旗印にならないネーミング 〜 中道改革連合 〜
旗印にならないネーミング 〜 中道改革連合 〜
政治において党名は単なる名称ではない。それは理念の要約であり、支持者への呼びかけであり、社会に対する自己定義である。党名を見た瞬間に、その政党が何を目指し、どこに立っているのかが伝わらなければならない。ところが「中道改革連合」という名称には、それがない。
まず「中道」という言葉が弱い。本来は現実的な調整を意味し得る概念であっても、日本語の感覚では主体性の曖昧さを連想させやすい。どっちつかず、事なかれ、決断しない。そうした印象が先に立ち、明確な立場が見えなくなる。政治に必要なのは「真ん中にいる」ことではない。「どこに立つか」である。
さらに問題なのは、中道を名乗ることで、本来存在する一定のリベラル支持層を自ら手放してしまう点である。立憲民主党はリベラルという明確な立場によって支持されてきた側面がある。それを中道という言葉でぼかせば、「自分たちの旗が降ろされた」と感じる支持者が出るのは当然である。支持基盤を広げるつもりが、逆に核となる支持層を失う結果になりかねない。
次に「改革」である。改革とは方向性を伴う言葉であり、何を変えるのかという思想的選択が前提となる。しかし「中道」と並べた瞬間、その方向はぼやける。調整を想起させる語と変革を意味する語が同居することで、どちらの意思も弱まってしまう。
そして「連合」である。これは理念ではなく状態の説明に過ぎない。誰かと誰かが組んでいるという事実を示すだけであり、政治的主体としての覚悟を感じさせない。与党が統治のために連立を組むのであれば意味はあるが、野党が自らを「連合」と名乗る場合、寄り集まりの印象だけが残る。
問題は単語一つ一つではない。この三語を並べたとき、立場は曖昧になり、方向は見えなくなり、組織の主体性まで弱く見えてしまう点にある。政治において最も重要なのは旗印である。支持者は、自分がどこに立つのかを示してくれる象徴を求めている。旗印がなければ、人は集まらない。
であれば、理念や強みを隠すのではなく、正面から示すべきである。
私は党名を考えたので提案する。
「リベラル福祉党」というのはどうか。
立憲民主党のリベラルとしての特徴、公明党の人権主義や福祉思想の強さ。その両者の長所をそのまま党名に表す。そして「党」と名乗ることで、責任の所在地をはっきりとさせる。連合ではなく党である。誰が意思決定をし、何を背負っているのかを明確にするためである。
政治的発言を曖昧にしてはならない。党名を曖昧にすることは、その最初の失敗である。旗印を立てない政党に、国民はついていけないのである。




