3.迷路のような城
「伯父様達も? いかがでした?」
「屋外じゃ無理ね。
液状の毒薬を水魔法で霧にして、霧が消える前に風魔法で操れば、粉を飛ばすよりマシだったけれど」
ベアトリスが、困ったように笑った。
「まあ! そのやり方、思いつきませんでしたわ!」
カタリナは、ぽんと手を打つ。
「だが、他の者に気づかれないように魔法を二段構えで展開するのは、難易度が高すぎる。
犠牲者の中には、将来魔導師を目指していた令嬢もいたと聞くが、十中八九、ボロを出して、他の者が気付いたはずだ。
と……きりがないな。
先に、契約書の件だけでも、片付けてしまおうか」
公爵は、ソレルの方に向き直った。
カタリナとベアトリスは、部屋の隅にあるソファに移り、あれやこれや噂話を始めた。
ルシアンも、近くの肘掛け椅子にもたれ、そっちの会話に入っている。
「あ、ありがとうございます」
ソレルはしゃちほこばりながら、社印が入った革製の書類挟みを取り出し、両手に持って捧げるように公爵に差し出した。
「ジラルダン卿の容態は、その後どうなんだね?」
来れなかった社主の様子を訊ねながら、公爵は契約書を開く。
社主の署名、法務部長の副署名は先にしてある。
「お陰様で、寝ていればそのうち回復するだろうと」
「それはよかった。しかし、お互い腰は気をつけねばなぁ」
公爵はさっと老眼鏡をかけた。
契約書に眼を通して、内容を確認すると、さらさらっとサインをする。
Hubertという名のHとbを、盾と剣を思い起こさせる形に変形させた署名で、かっこいい。
すかさずクレールが、銀の器から小さな匙で金色の砂を振りかけた。
余分なインクが砂に吸い取られたところで、契約書を傾けて砂を容器に戻す。
続いて、クレールは火魔法で赤い蝋を温め、署名の末尾のあたりに垂らした。
その上から公爵がシグネットリングで捺印する。
クレールには、魔力もあるようだ。
とはいえ、平民の名乗り方だったから、ちょこっと便利に使える程度の魔力なのだろう。
「副署名は、私でよろしいですか?」
クレールが訊ねてきたので、お願いしますと頭を下げる。
手続きの確認者としての署名なので、秘書でも良いのだ。
クレールは、丁寧に署名した。
Claireの書き出しのClaが花模様のように描かれていて、いかにも女性らしい。
「これで大丈夫かな」
「あ、ありがとうございます!」
ソレルは、深々と腰を折って契約書を受け取った。
アタッシュケースにしっかり収める。
「着いてすぐ、とんぼ返りも気の毒だ。
二、三日、ゆっくりしていきたまえ。
部屋は用意させている。
その間に、最終的な展示リストと、序文くらいはなんとかできるだろう」
「ああああありがとうございます!!」
展示すべき作品リストの監修とは別に、公爵には目録の序文を3ページ分、それと手写本の歴史と鑑賞のポイントに関するエッセイ6ページ分を依頼している。
できることなら原稿、それが無理でも原稿の構成メモを貰ってこいと言われていたソレルは、恐懼した。
「馬車の旅で疲れただろう。
部屋に案内させよう」
公爵が視線をやると、控えていた執事がやって来る。
「ああ、ついでですから、私が案内します。
私の部屋と同じ棟でしょう?」
ルシアンが身軽に腰を上げた。
「……なのか?」
公爵が訊ねると、執事は「左様でございます」と頭を下げた。
「では、頼んでしまおうか。
後ほど、晩餐の時に」
公爵が頷き、ソレルはルシアンに連れられて退出した。
また複雑怪奇な廊下をたどる。
歩きながら、ルシアンは、城の大雑把な構造を説明してくれた。
かつて砦だった本館は、平面図で言えばだいたい正方形。
真ん中が、大階段のある吹き抜け。
一階と二階をつなぎ、別途、半地下から三階までつなぐ階段があちこちにある。
正面玄関が西にあたり、一階が玄関ホールに謁見室や応接間、それらに付随した控えの間、ギャラリー、舞踏室やサロン、正餐室など。
要するに、訪問者が出入りする部屋は一階に集中している。
二階に、さっきの書斎や書庫、私的なサロンなど、客を迎えることもあるが、プライベートな性質も強い部屋。
半地下に、厨房や上級使用人の個室、倉庫があり、三階は主に召使達の大部屋。
増築された棟は、正方形の本館の南東角と、北東角から斜めに伸びている。
どちらも二階建てで、南東角の棟が、公爵夫妻の主寝室と、親族や特に親しい友人が使う客室。
主人が住む場所だから、主棟と呼ばれているそう。
今は、公爵夫妻と、公爵の妹であるレディ・イレーナ、そして公爵夫人の古い友人であるレディ・ジョルジェットが使っている。
ソレルはシムノー公爵家の家系図を思い起こした。
公爵には、きょうだいが何人かいる。
末の妹であるレディ・イレーナは侯爵家に嫁いで世継ぎと何人かの子を産み、既に未亡人となっている女性。
友人を訪ねたり、こうして実家に戻ったり、気ままに過ごしているのだろう。
北東の角から伸びる棟は、友人、知人、弁護士など所用で来訪した専門家などが使う客室棟。
夫婦用の続き部屋もあるが、単身者用の部屋は1階が男性、2階が女性と使い分けているらしい。
今、客室棟を使っているのは、ルシアンとレディ・イレーナの三男フレデリックとその友人バティストだ。
フレデリックとバティストは大学生。
夏季休暇を利用して、遊びに来たそうだ。
そこに、カタリナが2階に、ソレル1階に加わることになる。
「ええと……だったら、私はルシアン卿や貴公子方と並びの部屋に泊まるんですか!?」
てっきり、自分は使用人用の空き部屋にでも泊まるのだろうと思っていたソレルは驚いた。
「それはそうだろう。
君は、『日刊王都新報』社主の代理人なのだから」
ルシアンは笑う。
そういうことなら、変に固辞するわけにもいかない。
「な、なるほど……
というか、その……なぜルシアン卿はこの城にいらっしゃるんですか?」
トレヴィーユ荘事件の絡みで、リュイユール伯爵家についてはソレルもかなり調べた。
事件発生時、リュイユール伯爵は、ルシアンの祖父だった。
事件そのものは、醜聞を恐れた加害者の家と被害者の家が握りあって隠蔽し、4人の令嬢は病死と届けた。
しかし、どこからか話が漏れ、特大のスキャンダルに発展。
毒殺犯と目されていた、リュイユール伯爵の長女のマリー・テレーズは軟禁され、結局自死した。
ルシアンの父は、伯爵家の長男で跡継ぎ。
事件当時は領地の館にいたが、その妻──つまり、ルシアンの母親は、まだ1歳にもならないルシアンを置いて、実家に戻ってしまった。
ルシアンの父は、二男一女の三人きょうだいの長男。
次男は、事件から数年後に魔獣との戦いで若くして死亡。
未婚のままだった。
ルシアンの祖父母や大叔父なども相次いで亡くなり、ルシアンの父とまだ幼いルシアンだけが、伯爵家に残った。
ルシアンの父は伯爵となったが、領地にほぼ引きこもったまま40代なかばで亡くなる。
母とは生き別れのまま、実質、天涯孤独となったルシアンは24歳で伯爵位を継ぐことになった。
本来なら伯爵家の存続のため、早く妻を娶り、世継ぎを確保しなければならない立場なのに、ずっと独身だ。
「君は知っていると思うが、私は14歳の時にエルメネイア帝国の寄宿学校に入り、あちらの学院を出て、ウィノウの大学で建築史を学んだ」
「あ、はい」
もちろん、国内の学校に通うわけにはいかなかったからだ。
ルシアンは、ウィノウ聖皇国の大学で教授資格も取っている。
学問を修める貴族はわりといるが、教授資格まで取る者は珍しい。
いずれ、後継者がいないことを理由に爵位を返上し、エルメネイアかウィノウで研究者として生きていくつもりだったのだろう。
「私の師が、公爵閣下の友人でね。
公爵夫妻がウィノウを訪問された時、紹介してもらったんだ。
閣下は、手写本の蒐集をされているだろう?
私もおおまかなところはわかるから、お手伝いをするようになった。
オークションに良い物が出たら知らせたり、代理で落札したりね。
で、帰国してからも文通はしていたんだが、レディ・カタリナのおかげで、大っぴらに訪問できるようになったんだよ」
「なるほど……」
ルシアンは、見た感じ公爵夫妻に馴染んでいた。
カタリナがマリー・テレーズの冤罪を晴らす前でも、訪問すれば彼らは歓迎しただろう。
だが、これだけの家なら、ほかの訪問客も常時いる。
彼らがルシアンに会えば、互いに不愉快なことにしかならない。
「ああ、ここからが客室棟だ」
突き当りで廊下が直角に折れる、その左手にある、花の精霊の浮き彫りを施した扉を開きながらルシアンは言った。




