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2.シムノー公爵夫妻

「ふふ。驚かれましたか、レディ・カタリナ。

 それにしても、つれない方だ。

 この間、私のことは名前で呼んでほしいとお願いしましたよね?」


 伯爵の朗々とした声が響く。


 ソレルの馬車からはよく見えないが、なにやらやりとりがあって、カタリナは馬車を降りたようだ。

 カタリナの馬車が車寄せから抜け、次はこちらの番。

 ソレルは契約書が入ったアタッシュケースを抱えて、慌てて降りた。


 やっぱり、リュイユール伯爵ルシアンだ。


 今はカタリナが所有している、名建築家ボアンヴィルの傑作「トレヴィーユ荘」は、かつてリュイユール伯爵家が建てたものだった。

 だが、30年ほど前、ルシアンの叔母にあたるリュイユール伯爵令嬢マリー・テレーズが、トレヴィーユ荘で友人の貴族令嬢4名を毒殺するという大事件が発生。

 リュイユール伯爵家は王都の社交界にいられなくなって、領地に引きこもることになった。

 さらに、犠牲者の家に多大な賠償を行ったせいで、家産も傾きかけたリュイユール伯爵家はトレヴィーユ荘を維持できなくなる。

 事情を知ったカタリナの大伯母が買い上げ、そして彼女からトレヴィーユ荘を相続したカタリナが、真犯人はマリー・テレーズではなかったと証明したのだ。


 その結果、リュイユール伯爵ルシアンは、王都の社交界に復帰することになった。

 切れ長の眼、やや細い眉、細く整えた髭が印象的な、優雅でダンディな紳士だ。

 31歳だが未婚とあって、社交界にセンセーションを巻き起こしている。


 そのリュイユール伯爵が、なぜこの城にいるのだろう。

 鳩羽色の旅行服姿のカタリナも、戸惑っているようだ。


「……そうでしたわね、ルシアン卿。

 そうだ、ソレルのことはご存知?

 『日刊王都新報』の記者の」


 カタリナは、ソレルを手招きした。


「マルセル・ソレルです。

 一度、主筆にくっついて、インタビューをさせていただきました」


 ソレルは二人に近づいて、へこっと頭を下げた。


「もちろん覚えている」


 ルシアンは、ソレルに微笑んだ。

 男なのに、妙な色気があってソレルはどきっとする。


「あの時はあまり話ができなかったが、ソレル君の書いたトレヴィーユ荘の記事は、すべて切り抜いてスクラップブックに貼っているからね。

 特に、毒をどうやって盛ったか、再現しようとした記事は最高だ。

 君も恩人の一人なのだから、私のことは名前で呼んでほしい」


「きょ、恐縮です。ルシアン卿」


 ソレルは、お辞儀をした。

 もう一度微笑んで、ルシアンが頷く。


「ああいけない、公爵がお待ちかねです」


 流れるように、ルシアンはカタリナをエスコートした。

 書類入れを持ったカタリナの侍女ゼルダと、契約書を抱えたソレルも、その後に続く。


 車寄せの奥の階段を数段上がる。

 開け放たれたままの、巨大な青銅の扉の間を抜けると、羽目板張りの玄関ホールだった。

 ホール自体は広いのだが、窓が小さく、夏の昼間だというのに薄暗い。

 巨大な魔物の腹の中に、みずから飲み込まれていくような感覚をソレルは覚えた。


 ホールの奥には、二階に続く大階段。

 壁には戦斧やいしゆみ、メイスがかけられている。

 その手前には、騎士用の鎧がずらり。

 装飾は武張ったものばかりで、雰囲気を和ませる絵画の類は見当たらない。


 ルシアンはカタリナに、少し休んでから公爵に面会するかと訊ねた。

 カタリナは、まずはご挨拶したいと答え、二人はそのまま階段を上りはじめる。

 さりげなく、侍女のゼルダが数歩後をついていく。


 ちらっと後ろを振り返ると、アドバンが従僕達に指示して、カタリナの荷物を下ろさせていた。

 ついでに、ソレルの荷物もなんとかしてもらえそうだ。


 ソレルは、カタリナ達の後を追って階段を上り始めた。




 構造が複雑だから、迷わないように気をつけろと言ってくれたアドバンは正しかった。

 廊下の最初の角を曲がり、そこから二度曲がって半階分降りた突き当りを左に曲がって、ようやくたどり着いた扉の前には、従僕が待機していた。

 従僕が先に入って、カタリナの到着を知らせる。


 すぐに案内されたのは、壁一面の本棚の中心に、大きな執務机が置かれた部屋だった。

 本棚は、美術書や歴史書。

 公爵として仕事をする部屋ではなく、趣味で使う私的な書斎のようだ。

 窓の向こうに見える壁の厚みがかなりあるので、まだ本館の中なのだろうが、館の表側よりは窓が多く、部屋は明るい。

 光の加減からすると、東側のようだ。


 公爵は、カタリナを迎えるために立ち上がった。


 シムノー公爵ユベールは、62歳。

 銀髪を後ろに撫でつけ、黒い革製の眼帯で左眼を覆っている。

 若い頃、魔導騎士団で活躍していた時に、片目を失ったのだ。

 だが、残る右眼は、炯々とした鋭い光を放っている。

 鼻が鷲鼻気味で、彫りが深く、いかにも厳しそうな顔立ちだ。

 背はそこまで高くない。

 だが、姿勢が良いので、実際の身長より大きく見える。


 カタリナは、定式通り名を名乗り、跪礼カーテシーを行った。


「カタリナ。よく来たね。

 相変わらず、愛らしい」


「伯父様も、お変わりなく」


 ユベールは、カタリナの手を取り、軽く唇をつけた。

 伯父様、にっこにこだ。


「カタリナには紹介していたかな?

 秘書のクレールだ。

 執筆や手紙のやりとりの補佐をしてもらっている。

 今回の件でも、細かいやりとりはクレールに助けてもらうつもりだ」


 部屋の隅に控えていた、紺色の地味なドレスを着た女性を、公爵は示した。


「クレール・アグネーと申します。

 なんなりと、お申し付けください」


 黒髪の、背の高い女性だ。

 年の頃は、ソレルと同じか下、20代なかばというあたりか。

 人目を惹く華やかな美人ではないが、顔立ちは整っていて、緑の瞳も肌も澄んでいる。

 なんともいえない透明感がある女性だ。


 と、ここで、山吹色のデイドレスを着た貴婦人が入ってきた。


 年の頃は、50歳手前かそのくらい。

 シンプルな型のドレスだが、節織絹を使っていて、生地自体に輝きがある。

 白髪が混じり始めた金髪を、既婚婦人の慣習通り、ふんわりとふくらませて結い上げている。


「ベアトリス伯母様!」


 カタリナは、貴婦人に駆け寄ると、軽く抱き合って挨拶した。


「ユベール。あなたって、なんてひどい人なんでしょう。

 せっかくカタリナが来てくれたのに、独占するだなんて。

 カタリナは、わたくしの姪なのよ」


 笑いながら公爵に抗議するのは、シムノー公爵夫人ベアトリスだ。


「いや、カタリナは、君とは積もる話があるだろう。

 いつ果てるともしれない愉快な会話の前に、仕事を済ませてしまわねば」


「また、そんなことを。

 トレヴィーユ荘の件、カタリナから直接聞きたいって楽しみにしていらしたじゃないですか」


 夫婦は軽く睨み合い、同時に軽く吹き出した。

 年を経ても仲が良い様子に、見ているだけで、ほんわかしてしまう。


「ああそうだ。『日刊王都新報』の記者を紹介しないと。

 社交欄担当のマルセル・ソレルですわ」


 カタリナが、扉口の脇でおろっと突っ立っていたソレルを差し招いてくれた。


「シムノー公爵閣下、ならびに公爵夫人。

 拝謁の栄を賜り、身に余る光栄に存じます」


 緊張で噛みそうになりながら、ソレルはお辞儀をした。


 実のところ、お辞儀の仕方は、アドバンの指導のもと何度も練習した。

 ソレルの仕事は、社交場をうろついて、人目を惹きそうな出来事を記事にしたり、婚約や結婚の記事を書くのが中心で、王族や大貴族に面と向かって挨拶するような機会はほぼないのだ。


「ソレル君は、例の公開実験記事を書いた記者ですよ」


 ルシアンが、公爵に補足してくれた。


「ああ、あの記事は良かった。

 私たちも、屋外のテーブルで、他の客のカップに毒薬を入れられるものかどうか、さんざん実験したよ」


「ああああ、ありがとうございます!」


 ソレルは、赤くなった。


 もともとカタリナの発案で行った公開実験だったが、せっかくの実験をわかりやすく、面白く伝えられるよう、気合を入れて記事を書いたのだ。

 高貴な方々にも、こんなに読まれていたとは。


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