表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
毒婦にされた令嬢は紙で殴り返す  作者: 那由多


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/16

第14話 心の暗闇は、声の形をしている

 


 夜明け前の森は、色が少ない。




 空の端が薄く白んでいるのに、木々の間はまだ黒い。

 黒いまま、冷たい。冷たいまま、静かだ。

 静かだから、私の呼吸の荒さが目立つ。呼吸が目立つと、「生きてる」がうるさい。


 私は歩きながら、何度も喉に手を当てた。

 もう熱はない。枷が燃えて私を黙らせるあの痛みは、切った。切れた。

 なのに、喉の奥がずっと狭い。



 ――狭いのは、癖だ。


 ――狭いのは、恐怖だ。


 ――狭いのは、失ったものの重さだ。



 胸元で《真言の鏡》の欠片が、ひやり、と存在を主張する。

 冷たい。冷たいのに、私の内側はずっと熱い。


「止まらないで」


 エレナが言った。

 背中の声は低く、でもぶれない。

 彼女は封筒を抱えている。誓写紙の証拠。命綱みたいに。


 私は頷いて、息を吐いた。吐いて、足を出す。

 足を出せば前へ進む。前へ進めば、後ろの地獄から少し離れられる。

 それが分かっているのに、胸の奥で何かがずっと叫んでいた。


 ――修道院。

 ――ロッテ。

 ――クロ。

 ――グリム。




 後ろに置いてきたものの名前は、言うほど重くなる。

 重くなるほど、足が止まりたがる。


 肩が、軽い。


 クロがいない。

 いつもなら「カー」とうるさく、最悪のタイミングでパンの話をして、腹立つほど生きていたのに。

 今は、空白だけがある。


 その空白が、一番怖い。


 ---


 私たちは、倒木と岩が寄り添うようにできた小さな窪みに身を潜めた。

 外から見ればただの影。中は息が白くなるほど冷たい。


 エレナが封筒を膝に置き、手早く数えた。


「二通」

 それだけ言って、目を伏せた。

 冷静な言い方なのに、指先だけが少し震えている。


 二通。

 あれだけ血を吐くみたいに書いて、封して、守って――燃えた。


 私は喉の奥がきしむのを感じた。


「……私が……」


 言いかけて、言葉が詰まる。

 “私が悪い”を口にするのは簡単だ。簡単だから危ない。

 簡単な言葉は、現実を切り分けない。全部自分に押しつけて終わる。


 エレナが、私の言葉の尻尾を切った。


「違う」

 短い。硬い。

「あなたが悪いなら、あいつらは何も悪くないことになる。……それが一番の嘘よ」


 嘘。

 その一言で、鏡の欠片がひやりと冷えた気がした。


 私は息を吐いた。吐いて、地面を見た。

 土は何も言わない。

 言わないから、私が言わなきゃいけない。


「……クロ、取られた」

 声が出た瞬間、喉が痛んだ。

 熱じゃない。傷だ。内側の擦り傷。


 エレナは頷く。


「生きてる」

「……分かるの?」

「回収屋の癖。生きたまま縛って、素材として扱う。……死体は情報を吐かない」


 素材。

 その言葉が気持ち悪くて、胃がひねれる。


 私は震える手で、鏡の欠片を布から出した。

 光の少ない窪みの中でも、欠片の表面は暗い水みたいに光る。

 視界を“暗く”すると、糸が見えた。


 ――細い黒い糸。

 王都の方向へ引かれている。

 途中に白い糸が絡み、引っ張っている。


 クロの糸だ。


 糸は、たしかに生きている。

 生きている糸は、ぷる、と微かに震える。

 その震えが、胸を刺す。


(……生きてる)

(なら、取り返せる)


 その瞬間、喜びが来る前に、別のものが押し寄せた。

 ――じゃあ、私は。

 ――私は何をした。

 ――私は何を守れなかった。


 修道院の鐘。燃える匂い。ロッテの顔。

 そして、裂け目の向こうで途切れたグリムの声。


 返事を――。


 私は膝を抱えて、額を土に押しつけた。

 土が冷たい。冷たいのに、目の奥が熱い。


「……私、声が戻ったのに」

 言葉が、泥みたいに落ちた。

「声が戻ったのに、守れない」


 守れない。

 その言葉は、王都で作られた“物語”に似ている。

 “あなたは無力だから黙っていろ”の続き。


 私はその続きが、嫌いだ。

 でも嫌いなのに、口にしてしまう。


 エレナが静かに言った。


「守るって、何よ」

「……」

「あなたが一人で全部守れるなら、最初から王都は嘘を作れない。……守れないのは当たり前。だから、残す。残して、殴る」


 殴る。

 紙で殴る。

 その言葉が、少しだけ現実を整理する。


 私は、手首の赤い輪を見た。

 枷はまだある。金属は重い。

 でも、熱はない。喉も焼かれない。


 私が切ったのだ。

 私は、切れる。


「……私、怖い」

 声が出た。

 怖いと言えたことが、少しだけ救いになる。

「また、誰かが燃えるのが怖い。……私のせいで」


 エレナは少し黙って、封筒の封蝋を指で押さえた。

 その指の黒い墨が、妙に頼もしい。


「あなたのせいじゃない。……“あなたを使って燃やす奴ら”のせい」

 彼女は言った。

「責任の向きを、ちゃんと戻しなさい。戻せたら、あなたは潰れない」


 責任の向き。

 王都は、責任の矢印を一番弱いところへ刺す。

 私へ刺した。

 私は刺さったまま、黙った。


 ――もう、刺さったままにしない。


 そう思った瞬間、喉の奥に黒いものが湧いた。

 怒りじゃない。もっと粘る、泥みたいな欲望。



 誰に?


 ミレイユに。レグナードに。


 私を踏んだ連中に。


 でも、その欲望は甘い。

 甘い欲望は、私を酔わせる。

 酔えば、正しさが歪む。歪めば、私も嘘つきになる。


 《真言の鏡》が、ひやりと冷えた。

 まるで「今のは危ない」と言うみたいに。


 私は息を吐いた。

 吐いて、甘さを冷ます。


「……復讐だけで動いたら、私も同じになる」

 口にすると、少しだけ腹が落ち着いた。

 エレナが頷く。


「そう。だから“復讐”じゃなく“回収”を、あなたがやるの」

「回収?」

「奪われた人生を、奪い返す。……そのために、証拠がいる。仲間がいる。時間がいる」


 時間。

 時間は、グリムがくれた。

 血でくれた。


 喉がまた狭くなる。

 私は息を吐いて、言った。


「……グリム……」


 名前だけで胸が痛む。

 痛むから、ちゃんと残る。


 エレナは、驚くほど静かに言った。


「……あの人、昔ね」

「……」

「私がまだ小さい頃、修道院に“殴られた子”を連れてきた。顔が腫れて、でも口が達者で……」


 私の背中が冷えた。

 この話、前にも少しだけ聞いた。


 エレナは続けた。


「まあ私の話なんだけどね」

 一息で言った。

 言ってから、目を伏せる。

 伏せた目の睫毛が、蝋燭のない薄明かりで淡く影になる。


「……私の家は、回収屋と繋がってた。父が借金で、私を“返済”に出そうとした。……グリムは、その場で父を殴って、私を引きずって、修道院に放り投げた」

「……」

「優しいやり方じゃない。私、ずっと嫌いだった。……でも、今なら分かる。あれがなかったら私は紙にも触れなかった」


 声が少しだけ震えた。

 震えは弱さじゃない。痛みを抱えたまま喋っている証だ。


 私は、胸の奥がじわっと熱くなるのを感じた。


(グリムは、送る人だった)

(殴ってでも、生き残らせる人だった)


 だから最後も、私を送った。

 返事を、生き延びることで寄越せと言った。


 生き延びる。

 それが、今の私の仕事だ。


 ---


 外で、枝を踏む音がした。


 ぱき。

 すぐ近い。


 私とエレナは同時に息を止め――止めかけて、吐いた。

 止めたら固まる。固まったら死ぬ。

 吐けば、動ける。


 鏡の欠片を握り、糸を見る。

 窪みの外に、薄い白い糸が一本、地面を撫でるように伸びていた。


 白日術の触手。

 こちらを探している。


(近い)


 エレナが封筒を抱え直し、口を動かさずに言った。


「動く。今」

 私は頷いた。

 頷いて、息を吐いて、身体を低くしたまま窪みから滑り出た。


 森の影はまだ残っている。

 でも白い光が、ところどころに斑に落ちている。

 斑の白は、獣の目みたいにこちらを探す。


 白い糸が、地面を這って私たちへ伸びる。


(切る)


 私は鏡の欠片の縁を、糸へ当てた。


 ひやり、と欠片が冷える。

 嫌がる冷たさ。

 でも押し込む。


 ぷつん。


 糸が切れて、白い光の斑が一瞬揺らいだ。

 揺らいだ隙に、私たちは根の影へ滑り込む。


 息を吐く。吐く。吐く。

 吐きながら走る。走れば、私の足が私を守る。


 そのとき、遠くで角笛が鳴った。

 ぶおお――。


 白い光が強くなる。

 術者が苛立って光を押し込んでくる。

 苛立つのは、こちらが“ただの獲物”じゃないと分かったからだ。


 エレナが低く言った。


「もう森だけじゃ逃げ切れない。……次は人の中に混じる」


 人の中。

 村。街。

 王都に繋がる道。


 喉がきゅっとなる。

 私は人の目が怖い。札を貼られるのが怖い。

 でも、怖いと言って立ち止まったら、全部が終わる。


 私は息を吐いて、言った。


「……どこへ」

灰市はいし

 エレナが答えた。

「王都の外縁にある雑多な街。写し屋がいる。印章職人もいる。……紙を増やして、嘘の逃げ道を塞ぐ」


 灰市。

 灰――燃えた跡の色。

 燃えた跡の色で、私たちは火に勝つ準備をする。


 矛盾しているのに、妙にしっくり来た。


 私は鏡の欠片を布に包み、胸元へ押し込んだ。

 その冷たさが、私の熱を冷ます。

 冷ますことで、足が前へ出る。


 最後に、もう一度だけ糸を見る。


 クロの黒い糸は、王都へ引かれている。

 でも――ぷる、と震えた。

 震えが、まるで「生きてるぞ」と返事をするみたいだった。


 私は小さく言った。


「……待ってて」


 声が出る。

 声が出るなら、届く。

 届くまで、私は歩く。


 エレナが封筒を抱え直し、私の横に並んだ。


「リーゼ」

「……うん」

「あなたの暗闇は、声になる。……声になったら、紙にできる。紙になったら、燃やされても残る」


 私は息を吐いた。

 吐いて、頷いた。


 暗闇は消えない。

 消えないから、武器にする。


 ――そして、返事をする。


 生き延びることで。

 取り返すことで。

 嘘を、形のまま殴ることで。


 夜明けの光が、森の端を淡く照らした。

 白日ほど傲慢じゃない、逃げ道のある光。

 その光の中を、私たちは歩き出した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ