第2話 「毒婦」の札が貼られる音
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セドリック殿下の喉が鳴った瞬間、茶会の部屋が“別の場所”になった。
さっきまで、砂糖菓子の山と紅茶の湯気と、ステンドグラスの色影で飾られていた空間が、いきなり「誰かを裁くための舞台」に変わる。
王都は、こういう変身が早い。人の命が空気よりも軽いから。
殿下は椅子から半身を浮かせ、喉を両手で押さえた。指の隙間から、空気を求めるみたいに息が漏れる。
「ひゅ……っ、……っ」
音は小さいのに、耳にこびりつく。
あの音は、喉が「助けて」と言ってる音だ。
「殿下!!」
誰かが叫んだ。誰かが椅子を引く音がした。銀器が倒れて「からん」と鳴り、紅茶が床にこぼれる。琥珀色の液体が白い大理石を濡らして広がり、陽光を拾ってやたら綺麗に光った。
綺麗、というのが最悪だ。
手遅れの瞬間ほど、王都の光は美しい。
ミレイユが駆け寄った。白い袖が翻り、香水が甘く濃く漂う。
彼女の口元は震えているのに、声だけはよく通る。
「どうして……! 殿下、しっかりして!」
私は立ち上がろうとして、足がもつれた。
心臓が早い。喉が狭い。口を開けても、言葉が出ない。
(言え。今ならまだ、言えば――)
私はテーブルの上の殿下のカップを見た。
紅茶の表面は揺れて、ステンドグラスの色影が歪んでいる。そこに、さっき見た紫黒の糸は――もう溶けて見えない。
でも、見えなくなっただけだ。
見えないものほど、王都では強い。
「リーゼ様……?」
ミレイユが私を見た。
泣きそうな顔。清らかな顔。
そして、その奥で一瞬だけ、紫がかった黒が揺れる。
「さっき……殿下のカップに近づいて……何か言いかけていましたわよね」
その一言が、部屋の空気を“決めた”。
「……え?」
「確かに」
「リーゼ様が一番近かった!」
「毒……? 毒を入れたのか!?」
声が重なる。糸が絡まる。
疑いの糸が、私に向かって一斉に伸びる。灰色。濁った灰色。そこに少しだけ黒が混じる。嘘が準備を始める色だ。
私は口を開いた。
「違う――」
出た声は、自分でも驚くほど小さかった。
小さい声は、王都では「無い」と同じだ。
衛兵が踏み出した。槍先が白日を拾ってぎらりと光る。
その光が、私の喉をさらに狭くした。
「リーゼ・フォン・アスター。毒殺未遂の嫌疑。――その場から動くな」
私は動かなかった。
動けなかった、が正しい。
(言え、言え、言え、言え……)
殿下の喉がまた「ひゅ」と鳴った。
その音のたびに、私の胸の奥が縮む。
そのとき、誰かが私の腕を掴んだ。
痛いくらい強い指。革手袋の縫い目が皮膚に食い込む。
私は反射で振りほどこうとして――背中に硬い衝撃が来た。
槍。
衛兵の槍が、私の背中を打った。
身体が前へ折れて、床へ落ちる。石の冷たさが頬に当たり、息が一瞬止まる。
「っ……!」
見上げると、白い光が眩しかった。
眩しさの中で、私の影が床にくっきり落ちている。逃げ場のない影。
「抵抗するな」
衛兵が腕を捻る。肩がきしむ。痛みが走る。
痛い。痛いのに、痛みのおかげで私は現実にしがみつけた。
(痛い……でも、毒よりはマシだ)
最低な比較をしてしまう自分が嫌で、さらに息が詰まる。
「殿下、侍医を! 今すぐ!」
誰かが叫び、足音が駆けていった。
ミレイユが私を見下ろした。
白いドレスの裾が、紅茶の雫を踏んでほんの少しだけ濡れている。完璧な白に、ほんの小さな汚れ。
その小さな汚れを、私は見逃さなかった。
ミレイユは小さく、私にだけ聞こえる声で言った。
「……どうして、黙っていたの?」
――知ってるくせに。
――見えたくせに。
――言えたくせに。
私の喉が、今度こそ完全に死んだ。
---
白い部屋に連れて行かれた。
茶会の部屋の“美しい”白とは違う。
ここは、壁も床も窓枠も、全部がやたらと整いすぎている白。人の体温が似合わない白。匂いも薄い。香水すら薄い。薄いのに、息苦しい。
机の向こうに座ったのは、宮廷の法務官だった。痩せた顔に、磨いた言葉を貼り付けた男。羽ペンを指で回して、目だけで私を測る。
「リーゼ・フォン・アスター。動機は?」
動機。
王都は、結論を先に置くのが大好きだ。
毒殺未遂と決めた上で、“それっぽい理由”を探してくる。
「私は――」
口を開いた瞬間、衛兵が私の後頭部を押さえつけた。
額が机に当たり、「ごん」と鈍い音がした。星が散る。眩しさが目の奥に残る。
「余計なことは言うな」
押さえつける声が冷たい。
冷たいのに、雑だ。雑な暴力は、相手を人間として扱わない。
私は息を吐いた。吐かないと泣きそうだった。
泣くと、王都は「効いた」と思う。
効いたと思われたら、もっと踏まれる。
法務官が続ける。
「殿下はあなたを庇ってきた。それなのにあなたは、殿下の側近であるミレイユ嬢を妬み――」
妬み。
この言葉が出た瞬間、部屋の空気が楽になるのが分かる。
便利な動機が来た。
みんなが理解できる(した気になる)動機が来た。
女同士の嫉妬という、王都が大好きな物語が来た。
私は言いたかった。
違う。
ミレイユが落とした。
指輪の光が跳ねた。
紫黒の糸が――
でも、言葉にするほど喉が狭くなる。
「見えた」と言えば、「証拠は?」と返される。
「糸」と言えば、「狂った」と笑われる。
(私は、何を武器にすればいい?)
答えは分かっている。
武器は“証拠”だ。
でも今、私は素手だ。
法務官が微笑んだ。
微笑みは礼儀正しく、礼儀正しいぶんだけ残酷だった。
「あなたは、毒を入れたのですか?」
私は口を開いた。
そして――
「……」
声が出ない。
出ないのは、魔法のせいじゃない。
私の癖だ。沈黙の癖。
生き残るために身につけた癖が、いま私を殺す。
法務官は、その沈黙を“肯定”として記録した。
羽ペンが紙を走る。さらさらと軽い音。
その音が、私の首を締める縄の音に聞こえた。
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その夜、地下へ落とされた。
階段は湿っていて、壁から水が染み出している。松明の火が揺れ、石の影が伸び縮みする。
地下の匂いは、金属とカビと、人の諦めの匂いだ。
牢の扉の前で、衛兵が私を突き飛ばした。肩が壁に当たり、息が漏れる。
「入れ」
中は狭い。藁が少し、薄汚れた毛布が一枚。
そして――床に鎖。
私は反射で後ずさりしかけた。
でも背中は鉄格子。逃げ場がない。
衛兵が黒い枷を取り出した。
黒い金属。鈍い光。
表面に、細かい刻印が走っている。文字ではない。嫌な模様。見ているだけで、目が疲れる模様。
「魔封じだ」
衛兵が言った。
魔法を使った証拠もないのに、当然のように。
私は抵抗した。
抵抗した瞬間、腹に鈍い衝撃が来た。拳だ。
息が「ぐっ」と潰れ、胃がひっくり返りそうになる。
痛い。
痛いのに、私は歯を噛んだ。呻き声を出したら負ける気がした。
衛兵が私の手首を掴み、枷をはめた。
かちり、と金属が噛み合う音。
その音は、罠の音に似ていた。
次の瞬間、熱が走った。
じり、と骨の芯が焦げるみたいな熱。
痛みが皮膚の内側から爆ぜて、私は思わず声を上げかけ――上げられなかった。喉が閉じた。
「……っ、……!」
口を開けても、音が出ない。
音が出ないのに涙が出る。涙が熱い。熱い涙が頬を伝って、地下の冷気で冷える。
「よく似合うな、毒婦」
衛兵が笑った。
笑いが軽い。軽い笑いほど、刺さる。
扉が閉まった。鉄が噛み合う音。がちゃり。
闇が戻る。松明の光が遠ざかり、影が濃くなる。
私は床に膝をついた。
手首の枷が熱い。熱いのに冷えていく。
痛みと冷えが一緒に来る。これが王都の優しさだ。痛みを長持ちさせる。
そして、私は見た。
枷から、黒い糸が伸びている。
紫がかった黒。嘘の色。支配の色。
糸は上へ、上へ、王宮の白い光の方へ伸びていく。
(繋がってる……)
私は、ようやく理解した。
追放や牢獄は「切断」じゃない。
“繋いだまま、腐らせる”ためのやり方だ。
鉄格子の向こうの廊下で、衛兵の会話が聞こえた。
「殿下は助かったそうだ」
「良かったな。明朝、殿下自ら婚約破棄だと」
「毒婦の処分も早いだろうな」
婚約破棄。
その言葉が、喉の奥を冷たく撫でた。
冷たいのに、妙に現実的で、私は笑いそうになった。
(……守るって言った喉は、やっぱり守らない)
涙が出た。
でも私は、泣き声を出さなかった。
枷が熱いからじゃない。癖だからだ。
癖は、私を生かした。
同時に、私を殺す。
私は暗闇の中で、手首の枷を握りしめた。
縁が皮膚に食い込み、痛い。
痛いのに、その痛みがありがたい。
痛みだけが、まだ私をここに繋いでいる。
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