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毒婦にされた令嬢は紙で殴り返す  作者: 那由多


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第16話 回収車の灯りは、灰の街でやたら白い

 

 灰市の夜は、昼より静かで、昼よりうるさい。


 静かなのは、人が喋らなくなるから。

 うるさいのは、音が残るからだ。


 炭の匂い。油の匂い。湿った紙の匂い。

 路地の奥からは鍋の煮える音、どこかの二階からは夫婦喧嘩の声、猫の喧嘩、子どもの泣き声。

 全部が煤に濾されて、鈍い色になって耳へ入ってくる。


 私はその鈍さが嫌いじゃなかった。

 王都の白日は、音まで白く見せて嘘を混ぜる。

 灰市の音は、汚いまま生きてる。


 エレナが、写し屋ユストの二階の床に膝をついたまま、封筒の束を撫でた。

 封蝋の赤は、灯りの下でも派手に光らない。血の色ほど静かだ。


「……準備、確認する」


 エレナはいつもの“紙の声”で言った。


「私は誓写紙を二枚。封蝋一つ。印章は修道院の月と糸。

 ロッテは足。逃げ足と、手。鍵と、奪う手。

 リーゼは鏡。糸を切る役。……そして」


 一拍置いて、エレナは私を見た。


「声。声で判断して、声で指示する役」


 声。


 その言葉が、喉の奥で小さく鳴った。

 私はいまだに声を“借り物”みたいに感じる。

 出せるのに、いつ奪われるか分からない怖さがある。


 でも、怖いと言える喉は、もう死んでいない。


「……分かった」


 言うと、ロッテが隣で小さく頷いた。

 今日のロッテは“煤だらけの少年”のままだ。髪を短く隠し、頬に煤を塗り、声も少し低く作っている。

 でも、その目は修道院のころのままだった。


「回収車、表通りじゃなく、裏の川沿いを通ります」

 ロッテが言う。

「白い外套が二人。犬が一匹……いえ、二匹。あと、荷台に箱が三つ。……鳥の檻、あります」


 檻。


 その単語だけで、胸がきゅっと縮んだ。

 肩が軽い。軽すぎる。そこにいたはずの重さがない。


 私は息を吐いた。吐いて、鏡の欠片を胸元で握る。

 冷たい。冷たいのに、黒い糸がぷる、と震えた。

 クロの糸だ。生きてる糸だ。


「……今夜で終わらせる」

 私は呟いた。

 声が低くなる。低い声のほうが、怖さをごまかせる。


 ロッテが、小さな布袋を差し出した。


「これ……パンです」

「……パン?」

「犬用です。……あと、鳥用でも」


 ロッテは一瞬だけ、笑いそうな顔をした。

 でも笑わず、すぐに唇を引き結ぶ。


「クロ……パンが好きだったから」


 胸の奥が痛んだ。

 痛いのに、温かい。

 ロッテは“逃げ足”だけじゃない。こういうところが強い。


「ありがとう」

 私は言った。

 “ありがとう”が出た瞬間、喉が少しだけ広がった。言葉は筋肉だ。使えば開く。


 エレナが短く言う。


「行く。時間よ」


 ---


 川沿いの路地は、灰市の中でも暗かった。


 灯りが少ない。

 水面が黒く、黒い水がわずかに月を映す。月は鈍い。煤に濾された月だ。


 その暗がりに、白いものが入ってくると、街が一瞬だけ息を止める。


 ――回収車の灯りだった。


 白い灯り。

 松明の橙じゃない。月光でもない。

 均一で、冷たくて、影を殺す白。


 白い灯りが路地へ差し込んだ瞬間、濡れた石が銀色に光り、川の黒い水さえ白く見えた。

 白は、何でも自分の色にする。だから嫌いだ。


「……来た」


 ロッテが囁く。

 私は息を吐き、屋根の影から覗いた。


 回収車は小さい。

 でも荷台は頑丈で、鉄の縁があり、箱が鎖で固定されている。

 白い外套が二人、外套じゃない男が二人、犬が二匹。

 そして荷台の端に、確かに檻が見えた。


 檻の中に、黒い塊。

 羽が乱れている。

 でも、目が光った。私の方を見た。


(クロ)


 胸の奥が、ぐらりと揺れた。

 揺れた瞬間、喉が狭くなりかける。

 私は吐く。吐く。吐く。


「……姫さん、遅い」


 聞こえた。

 聞こえた気がした。

 いや、聞こえた。小さく、でも確かに。


 ロッテが先に動いた。


 煤だらけの少年のまま、路地の端へふらりと出る。

 肩を落とし、腹を押さえ、いかにも“腹を空かせた小僧”の歩き方。


「へへ……おっちゃん……その光、すげぇな」


 番の男が眉をひそめる。


「近づくな」

「へへ、わかってる。……でもさ、犬、腹減ってるだろ。これ」


 ロッテが布袋を投げた。

 ころん、とパンが転がる。

 犬が反射でそっちへ向く。


「待て!」

 男が怒鳴る。

 犬は一瞬迷って、でも腹が勝った。パンに飛びつく。


 その瞬間、回収車の列が一拍だけ乱れた。


 ――今だ。


 私は屋根から落ちるように、影の中へ滑り降りた。

 足が石に当たり、痛い。

 でも痛みは“動いた痛み”。止まらない。


 白い灯りが近い。

 近い光は、目の奥を刺す。

 私は目を細めない。吐く。吐いて、影へ入る。


 《真言の鏡》の欠片を握り、視界を暗くする。


 糸が見えた。


 白い灯りから、細い白い糸がいくつも伸びている。

 地面を撫で、影を剥がし、人の輪郭を拾う糸。

 その糸は荷台の中央の箱へ束になって繋がっていた。


(光の核……)


 箱の上には、封蝋の小さな印。

 白い外套の男がそれを守るみたいに手を置いている。


 私はまず檻へ向かった。

 檻の扉に、白い糸が一本、鍵みたいに絡んでいる。


 欠片の縁を当てる。


 ひやり。

 嫌がる冷たさ。

 でも押し込む。


 ぷつん。


 糸が切れた。

 切れた瞬間、檻の金具がわずかに緩む。

 錠前そのものは残るが、**呪いの締め付け**が抜けた感じがした。


「……姫さん」


 クロが檻の奥で、羽を膨らませた。

 いつものふてぶてしさが戻っているのが、逆に泣きそうになる。


「……生きてた」

 私が言うと、クロは小さく鳴いた。


「カー……生存。だがパンなし」


「今それ!?」

 声が漏れた。

 笑いそうになって、笑えなくて、胸が痛い。


 ロッテが屋根の影から小さく手を振る。

 鍵だ。

 彼女が何かを投げた。小さな金具。


(盗んだな……!)


 道徳が喉まで出かけて、引っ込んだ。

 今は順番。生き残る順番。


 私は金具で錠前をこじる。

 手が震える。震えると音が出る。音が出ると死ぬ。


 吐け。吐け。


 息を吐きながら指を動かすと、震えが少しだけ収まる。

 かちり。

 錠前が外れた。


 扉が開く。


 黒い塊が、飛び出した。


「カーッ!!」


 クロは私の肩に飛び乗らず、まず――番の男の顔へ飛んだ。

 狙うのは目。容赦がない。

 くちばしが皮膚を裂き、男が「うわっ!」と叫んで顔を覆う。


 その隙に、私は荷台へ潜った。


 荷台の床板の隙間から、うめき声がした。


「……っ、……」


 人の声。

 老人の声。

 喉が擦れる声。


 背中が冷えた。


(まさか)


 私は板の隙間に指を突っ込み、力いっぱい引いた。

 爪が割れそうに痛い。

 板が軋み、ずれ、暗い空間が覗いた。


 そこにいたのは――


 縛られた老人。

 髭が乱れ、口元が乾き、目だけがまだ生きている。


 グリムだった。


「……リー……ゼ……」


 名前を呼ばれた瞬間、胸が壊れそうになった。

 生きてた。

 生きてたのに、こんな場所で、喉を縛られて、回収されている。


「……っ」


 声が出ない。

 出ないんじゃない。出したら、泣く。泣いたら、足が止まる。


 私は息を吐いた。吐いて、喉を開く。


「……生きてる」

「……当たり前……だ」


 グリムの声は掠れているのに、いつも通りの悪態の形をしていた。

 その形が、今の私には救いだった。


(救う)


 ここで逃げたら、私はまた“送られる側”に戻る。

 私はもう、送られっぱなしで終わりたくない。


「リーゼ!」


 エレナの声が、屋根の上から落ちてきた。

 合図だ。敵が気づく。


 実際、白い外套の男が叫んでいた。


「檻が開いている! 鳥が――!」

「光を寄越せ! 探せ!」


 白い灯りが強くなる。

 影が剥がれる。

 私の輪郭が、路地の真ん中に浮く。


(バレる)


 でも、もう遅い。

 私は決めた。


「……グリム、帰るよ」

「……へぇ……」

 グリムが笑った。

「……返事が……早いな」


 返事。


 その言葉が、胸の奥で燃えた。

 燃えた火は、逃げる火じゃない。動く火だ。


 ---


 私は《真言の鏡》の欠片を握り、グリムを縛っている糸を見た。


 白い糸。太い。束。

 喉に絡む糸。手首に絡む糸。

 回収の糸。


 欠片の縁を当てる。


 冷たい。

 嫌がる冷たさ。

 でも押し込む。


 ぷつん、ぷつん、と音のない切断が連続した。


 糸が切れるたび、グリムの身体がわずかに緩む。

 息が通る。

 喉が鳴る。

 その音が、生きてる音だ。


 しかし――


「そこだ」


 落ち着いた声が、路地の端から響いた。


 白い外套の男たちが道を開け、そこに立っていたのは――レグナードの部下、いや、部下より格が上の男だった。

 鎧の縁が白い灯りを拾い、やたら綺麗に光っている。

 そして腰に、封蝋の印章のついた筒。命令書の筒。


 男は笑った。笑いが軽い。軽い笑いほど刺さる。


「鏡も鳥も老人も。……まとめて回収できるとは」


(こいつは……)


 私は息を吐いた。吐いて、声を出す。


「……あなた、嘘つき?」

 男が眉を上げる。

「失礼だな」

「じゃあ、誓写紙に言ってみて」

 私の言葉の後ろで、エレナが屋根の上から誓写紙を投げた。

 ひらり、と灰の上に落ちる。


 男が一瞬だけ動揺した。

 動揺は嘘の匂いだ。


 男は無理に笑う。


「俺は正規の執行官だ」


 誓写紙の端が、じわ、と黒く滲んだ。


 男の顔が、初めて歪んだ。


「……チッ」


 その瞬間、私は確信した。


(ここで、取れる)


 エレナが屋根の上から冷たく言う。


「名前」

 男が歯を見せた。

「……名前を知ってどうする」

 黒が濃くなる。


 エレナの声が落ちる。落ちた声は刃より怖い。


「答えなさい。――あなたの嘘を、紙に固定する」


 男の目が揺れた。

 揺れる目は、生き残りたい目。


「……イザーク」

 黒が止まった。銀が薄く光った。


 エレナが続ける。


「雇い主」

 イザークが吐き捨てる。

「……レグナード卿」

 銀が、細く強く光る。


「そのレグナード卿は誰の命で動く」

 イザークの喉が鳴った。

「……っ」

「答えなさい」


 イザークが唇を噛み、やけくそみたいに言った。


「ミレイユ様だ! 聖女の命令だ! 鏡を回収しろ、リーゼの口を潰せ、邪魔な記録は燃やせって……!」


 誓写紙の銀が、きらり、と増えた。

 真実は派手じゃない。

 でも増えた瞬間だけ、世界が少しだけ“正しい形”に戻る。


 私は胸の奥が熱くなって、息を吐いた。

 吐いた息が震える。

 震えるのは、怖いからじゃない。怒りと、安堵と、泣きたさが混ざっているから。


「……ありがとう。今の、助かる」


 私が言うと、イザークが顔を真っ赤にして剣を抜いた。


「調子に乗るな!」


 刃が白い灯りを拾って、ぎらり、と光る。

 その光が嫌だ。

 嫌だから、私は動く。


 私は短剣を抜き、半歩ずらす。

 相手の刃は直線。直線は曲がれない。

 私は斜めに入る。


 短剣が相手の腕をかすめ、布が裂け、熱いものが飛ぶ。

 血。

 血の匂い。

 鉄の匂い。


 イザークが呻き、刃先がぶれる。


 ぶれた瞬間、クロが飛んだ。


「カーッ!!」


 狙うのは目。

 くちばしが皮膚を裂き、イザークが悲鳴を上げて顔を覆う。


 その隙にロッテが走り込む。

 小柄な身体で、荷台の箱の鎖に指を入れ、全体重をかけて引いた。


 がしゃん!


 箱が傾き、白い灯りの核――封印の箱が地面に落ちた。

 落ちた箱が割れ、白い光が一瞬だけ暴れ――


 ふっと消えた。


 影が戻る。

 灰市の暗がりが、息を吹き返す。


 暗がりが戻った瞬間、こちらの世界になる。

 森と同じだ。影が生きていれば、生き残れる。


「今!!」


 エレナが叫ぶ。

 私はグリムの腕を引っ張った。


 重い。

 老人は重い。

 でもその重さが、今は嬉しい。生きてる重さだ。


 グリムが呻く。

 呻くのに、足を出す。

 出せる。生きてる。


「姫さん……力持ちになったな」

「うるさい」

 言い返せた。

 言い返せる喉がある。


 ロッテが叫ぶ。


「こっち! 路地の裏、抜けられます!」


 私たちは走った。

 息を吐いて、吐いて、吐いて。

 影の中を走る。灰市の影は、森より人臭い。

 でも人臭い影は、人の助けも連れてくる。


 途中、ユストが店の裏口を開けて待っていた。

 顔は笑っているが、目が笑っていない。


「面倒が早いなぁ!」

「黙って開けて!」

 エレナが怒鳴る。

「はいはい!」


 私たちは裏口へ滑り込み、梯子を上がって屋根へ出た。

 屋根瓦が冷たい。冷たいのに、空気が軽い。

 街の灯りが下に広がり、灰の空がその上に乗っている。


 背後で怒鳴り声が上がる。

 でも、もう白い灯りはない。影がある。逃げ道がある。


 屋根の端で、私は立ち止まった。


 息が荒い。

 喉が痛い。

 腕が震える。

 でも――私は生きてる。


 肩に、黒い重さが戻ってきた。


 クロが羽を膨らませて言った。


「カー……遅い。だが許す。パンよこせ」

「あと」

「カー……最悪」


 最悪が戻った。

 その“最悪”が、今夜の勝利だった。


 グリムが、屋根の上で座り込んだ。

 顔は青い。唇は乾いている。

 でも目だけが生きてる。


「……返事、もらった」

 私が言うと、グリムは鼻で笑った。


「まだだ。……これじゃ、ただの“返事の途中”だ」

「途中?」

「ざまあがまだだろ」


 ……この老人、ほんとに最悪だ。

 最悪なのに、胸が痛いくらい温かい。


 ---


 ユストの二階へ戻ると、エレナは息も整えずに誓写紙を広げた。


 封蝋を溶かし、月と糸の印章を押す。

 ぬち、と封蝋が潰れる音。

 その音が、今夜の“確かさ”の音だった。


「……これで三通目」


 エレナが言った。


「ミレイユが命令した、って文字が残った。しかも本人の名前が出た。……もう“嫉妬の毒婦”の物語では逃げられない」


 私は鏡の欠片を布に包み、胸元へ押し込んだ。

 冷たさが、私の熱を少し冷ます。


 ロッテが小さく言った。


「……明日、王都でミレイユ様、婚約の発表をするって噂が」

「……発表」

「はい。殿下が助かったから、もう“清らかな聖女”が隣に立つのが自然、って……」


 王都は物語が好きだ。

 好きだから、嘘を飲む。

 飲んで、吐かない。


 でも、私は吐かせる。


 私は息を吐いて、言った。


「……行く」

 エレナが顔を上げる。

「王都へ?」

「うん。逃げるのはもう終わり。……証拠がある。ロッテが繋いだ銀月記録院もある。クロもいる。グリムも――」


 言いかけて、グリムを見る。

 彼は痛そうに笑った。


「俺はオマケだ」

「オマケがうるさい」

「うるさいのは元気だ」


 クロが肩で鳴く。


「カー! 王都! パン多い!」

「そこじゃない」

「カー……でも大事」


 エレナが、珍しく少しだけ笑った。笑いはほとんど息だった。


「……第二手順ね」

 そして、目が冷たくなる。

「明日。婚約発表の場に、記録を“落とす”。王都の白日で、嘘を黒くする」


 私は頷いた。

 頷ける喉がある。

 それだけで、私はもう昔の私じゃない。


 胸の奥の暗闇は消えていない。

 消えないから、武器にする。


 私は小さく、でもはっきり言った。


「――今度は、私が物語を終わらせる」


 窓の外、灰市の鈍い月が雲に隠れた。

 その代わりに、遠く王都の尖塔が、白く光っているのが見えた。


 偉そうな白。

 刺す白。


 私は目を逸らさなかった。

 息を吐いて、白を見つめ返した。


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