表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒婦にされた令嬢は紙で殴り返す  作者: 那由多


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/16

第6話 《真言の鏡》は、嘘より先に私を焼く

 

 朝の森は、冷たい。


 夜露が葉の縁に残っていて、指で触れるとすぐ掌に移る。湿り気は透明なのに、体温に触れた瞬間だけ「ここにある」と主張する。

 王都の香水みたいに、ずっと残らない。だから森の匂いは好きだ。正直で、しつこくない。


 ……しつこいのは、手首の枷だけだ。


 私は小屋の外に出て、枷を見た。

 黒い金属の輪が、朝の斑な光を吸って鈍く光る。触れるとまだ熱い。昨夜も、今朝も。まるで私の身体に「黙れ」を焼き付け続けているみたいに。


 梁の上から、寝起きの悪い声。


「カー……姫さん、朝から顔、死んでる」


「……」


 返事をしようとして、喉が動かないのを思い出す。

 思い出すたび、胸の奥が黒くなる。


 扉が軋んで、グリムが出てきた。

 今日はいつもの外套じゃなく、少しだけ厚い布を羽織っている。森の朝は、老人の骨にも堪えるらしい。


「昨日言った“見せるもん”だ」


 そう言って、グリムは小屋の隅の棚の奥から、古い木箱を引きずり出した。

 箱は節だらけで、蓋に傷が何本も走っている。鍵はない。代わりに、革紐が巻いてあった。


 グリムは紐を解き、蓋を開ける。


 中に入っていたのは――布に包まれた、小さな何か。


 布をほどいた瞬間、私は息を止めた。


 ガラスみたいな欠片。

 でもただのガラスじゃない。火の光でも朝の光でも、反射が“深い”。光が表面で跳ねるんじゃなく、一度沈んでから戻ってくる。暗い水面みたいな光。


 欠片の縁は鋭く、指を切りそうだった。


 クロが、妙に真面目な声で鳴く。


「カー……それ、嫌なやつ」


 グリムが鼻で笑う。


「お前でも分かるか。……これは《真言の鏡》の欠片だ」


 《真言の鏡》。

 聞いたことはある。

 噂話の中でだけ、何度か。


 嘘を見破る鏡。

 裁判で使われ、貴族の虚飾を剥がし、最後は「危険すぎる」として封印された――そんな類の話。


(……そんなものが、なんで森の爺さんの小屋に?)


 グリムは欠片を指で弾いた。

 こん、と乾いた音がする。音はただのガラス。でも空気が少し張った。


「昔、王都の連中が“便利な物語”を作る前は、こういう道具で嘘を潰してた」

 グリムが言う。

「だが、嘘で飯食ってる連中には邪魔だ。鏡は割られ、欠片は消えた。……俺はたまたま拾った」


 たまたま、の言い方が雑すぎて信用できない。

 でもこの人は、こういうところが正直だ。


 グリムは私の手首の枷を見て、欠片を私の前に差し出した。


「こいつは嘘を嫌う。……お前の“見える目”も嫌う連中がいる。つまり相性は最悪だ」

「……」

「だが、最悪だからこそ武器になる」


 武器。

 その言葉が、胃の奥をきゅっと掴んだ。


 私は武器を持ったことがない。

 王都では、武器を持つのは男の仕事で、女は微笑みを持てばいいと言われた。

 微笑みは武器じゃない。檻だ。


 グリムが続ける。


「触るなら覚悟しろ。嘘に触れるってのは、汚れに触るってのと同じだ。……指先じゃ済まん。喉が焼ける」

 クロがすかさず言う。

「カー! 姫さん、もう喉、焼けてる」

「黙れ」


 私は欠片を見た。

 深い光。鋭い縁。

 怖い。

 でも怖いのに、目が離せない。


(……私は、黙ったまま死ぬの?)

(それとも、痛くても喉を取り返す?)


 答えは、もう出ていた。


 私は手を伸ばした。


 ---


 欠片は、冷たかった。


 握った瞬間、掌の体温が一気に吸われる。

 冷たさが骨の内側へ入って、背筋がぞわっとする。


 次の瞬間。


 熱が来た。


 冷たいはずの欠片が、内側からじり、と灼ける。

 手首の枷が反応して、さらに熱くなる。

 熱が熱を呼ぶみたいに、私の腕の中で火が走った。


「……っ!」


 声を出したつもりが、息だけが漏れた。

 喉がきゅっと縮む。反射で「黙れ」が戻ってくる。


 でも――視界が変わった。


 森の色が、一段暗くなる。

 その暗さの中で、糸だけが浮かぶ。


 木と木の間に、細い糸。獣が通った痕の糸。風が擦った葉の糸。

 そして――私の手首の枷から伸びる黒い糸。


 紫がかった黒。

 あの嫌な色。

 黒い糸は王都の方向へ、ぴん、と張っている。


 さらにその先。遠いはずなのに、鏡の欠片越しだと“焦点”が合う。


 白い広間の光。

 濁った金色。

 ミレイユの指輪から伸びる糸が、私の枷の糸と汚い結び目で絡まっているのが見えた。


(……やっぱり)


 胸の奥が、どろりと熱くなる。

 怒り。

 悔しさ。

 そして、あの日黙った自分への憎しみ。


 私は口の中で、勝手に呟いた。


(私は大丈夫。私は……)


 その瞬間、欠片がびり、と震えた。


 視界の端で、鏡の表面が一瞬だけ曇る。

 黒い滲みが走る。


 ――嘘。


 自分に吐いた嘘すら、嫌がる。


 私は息を吐いた。

 吐いて、やっと気づく。


(私は大丈夫じゃない)

(だから、武器が要る)


 グリムが、私の手の欠片を見て言った。


「……反応したな。お前の目と相性が悪すぎる。つまり――効く」


 効く。

 その言葉に、嬉しさはなかった。

 あるのは、怖さと決意だけだ。


 そのとき、クロが急に首を伸ばした。


「カー……外。人の臭い。二人。鉄。汗」


 空気が一瞬で凍る。


 グリムもすぐに動いた。

 杖を取り、刃物を腰に差し直す。

 私の肩を軽く押し、壁際へ。


「黙ってる癖は置いてけ」

 グリムが低く言う。

「それでは森じゃ死ぬ。……ちなみに今から来るのは、森より性格が悪いぞ」


 性格が悪い。

 つまり人間だ。


 ---


 扉の外で、草を踏む音がした。

 ゆっくり。慎重。獣じゃない。獣ならもっと正直に踏む。


「おーい、誰かいるか?」


 男の声。

 やけに朗らかで、やけに作っている。


 グリムが扉を少しだけ開けた。

 隙間から見えるのは、外套の男が二人。猟師みたいな格好。弓と短剣。

 でも目が違う。獲物を見る目じゃない。値踏みをする目だ。


「ここは爺さんの小屋か?」

「そうだが」

「ちょっと聞きたい。王都から流れてきた女を見てないか。ほら、毒婦の――」


 毒婦。

 その単語が出た瞬間、枷が熱を増した。

 黒い糸がぴん、と張る。


 私は欠片越しに二人を見た。


 二人の胸のあたりに、薄い灰色の糸が揺れている。

「正義」の色じゃない。

「仕事」の色。

 金の匂いがする糸。


 片方の男が、笑って言った。


「賞金が出てるんだ。大司教さまのお墨付きでな」

 嘘。

 鏡の欠片が、きゅ、と冷たく鳴った気がした。

 嘘は黒く滲む。男の言葉の端が、紫黒く揺れた。


 もう片方が続ける。


「生死は問わない。――回収できりゃいい」


 回収。


 その言葉が、私の枷と同じ匂いをした。

 王都の言葉。

 人を物にする言葉。


 グリムが笑った。歯が見える、嫌な笑い。


「へぇ。猟師のくせに、随分物騒だな」

「森は危ねぇからな」

「危ねぇのは、お前らの頭だ」


 次の瞬間。


 外套の男が弓を引いた。

 弦が鳴る。矢が飛ぶ。


 私は欠片越しに、矢の糸が見えた。

 矢はまっすぐ私の胸を狙っていた。


(来る)


 身体が勝手に動いた。

 息を吐いて、横へ倒れる。

 矢が壁に突き刺さり、板がぱん、と弾けて木屑が飛んだ。


 木屑が頬を掠めて、痛い。

 痛いのに、頭が冴える。


「出たぞ!」


 男が叫び、もう一人が短剣を抜いて突っ込んでくる。

 刃が火の光を拾って白く光る。白い光は刃の光だ。

 王都の白日とは違う。こっちは、迷いなく殺しに来る白。


 グリムが前に出た。杖で男の手首を叩く。


 ごきっ。

 骨に当たった鈍い音がして、男が呻いた。短剣が床へ落ちる。


 床に落ちた短剣を見た瞬間、私は思った。


(拾えば、戦える)

(拾えば、血がつく)


 血がつくのが怖い。

 でも血がつかないまま、私は死ぬ。


 私は拾った。


 握った柄は、汗でぬるりとしていた。

 他人の手の汗。

 他人の生存の匂い。

 それが、ひどく気持ち悪い。


 男が私へ飛びかかってきた。

 私は反射で短剣を振った。


 当たった。


 柔らかい感触。

 布。肉。

 熱いものが指に飛んだ。血だ。


 男が「がっ」と声を出して膝をついた。

 太腿を押さえ、指の間から赤が滲む。赤は森の土に吸われて黒くなる。


 私は息が止まりそうになって、吐いた。

 吐かないと、喉が死ぬ。

 吐けば、私はまだ動ける。


「カー!!」


 クロが弾丸みたいに飛び、弓の男の顔へ突っ込んだ。

 狙うのは目。容赦がない。くちばしが皮膚を裂く。男が悲鳴を上げ、弓を落とす。


 弓が床に落ちた隙に、グリムが刃物を抜いて距離を詰めた。


 一瞬。

 短い刃が、男の脇腹へ滑り込む。


 ぐちっ、と嫌な音。

 男の息が途切れ、口から泡みたいな唾が飛ぶ。

 血が外套を濡らし、濡れた布が火の光を吸って黒くなる。


 グリムの目は冷たかった。

 怒りでもなく、興奮でもない。

 ただ「終わらせる」目。恐ろしいくらいに冷静だった。


 男が倒れた。

 倒れた体が枯れ葉を潰し、湿った音がした。


 私は、手の短剣を見た。

 刃に血がついている。

 血が、細い線で滴った。


 吐き気が来た。

 でも吐かなかった。吐いたら、また喉が死ぬ気がしたから。


 もう一人――太腿を切られた男が、這って逃げようとする。

 その背中に、黒い糸が伸びているのが見えた。王都へ。

 逃げたら、また来る。もっと連れて来る。


 グリムが低く言った。


「リーゼ。見るな」


 見るな。

 でも私は見た。

 見たから、分かった。


 逃がしたら、私はまた“黙って殺される側”に戻る。


 グリムが男の首根っこを掴み、森の影へ引きずった。

 影の中で、短い音がした。

 骨が折れる音じゃない。

 もっと鈍い、呼吸が途切れる音。


 私は膝が笑いそうになり、地面に手をついた。

 土が冷たい。

 冷たい土が、私を戻す。


 クロが肩に戻ってきて、羽をばたつかせた。


「カー……血。くさい。でも、よかったね」

「……うん」


 うん、しか言えない。

 言えない自分が腹立たしい。

 でも――今日は、黙っていない。

 手が動いた。息が動いた。私は生きた。


 グリムが、死体の懐から紙を引き抜いた。

 封蝋の印は王都のものじゃない。簡易なもの。裏稼業の匂い。


 グリムが読み上げる。


「回収対象:リーゼ・フォン・アスター」

「抵抗時:口潰し。生死不問」


 ……やっぱり。

 やっぱり私の喉を狙ってくる。


 喉が狭くなりかけて、私は息を吐いた。

 吐いて、欠片を握り直した。


 《真言の鏡》は、私の手の中で冷たく光っている。

 冷たいのに、さっきの血の温度がまだ指に残っている。


 グリムが言った。


「もうここは安全じゃねぇ。俺の小屋が知られた」

「……」

「お前がこの鏡を持つなら、なおさらだ。真実は追われる。……俺はその辺、よく知ってる」


 彼は少しだけ目を細めた。

 その目は、昔の何かを見ている目だった。


「行くぞ」

「どこへ……」

 声にしたつもりが、まだ掠れた息しか出ない。


 グリムは私の口の形を見て、答えた。


「月灯修道院だ」

 クロが即座に鳴く。

「カー! 修道院! パンある!」

「黙れ。パンの話じゃない」

「カー……でも大事」


 グリムが続ける。


「そこに“書く女”がいる。口じゃ勝てねぇなら、やり方を変える。紙で殴る。

 王都が怖がるのは血じゃねぇ。記録だ」


 記録。紙で殴る。

 その言葉が、胸の奥の泥に杭を打った。


 私は欠片を見た。

 嘘の糸。汚い結び目。

 そして、私の枷から伸びる黒い糸。


(もう黙らない)

(黙って、踏まれない)


 喉はまだ狭い。

 でも狭い喉でも、息は吐ける。

 吐けるなら、歩ける。


 私は頷いた。

 頷いた瞬間、枷がじり、と熱を返した。

 それでも、私は欠片を手放さなかった。


 森の夕方の光が、血の跡を淡く照らす。

 照らした光は、血を宝石にしない。

 ただ血を血として置く。


 ――これが、第一歩だった。


 私はもう、“追放された令嬢”として森に沈まない。

 《真言の鏡》と一緒に、王都の嘘を引きずり出すために歩く。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ