1.意外な人物
「お。あれが、リシャンディエール城ですかね?」
延々続く牧草地の向こうに見える台地。
夏の昼下がり、木々に囲まれた、岩塊のようなシルエットに気づいたマルセル・ソレルは声を上げた。
眼をこらすと、てっぺんはでこぼこした城壁のようになっていて、四隅には尖塔らしき輪郭も見える。
ソレルは、「日刊王都新報」の記者。
今は、社交欄を中心に記事を書いており、人手が足りなければ他の部署の応援にも行く遊軍的な動きをしている。
26歳の、もじゃもじゃの赤毛が鳥の巣のようになりがちな青年だ。
「そのようですね」
サン・ラザール公爵家の執事アドバンは、頷いた。
この春、ソレルは「破天荒令嬢」ことサン・ラザール公爵令嬢カタリナの知己を得た。
大伯母である前ローデオン大公妃ユリアーナの遺産としてカタリナが相続した、王都の外れの別荘「トレヴィーユ荘」で、30年前に起きた毒殺事件に関する調査に協力したのがきっかけだ。
カタリナは、25歳。
金髪縦ロールの大美人で、国一番の金満公爵家の令嬢なのだが、結婚していないのには理由がある。
21歳の時、婚約者のクズっぷりを大暴露して、「自分は、好きな時に、好きな相手と結婚する」と宣言したからだ。
といっても、家族や親戚は彼女の結婚を諦めていない。
カタリナに「トレヴィーユ荘」が回ってきたのも、売りもできず貸しもできない超事故物件を背負わせ、縁談を受け入れたら引き取ってやる的な話にするつもりだったようだ。
だが、カタリナは「トレヴィーユ荘」事件の真犯人を華麗に突き止めた。
ついでにカタリナは、父公爵と賭けをし、事件を解決したら、公爵家が代々伝えている優れた美術品を並べた大展覧会を「トレヴィーユ荘」で開いてもよいと言質をとっていた。
無辜の令嬢が4人も毒殺された「トレヴィーユ荘」は王都一の事故物件と言われていたから、そのイメージを払拭するためである。
無事、大展覧会の開催が決まり、「日刊王都新報」はチケットの販売業務、目録やグッズの制作販売をどさくさに紛れて受託することになった。
本来なら、こんな企画は高級紙が受けるものだ。
「日刊王都新報」は、あまり下世話な記事は掲載しないが、あくまで大衆紙という扱いだから、大金星。
いつの間にやら「カタリナ番」ということになったソレルは、そっちにも首を突っ込んでいる。
サン・ラザール公爵家は、代々、投資も兼ねて美術品の蒐集を行い、芸術家の支援も行っている家柄。
次の社交シーズン──つまり、初冬から来夏いっぱいまで行う予定の展覧会には、国内外の愛好家が押し寄せてくると見込まれている。
目録も、それにふさわしい、しっかりしたものを作らなければならない。
そこで、カタリナは、美術評論家としても知られるシムノー公爵ユベールに監修を依頼したいと言い出した。
公爵は、現国王の又従兄弟にあたる。
傍系王族で、王家が持つ爵位を名乗っている、いわゆる王族公爵だ。
もう60歳を超え、公務からはなかば引退して、今は王都から3日かかる古城、リシャンディエール城に住んでいる。
ユベールの妻は、カタリナの母の姉ベアトリス。
公爵夫妻には子供がなく、夫人の姪であるカタリナは幼い頃から夫妻に可愛がられていたという。
さっそく、社主が手紙で依頼したところ、快諾する返事が返ってきた。
カタリナの添え状もあったし、以前、新聞社が出している高級誌で公爵の評論を不定期連載していたのも効いたようだ。
しかし、シムノー公爵相手に、正式な契約書を手紙でやりとりをするわけにはいかない。
本来なら、社主がみずから赴いて、署名を頂戴するところなのだが、出立の直前になってぎっくり腰を発症してしまった。
ちょうど、カタリナもリシャンディエール城に行って、作品の選定チェックやら、並べる順番の相談をするところだったので、ソレルがカタリナにくっついてリシャンディエール城へ赴き、公爵の署名をもらってくることになったのだ。
ま、要はお使いである。
「ええと……アドバンさんは、いらしたことがあるんですか?」
もちろん、カタリナにくっついていくといっても、地主の息子で大学も出ているとはいえ、平民にすぎないソレルが同じ馬車に乗って旅をするわけではない。
カタリナは、侍女のゼルダと公爵家の大型馬車に乗り、出品予定リストと首っ引きで最終チェック作業を進めている。
ソレルは、金髪を短く刈った、やたらがっちりした体つきの執事アドバンと一緒に、カタリナのドレスやらなにやらを詰めたトランクを屋根に満載した馬車だ。
「幾度か。ソレル様は、初めてですか?」
「はい。王宮には入ったことがあるんですが、城は初めてですね。
城と宮殿の違いは、戦闘を想定しているかどうかかと聞いてますが」
「そうですね。リシャンディエールは、大暗黒期以前の砦を改修した城です。
かなり作りが複雑なので、迷わないよう、注意された方がいいかもしれません」
「そ、そうなんですね」
言われて、ソレルはちょっと不安になった。
まさかと思うが、冒険小説に出てくる古城お約束の、変なところを踏んだら落とし穴、みたいな仕掛けもあるのだろうか。
「ほら、黒っぽい、岩のように見えるのが砦だった部分。
今は、本館と呼ばれています。
そこに、居住用の棟を2つ、後からつけたんですね。
白い壁に赤い鱗屋根があるのが、新しい棟です。
新しいといっても、造られてから百年以上経っていますが」
ソレルは、じっと城を見つめた。
確かに、濃い灰色の方形の砦の向こうに、王宮や貴族の館によくある、洗練された雰囲気の棟も見えてきた。
岩の塊のような本館に住むのは、採光や通風が大変なのだろう。
冬場は、暖炉に火を入れても、冷えて仕方ないに違いない。
「そういう砦に、棟をあとづけする時はどうするんですか?
使い勝手を考えたら、通路を造らないといけませんよね?」
「なんでも、岩盤を掘削してトンネルを掘るように、通路を掘るそうですよ。
リシャンディエールの場合は、壁の厚みが50cmを超えていますから、通路程度の穴なら開けても問題ないそうで」
「なるほど……」
このアドバン、自分から無駄話はしないが、なにを聞いてもすらすらと答える。
体型からして武術も相当やっている印象だし、それに加えて知識も幅広い。
おそらく、魔法も相当使えるのだろう。
金満公爵家の執事は、並みの人物では務まらないということか。
ソレルが感心していると、城へ続くゆるやかにカーブした道を馬車は登りはじめた。
城の周辺は、胸の高さほどの石塀で囲まれている。
検問所に、先にカタリナの馬車が入り、ソレルの馬車も続く。
王家の城という扱いだから、警備しているのは近衛騎士だ。
木々が濃い影を伸ばしつつある並木道を抜けると、いよいよ城の全貌が見えてきた。
「……すっご」
ソレルは思わず、間の抜けた嘆声を漏らした。
深く狭い窓の並びからして、3階建てに半地下という作りのようだ。
だが、高さは20mを優に超えている。
幅は、100m近くあるのではないか。
ぱっと見、王都の大神殿とおなじくらいありそうだ。
濃灰色の岩の塊のような本館部分は、無骨そのもの。
大きく張り出した、巨大な車寄せは後からつけたのだろうが、本館と同じ石材で統一されている。
てっぺんは胸壁が張り巡らされ、雨樋についた庇の上には、この地方特有の魔除けであるガーゴイルの彫像が鎮座している。
車寄せの屋根の上にも人間くらいの大きさのガーゴイルが何体もいて、ぎょろっとした瞳のない眼で、やってきた人間を見下ろしていた。
先を行くカタリナの馬車が、その車寄せで止まった。
迎えに出てきた従僕たちをかき分けるようにして、背の高い、栗色の髪をうなじで括った紳士が、馬車に近づいていくのが見えて、ソレルは眼をみはった。
あれは確か──
「リュイユール伯爵!? どうしてここに?」
カタリナが、びっくりして声を上げる。
この3日間の旅で、常に落ち着き払っていたアドバンの顔に、一瞬、ものすごく厭そうな翳が浮かんだのをソレルは認めた。




