで作ることをお勧めします」
え、これってダメなの? と挙動不審になるソレルを、アドバンは再び座らせた。
首元から肩を白いケープで覆い、有無を言わせず、両手で伸ばしたポマードを、ぽわぽわ赤毛にがっつり塗りつける。
べっ甲の櫛を使って、前髪を斜めに流してみたり、流す髪の割合を変えてみたりしている。
もう、ソレルはされるままになるしかない。
「額のかたちはいいですね。これなら、普段から出された方がよろしいかと。
取材相手によい印象を与えるのも、仕事のうちでしょう」
アドバンは、オールバックにすることに決めたようだ。
「い、いや……なかなか、髪まで気が回らなくて。
すぐに爆発するし」
「回してください。爆発は抑えてください」
にっこり、断言された。
「さて、あとはカラーとクラバットですね。
顎を上げてください」
真っ白なカラーを喉元に巻きつけられる。
「ふぎゃ!?」
ソレルは驚いた。硬い。硬すぎる。
俯いたりしたら、肌に食い込みそうだ。
ようやくソレルは、貴族の男性が、なぜいつも尊大に顎を上げているのか悟った。
顎を上げていなければ、痛いからだ。
アドバンは、カラーの上から白のクラバットも巻き、お手本のような結び目を作ってしっかり留める。
「ふええええ……」
喉元の違和感が半端ない。
この状態で、二、三時間かけて夕食を食べなければならないのか。
「さ。お履き替えを」
アドバンは、夜会用の靴を持ってきてくれた。
手持ちの中では一番マシなものを持ってきたのだが、シワや小キズは消え、つやつやのピカピカだ。
改めて、ソレルは全身鏡に自分を映してみた。
いつももじゃもじゃの赤毛は、きっちりオールバックに整えられ。
カラーとクラバット、ピカピカの靴のおかげで、夜会服もそれなりに見える。
折り目を綺麗にずらして差し込んだポケットチーフが、華やかさを添えている。
もはや自分ではないみたいだ。
凄い、公爵家の執事凄い! とソレルは感動した。
当の執事は、めちゃくちゃ不本意そうな顔をしているが。
「……そろそろ時間ですね。
他家に仕える私がご案内するのもなんですので、本館に入ったら、誰か掴まえて正餐室の控えの間に案内してもらってください」
「あ、ありがとうございます!」
思わずアドバンにがばっと頭を下げて、ソレルは出発した。
なかなか人と行き会わず、かなりさすらって、ソレルは控えの間にたどり着いた。
食前酒を出すためのバーカウンターがあり、ソファやら肘掛け椅子が置いてある。
「ソレル。こっちよ。
あら、いい感じになったじゃない」
目ざとく、カタリナが声をかけてくれた。
彼女は、ミッドナイトブルーのすっきりとしたドレス姿だ。
スカートはボリュームをやや抑えたシルエットで、ほぼ同色のオーガンジーで覆われている。
深く刳られた胸元は、すみれ色の稠密なフリルと、魔石のネックレスで飾られていた。
うなじに縦ロールを幾筋か残して、残りの髪は高めに結っている。
「凄いな。あなたの執事の手腕は」
隣に立つルシアン卿も、ソレルの変身ぶりに感心してくれたようだ。
自分は公爵家の基準を満たす自信はないと言っていたが、アドバンでも文句のつけどころがなさそうな夜会服姿だ。
奥のソファに座っていた、ベアトリスと同世代の貴婦人が、食前酒のヴェルモットのグラスを傾けながら、「誰だこいつ?」という顔をして、ソレルを見てきた。
銀髪を大きく膨らませて結い、すみれ色のドレスを着ている。
胸元には、大きなサファイヤのネックレスが輝いていた。
「レディ・イレーナ。こちらが『日刊王都新報』の敏腕記者、マルセル・ソレル君です」
気がついたルシアンが、紹介してくれた。
「シムノー公爵閣下よりお招きにあずかりました、マルセル・ソレルと申します。
レディ・イレーナ、お目にかかれて光栄です」
「敏腕記者」とか紹介されてしまい、あわあわしながら口上を述べると、イレーナは「そう」とそっけなく頷いた。
手袋の上から、大粒の魔石の指輪をいくつも嵌めた手を差し出してくる。
「気に入らないが、兄が招いた以上、同席しても苦しゅうない」というところか。
手をとって、唇を近づける。
顔を上げようとした時、イレーナと眼が合った。
間近で見た、イレーナの瞳は金色が混じった緋色。
その瞳が、じいっとソレルを見つめている。
真紅に塗った口紅ともあいまって、妙に生々しい「女」を感じて、ソレルは息を呑んだ。
そこに、若い紳士2人が騒々しく加わった。
「レディ・カタリナ! ご無沙汰してます」
銀髪の青年が、大股にカタリナに近づいて挨拶する。
これが、イレーナの三男フレデリックか。
いかにも令嬢達にモテそうな、優美な貴公子だ。
傍の黒髪の青年が、フレデリックの友人のバティストだろう。
こちらも美形だが、もうちょっと野性味がある雰囲気。
同世代の令嬢よりも、年上の女性に好まれそうだ。
「フレデリック卿。久しぶりね。
そろそろ、どなたに求婚するか決めた?」
「その言葉、そっくりお返ししますよレディ・カタリナ。
いったい、誰なら求婚を受け入れるんですか?
ところで、卿は外してくださいよ。
僕らの仲じゃないですか」
「あら人聞きの悪い。わたくし達、どんな仲だったかしら?」
ぽんぽんと軽口が飛び交う。
フレデリックは20歳の大学生だから、カタリナより5歳下。
直接血がつながっているわけではないが、いとこのような関係なのだろう。
「ああそうだ。バティストは覚えてますか?
だいぶ前に、どこかの舞踏会で紹介したと思いますが」
フレデリックは、振り返ってバティストを紹介しようとした。
「覚えているわ。モロー子爵家のバティスト卿よね」
カタリナは、微笑みながらバティストに目礼した。
が、バティストは礼を返さなかった。
まばたきもせずカタリナを見つめたまま、石像のように固まっている。
その頬が、ほんわりと紅く染まり、やがて耳まで紅くなっていくのが見えた。




