4.公爵家の基準
「あー……本館と、全然違いますね」
ソレルは嘆声を上げた。
本館の二階は、床は寄木細工で、壁は羽目板張り。
天井を支える石組みのアーチも、一部は剥き出しになっていた。
床も壁も時を経た深い飴色だから、重厚な雰囲気だ。
一方、客室棟は廊下から落ち着いたピンクベージュの絨毯で、壁や天井には公爵家の紋章であるアザミを織りだしたクリーム色の絹が張られている。
窓が大きいので、廊下も光に溢れ、本館にもあった真鍮の建具も、より明るく輝いている。
優美で、瀟洒な雰囲気だ。
「だろう? これだから、古い建築物を活かした館は面白い。
それ自体が、歴史の厚みを示してくれる」
本館との高さの調整なのか、境目にある一段だけの階段を下る。
降りてすぐは、小さなサロンのような空間になっていた。
壁際に居心地良さそうな肘掛け椅子やテーブルが余裕をもって置かれ、壁龕にはサモワールやハーブ水のピッチャーも備え付けられている。
チェスやカード、マガジンラックも見えた。
滞在客同士が交流したり、暇つぶしをしたりするために用意されたものなのだろう。
その小サロンから続く、本館からは斜めに伸びた廊下の向こうは、静まりかえっている。
両側に、互い違いに扉が見えた。
使用人用の控室の扉なども混ざっているのだろうが、大小あわせて、十数部屋、客室があるようだ。
一階も同じ作りだとしたら、こちらの客室棟だけで三十組以上もの訪問者が泊まれることになる。
といっても、ここはもともと「城」であり、その後は王家のいくつもある別邸の一つとして使われてきた場所なので、客室はむしろ少ない。
カタリナの実家、サン・ラザール公爵家の本邸だと、客室だけで百室以上あるとかなんとか聞いたことがある。
すぐ右手に、一階に降りる階段があり、二人は降りた。
こちらにもサロンのような空間があり、案の定、同じように扉が並んでいる。
「ところで、一つ聞きたいことがあるんだが」
ふと立ち止まって、ルシアンは訊ねてきた。
「なんでしょう?」
きょとりとソレルは返した。
「『トレヴィーユ荘』には、叔母上の霊が、本当に出たんだろうか?」
「……出ましたよ」
大波乱の降霊会を思い出したソレルは、ぞくりと震えた。
亡くなった令嬢達の霊が次々に現れ、最後は真犯人を打ち倒したのだ。
あと百年生きても、あんな修羅場に遭遇することは二度とないだろう。
「いや。君の記事を信じないわけではないが、どうにも……」
なるほど、とソレルは腑に落ちた。
伯爵ともあろう者が、新聞記者にすぎない自分をわざわざ部屋まで案内してくれたのは、これが聞きたかったのだ。
「ま、あの記事、色々丸めたところもありますが……
しかし、叔母君と、犠牲となった令嬢達の亡霊が出たのは確かです。
なんなら、正義の女神ユスティアに誓いましょうか?」
ソレルは、ルシアンの眼を見返しながら言った。
ほんとのほんとに、出たのだから。
「いや、その言葉だけで十分だ。
もし叔母上と話すことができるのなら、と思ってしまって」
「え」
「父から、あの事件のことを詳しく聞いたことはないんだが……
一度だけ、マリー・テレーズがあんなことをしたはずはない、と口走ったのを聞いたことがある。
父は、叔母上の無実を信じていた。
そのことを、彼女の霊に伝えられるものなら、伝えたいと思ってね」
ルシアンは眼を伏せながら、最後は呟くように言った。
カタリナの活躍で、事件直後に自死したマリー・テレーズの冤罪は30年ぶりに雪がれ、リュイユール伯爵家は社交界に返り咲いた。
だが、それですべての思いが解消され、水に流されたわけではない。
「……そのあたりは、レディ・カタリナにおっしゃっていただくしか。
降霊会は、すべてあの方の手配だったので」
特に、カタリナが超特大のコネで引っ張ってきた、ウルトラスーパー顔の良い降霊術師。
新聞記者ごときが、あの方を呼ぶことはできない。
社主でも無理だ。
「それが彼女に頼んだら、再現は不可能だと匂わせるだけで、はっきりしないんだ。
実は降霊会などなかったんじゃないかと、裏を読んでしまった」
「いやいやいや。降霊会はやりました。本当にやりました!
霊も、本当に出ました!
叔母君は穏やかな雰囲気でしたが、他の二人はもう!
あれは、ほぼほぼ怨霊でしたよ!」
涙目になりながら、ソレルは訴える。
そこで、かちゃ、と扉の開く小さな音が後ろでした。
ソレルは、びくうと振り返る。
右手、つまり庭園に面した側の手前から2つ目の部屋から出てきたのは、カタリナの執事アドバンだ。
アドバンは、二人に目礼をする。
「ソレル様。お部屋を整えました。
晩餐のご用意もお手伝いさせていただきます」
「えッ アドバンさんが!?」
「今回、ソレル様はお嬢様の同伴者。
お嬢様が、気まずい思いをされるようなことがあってはなりませんので」
「えええええええ……」
もちろん、夜会服は持ってきた。
だが、取材で社交場に行く時に着ているもので、ちょっと……いや、だいぶくたびれている。
本物の貴族の晩餐会では、浮きまくること確定だ。
「私も、サン・ラザール公爵家の基準を満たせる自信はないな……
ソレル君。頑張ってくれたまえ」
ルシアンは、笑いながらソレルの肩をぽんとたたくと、「私の部屋は一番奥の突き当りだから」と言い残して、去ってしまった。
あてがわれた部屋は、ベッド一つの単身者用の客室。
だが、かなり広々としていた。
ぶっちゃけ、王都で借りているソレルの部屋──賄い付きの、風呂トイレ共用の下宿──の3倍はある。
右手の奥に、四柱式の大きなベッド。
反対側に、彫刻で飾られたライティングデスクと椅子、それとは別に座り心地のよさそうな肘掛け椅子とローテーブル。
身だしなみを整えるための鏡台や、全身鏡もある。
おまけに、ソレルのトランクを入れ、服を出してかけたくらいでは、すっかすかな大きなクローゼットに、専用のバスルームつきだ。
庭園に面した窓は広く、花壇に囲まれた煉瓦造りのあずまやや、鳥獣をかたどったトピアリー越しに優美な佇まいの主棟も見える。
「……王都に帰りたくなくなりそうだ」
ソレルが思わず呟いた言葉に、アドバンが片眉を上げた。
「では、公爵閣下の秘書にでも転職なさいますか?」
「いやぁ……」
ソレルは、詰まった。
なりたくてなった新聞記者だが、心が揺れる。
公爵は仕えやすそうな人柄だったし。
「と言っても、秘書なら個室は貰えるでしょうが、おそらくは本館の半地下。
この部屋よりもはるかに狭く、バスルームは共用、となりそうですが」
「え。そういうものなんですか。
アドバンさんの部屋も、そんな感じです?」
カタリナの滞在中、アドバンも当然、この館に泊まる。
ソレルより立派な紳士にしか見えないアドバンだが、使用人枠は使用人枠だ。
「今回は、そうですね。
古い館だと、使用人の部屋は、たいてい半地下か屋根裏にぎゅう詰めなんですよ。
侍女はお嬢様の寝所の小部屋に泊まれますが、私がそこに泊まれるわけもなく」
「なるほど……」
口ぶりからして、貴族の館でも、色々あるようだ。
王都にあるサン・ラザール公爵家の本邸は、敷地も広く、建物もやたらめったらある。
使用人棟を別にどーんと建て、使用人でも現在の感覚に合わせた生活ができるようにしているのかもしれない。
「さ。まずは風呂に浸かってください。
その間に、お召し物の支度をいたします」
ソレルは、バスルームに追い立てられた。




