風が吹くたび失うもの
今回の衆議院選は「風」が吹いた選挙だった。
どこを見ても高市早苗旋風という言葉が踊り、自民党は圧勝した。
しかし私は、その風に違和感を覚えている。
ほんの一年前の出来事を、私たちはもう忘れてしまったのだろうか。
石破政権が何をしたのか。何をしなかったのか。
党首が変われば政党の体質が変わると、本気で思っているのだろうか。
もちろん、国民の審判は絶対である。
民主主義において、選挙結果はそのまま受け止めるしかない。
三分の二以上の議席を確保したのだから、高市早苗総理の手腕には期待するべきだろう。
結果が出た以上、それを否定することは意味がない。
ただし、私はこの「風」という現象が嫌いだ。
風が吹くと、人は熱狂する。
これまでの経過や、積み重ねてきた評価や、冷静な検証を置き去りにしてしまう。
政治は本来、静かな評価の上に成り立つべきものだと私は思っている。
その静かな評価が失われたとき、本当に必要な人材が消えていく。
今回、私が最も残念に思っているのは、佐賀一区の原口一博氏の落選である。
彼は数少ない「構造」で政治を語れる政治家だった。
表面的な是非ではなく、仕組みそのものを理解しようとする人だった。
構造が分かれば、問題が見える。
問題が見えれば、解決の方向性は自然と浮かび上がる。
しかし彼は、自らの所属する立憲民主党の迷走の中で揺れ動き、自分の信じる道を選んだ。
その選択の結果として、今回の落選がある。
結果だけを見て「自己責任」と軽く言う人もいるだろう。
政治家は選挙で評価される存在なのだから、それ自体は間違いではない。
それでも私は、彼の歩みには苦悩があったと感じている。
原口一博氏のことをあまり知らない人は、YouTubeや「そこまで言って委員会NP」などの動画を見てほしい。
そこには、単なる政治的立場ではなく、思考する政治家としての姿がある。
風の中では、こうした人物が見えなくなる。
私は、これが惜しい。
政治とは、本来は熱狂ではなく積み重ねであり、人気ではなく構造で語られるべきものだと思っているからだ。
今回の結果は変えられない。
だからこそ、私は次を願う。
力を蓄え、次の機会に再び挑戦してほしい。
選挙区が違うため一票を投じることはできない。
それでも、遠くから応援している。
私は「風」が嫌いだ。
その空気に素直に乗ることができない。
理由は単純だ。
小泉旋風で懲りたからだ。
あのとき、日本は熱狂した。
改革という言葉に期待し、
既存の枠組みを壊すことを歓迎した。
そして時間が経ち、
残ったものは何だったのか。
評価は人それぞれだろう。
だが少なくとも私は、
「風」が政治を動かすことの危うさを学んだ。
風は記憶を消す。
風は過去を薄める。
風は評価を雑にする。
そして風が去ったあと、
静かな現実だけが残る。
だから私は、風が吹くたびに一歩引く。
熱狂の中心ではなく、
少し離れた場所から観察する。
それが私の政治との距離感だ。
今回の結果も否定はしない。
国民の審判は尊重する。
しかし、
静かな評価を忘れてはいけない。
政治は風ではなく、
積み重ねで判断されるべきものだからだ。
さらにあとがき
風の分類学:政治病の気象図
熱狂の風:高市旋風、小泉旋風のようなカリスマ性による一時的な上昇気流
希望(失望)の風:参政党に吹いた、自民党への不信から生まれる空白への風
交渉の風:国民民主が掴んだ、構造の中での実利を求める現実的な風
迷走の風:立憲民主が浴びた、方向性の不明瞭さからくる逆風
回避の無風:公明党のように、風の当たらない場所に身を置く戦略




