表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒婦にされた令嬢は紙で殴り返す  作者: 那由多


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/16

第3話 婚約破棄は、地下牢から始まる

 


 地下牢に朝は来ない。

 来ないのに、身体だけは勝手に「朝の時間」を覚えているから厄介だ。


 目を開けると、石の冷たさが先に来る。

 藁は湿っていて、毛布は薄い。息を吐くと白くなるほど寒いのに、手首の枷だけは昨夜の熱をまだ残していた。熱い、というより――焼けた痛みが居座っている。


(……最悪)


 そう思った瞬間、枷の内側がじり、と鳴った気がした。

 悪口に反応するな。腹が立つ。いや腹が立つことが多すぎて、反応していたらこっちが先に壊れる。


 鉄格子の外、足音。


 こん、こん、こん。

 上で聞く靴音より鈍い。地下の靴音は重い。重い音は、だいたい良い知らせを運んでこない。


「起きろ、毒婦」


 衛兵が鍵を回した。がちゃり、と金属の音。

 扉が開くと、松明の光が私の目に刺さる。地下の光は黄色くて、煙くさくて、眩しいというより汚い。


「立て」


 私は立とうとして、膝が少し震えた。

 震えをごまかそうと足に力を入れたら、枷が熱を返してきた。


「……っ」


 思わず息を詰める。

 痛みは相変わらず、喉まで届く。喉が狭くなると、言葉が落ちる場所がなくなる。


 衛兵が私の腕を掴んだ。革手袋の縫い目が皮膚に食い込む。


「今日が“裁き”の日だ。お前の晴れ舞台だな」


 晴れ舞台。

 王都の冗談は、いつも人の命を笑う。


 私は言い返したかった。

 殿下の喉に絡んだ糸を見た。ミレイユの指輪が跳ねた。紫黒の糸が落ちた。――それが真実だ、と。


 でも喉が動かない。

 動かない喉を、私は自分で憎んだ。


(黙る癖……やめたいのに)


 やめたいのに、やめられない。

 癖は、命を守るために身についた鎖だから。


 ---


 階段を上がると、空気が変わった。


 湿った冷気が薄まり、代わりに香水の匂いが混ざる。花の甘さと、獣脂の重さ。王都の匂い。

 そして、光が増える。増える光は、心の逃げ道を減らす。


 扉が開いた瞬間――白日が来た。


 目が痛い。

 床の大理石が光を跳ね返し、天井の高さが光を増幅させる。

 白日は「清らか」を名乗るくせに、私の喉を殺しにくる。


 広間は、人で埋まっていた。


 絹の擦れる音。宝石の反射。笑い声。

 それらが一斉に止まる。私が入った瞬間に、止まる。


 私は見られている。

 人間じゃなく、“札”として。


 壇上に、セドリック殿下が立っていた。

 昨日までの優しい顔ではない。今日の顔は“王太子の顔”。整った表情で、整った言葉を言う準備ができている。


 その隣に、ミレイユ。


 白いドレス。完璧に整った髪。完璧な涙目。

 でも、指輪の光だけが濁っていた。澄んだ金じゃない。濁った金。

 そこから伸びる糸は――紫がかった黒を混ぜて、汚い結び目を作っている。


 私は、目を細めなかった。

 今日は、逸らさない。


「リーゼ・フォン・アスター」


 殿下が私の名を呼んだ。

 呼ばれた名が、広間の壁で反響する。

 その反響が、昔の私なら「光栄」に聞こえただろう。


 今は、首輪の音にしか聞こえない。


「君は、王太子妃候補として――」


 殿下が言いかけて、唾を飲み込んだ。喉が鳴る。

 あの喉の音が、昨日の「ひゅ」を連れてくる。

 私は一瞬、殿下の喉元に目を向けた。


 糸が見えた。

 白い糸。誓いの色。

 ……でもねじれている。誰かに結び替えられた、弱い白。


(……あなたは、まだ飲み込んでる)


 殿下は目を伏せず、言葉を続けた。


「――しかし、毒殺未遂という重大な罪を犯した」


 広間がざわりと揺れた。

 ざわめきは波みたいで、私の足元を濡らす。濡れると、立っているのが難しくなる。


「よって、ここに婚約を破棄する」


 婚約破棄。


 その言葉は、頭より先に身体に落ちた。

 胸の奥が冷える。喉がぎゅっと縮む。

 縮んだ喉に、私は言葉を通そうとした。


「違――」


 声が出ない。


 出ない声が、私の中で腐る。腐ると、怒りになる。

 怒りは熱い。熱いのに、外へ出ない。


 ミレイユが、泣きながら言った。


「リーゼ様……どうして、こんなことを……。私は……私は、殿下をお守りしたかっただけなのに……」


 守りたかった。

 あの日、喉を守れなかった人間が言う台詞だ。


 私はミレイユを見た。

 彼女の糸が、私の枷へ向かって黒く伸びているのが見えた。

 見えたから、私は言った。


「あなたが――」


 枷が燃えた。


 じり、と骨の芯が焦げる熱。

 私は膝をついた。視界が白く弾ける。喉が完全に閉じる。


「ほら見ろ」

 誰かが笑った。

「罪人は魔に侵されている!」

「言葉もまともに出せない!」


 違う。

 言葉を出せないのは、魔じゃない。

 私の喉が、王都の空気に慣れすぎたせいだ。


 でも、誰もそれを聞きたがらない。

 聞きたくない人間は、真実より物語が好きだ。


「リーゼ・フォン・アスター」

 大司教が淡々と言った。

「罪状を鑑み、王宮追放。爵位剥奪。財産没収。――そして森への流刑」


 森。


 その単語が、私の背中を冷やした。

 森は王都の外。

 王都の外は、命が軽い場所。


「……母上……!」


 誰かの声がした。

 振り向くと、母がいた。

 頬は青白く、唇が震えている。けれど目は必死に私を追っている。


 母の糸が見えた。薄い青。私へ伸びて、途中で何度も引っ張られている。

 引っ張っているのは――父の糸だ。父は母の腕を掴み、口元だけで「黙れ」と言っていた。


 父の糸は灰色だった。

 灰色は、諦めの色。


(……父は、私を切る気だ)


 切られる。

 それでも、私は母から目を逸らさなかった。

 逸らさないで、口の中だけで言った。


(ごめんなさい)


 母は、その口の動きだけで泣いた。

 泣いたのに、声は出さない。

 母もまた、王都の喉を持っている。


 ---


 私はそのまま、引きずられるように外へ出された。


 広間の白日から、回廊の白日へ。

 回廊の白日から、城門の白日へ。

 白い光が私の影をくっきり落とすたび、私は思う。


(王都は、影を逃がさない)


 荷車に投げ込まれた。背中が板に当たり、息が漏れる。

 枷の鎖が鳴る。金属音が、私の心臓の音に混じる。


「食い物だ」

 衛兵が乾いたパンを一切れ投げた。

 硬いパンが頬に当たり、床に落ちる。


「……ありがたく噛んで死ね」


 笑い声。

 荷車の扉が閉まり、車輪が動き出す。


 王都の石畳が遠ざかる。

 パン屋の匂いが遠ざかる。

 噴水の光が遠ざかる。


 代わりに、土の匂いが来た。

 湿った草の匂い。

 そして、遠くで黒い線のように森が見え始める。


 森の上を、一羽のカラスが飛んでいた。


 黒い羽が光を拾って、縁だけが銀に光る。

 それが妙に目に残った。

 たった一羽の黒が、白い世界に刺さっているみたいだった。


 ---


 夕方、荷車は森の手前で止まった。


 扉が開き、冷たい風が入る。

 風は土の匂いを運び、同時に“何かがいる匂い”も運んだ。獣。湿り気。腐葉土。

 王都の香水より、ずっと正直な匂い。


「降りろ」


 私は足から地面に落ちた。

 足首がぐらりと揺れ、膝が土を掴む。

 土が湿っていて、冷たい。

 冷たいのに、なぜか息がしやすい。


「ここから先はお前の庭だ、毒婦」

 衛兵が言い捨てる。

「戻ってきたら、首を落とす。……まあ、戻れないだろうけどな」


 荷車が動き出す。

 車輪が土を噛み、音が遠ざかる。

 白い光も遠ざかる。


 私は森の入口に一人残った。


 手首の枷は重い。

 喉はまだ狭い。

 でも、空は広い。

 広い空に、さっきのカラスが旋回している。


(……私は、どうする)


 生きる。

 生きて、言葉を取り戻す。

 そう決めたいのに、決めるだけの力が足りない。


 そのとき、背後で、枯れ枝が折れる音がした。


 ぱき。


 私は振り向く。

 木々の影の中から、杖をついた老人が出てきた。背は低い。髭はぼさぼさ。目だけが妙に鋭い。

 粗末な外套の裾に、泥がついている。

 王都のどの貴族よりも汚れていて、王都のどの人間よりも生きている顔だった。


 老人が、私の手首の枷を見て鼻で笑う。


「お嬢さん」

 声は低く、乾いている。

「その鎖、喉まで繋がってるだろ」


 私は息を呑んだ。

 この人は――分かるのか。


 老人は杖の先で地面をとん、と叩いた。


「生きたいか」

「……」

「生きたいなら、まず息を吐け。吸うな。吐け」


 私は、言われた通りに息を吐いた。

 吐くと、喉が少しだけ開いた。


 老人が、歯を見せて笑った。

 笑いは乱暴で、でも妙に温かかった。


「よし。じゃあまず飯だ。話はそのあと」


 ——こうして私の流刑は、終わりじゃなくて“始まり”になる。



月水金土18時30分に投稿予定です。次回もよろしくお願いします。



↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

ありがとうございます。


もし少しでも

「おもしろい」

「この先が気になる」

「続きを読みたい」

と感じていただけたなら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】をタップして【★★★★★】をつけていただけると、とても励みになります。


これからも楽しんでいただけるよう更新を続けますので、引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ