第1話 白日の茶会で、私の喉が死んだ
初めまして。那由多と申します。2月の新作を投稿します。全部で20話です。
月水金土の18時30分に投稿いたします。
よろしくお願いします。
王都の朝は、時折腹立たしい気分になる。
理由は簡単で、光がやたらと偉そうだからだ。
東向きの大窓から差し込む白日が、絹のカーテン越しでも容赦なく部屋を照らす。大理石の床に反射した光は、目に刺さるというより「お前は逃げられないぞ」と言ってくる。
……いや、光に人格があるわけじゃない。
でも王都にいると、物理現象まで偉く見えるから困る。
「リーゼ様、髪はこのまままとめますか?」
侍女のミナが、私の背後で丁寧に櫛を通す。櫛が髪をすく音は柔らかいのに、彼女の声は少し硬い。今日が“王太子殿下の茶会”だと分かっているからだ。
「いつも通りでいいわ」
私は鏡の中の自分を見つめた。
完璧に整った顔。完璧に整った笑顔。完璧に整った令嬢。
……それが、私の生き方。
波風を立てない。
余計なことを言わない。
無難に笑う。
王都で“上手く生きる”って、だいたいそういうことだ。
ただ――私には、ひとつ厄介な問題がある。
私は、人の“糸”が見える。
目に見えない、細い糸。
誰が誰を操っているか。誰が嘘を吐いているか。誰の言葉が誰の胸に刺さったか。
感情や誓いが結び目になって、ふわりと空気の中に残る。
最初は子どものころだった。母が父に「大丈夫」と笑ったとき、笑顔の裏から灰色の糸が落ちた。
あれが嘘の色だと、私は知ってしまった。
母はその夜、私の頬に手を当てて言った。
『リーゼ。目を細めなさい』
『見えるものを全部見ようとすると、あなたの心が先に壊れる』
守るための言葉だった。
だから私は従った。従って、上手になった。
見えるのに、見ない。
知っているのに、言わない。
そのせいで――今、私はここにいる。
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茶会の会場へ向かう回廊は、いつもより白かった。
壁も床も、磨き上げた石が光を跳ね返す。
歩くたびに靴音が「こん、こん」と乾いて響く。
王宮は静かなのに、音がうるさい。矛盾しているけど、王都ってそういう場所だ。
角を曲がったところで、王太子セドリック殿下が待っていた。
鎧は磨かれていて、肩の飾り紐は左右対称。髪も整っていて、笑顔も整っている。
――でも、喉元だけが妙に硬い。
顎を引いて、唾を飲み込む回数が多い。
“緊張している”というより、“何かを飲み込み続けている”みたいな動き。
「リーゼ、来てくれてありがとう」
優しい声。
私は礼をして、笑った。いつもの角度で。
「殿下の茶会に招かれて光栄です」
この言葉が、どれほど空っぽか。
空っぽでも、王都では正しい。正しいから安全だ。
セドリックは私の手を取ろうとして、ほんの少し躊躇した。
その一瞬が、彼の糸を揺らす。
私には見えてしまう。
彼の糸は白い。誓いの色。……なのに、途中がねじれている。
ねじれは迷い。
迷いは、誰かの手。
「……今日、ミレイユも来る」
殿下が言う。
私は頷いた。
ミレイユ。
王都の“光”みたいな女。
誰もが好きになり、誰もが守りたがる、いわゆる聖女枠。
(――正直、私はああいう“全員に好かれる仕様”が苦手だ)
そう思った瞬間、自分の心の小ささに苦くなる。
でも、苦いのは嫌いじゃない。苦味は現実だ。
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茶会の部屋は、ステンドグラスの光で彩られていた。
赤と青と金が、白いテーブルクロスの上をゆっくり泳ぐ。
銀器が光を跳ね返し、砂糖菓子が山のように盛られて、表面がきらきらする。
紅茶の湯気は薄い絹みたいに立ちのぼって、甘い香りが鼻の奥を満たした。
美しい。
美しいから――嫌な予感がする。
ミレイユは、その中心にいた。
白いドレス。
光を吸ってから返す布。
笑うと、その場の空気が一段明るくなるような顔。
彼女が微笑むたび、周囲の糸が一斉に彼女へ伸びるのが見えた。
薄桃色。薄金色。淡い白。
好意の色。
……好意は温かいはずなのに、王都の好意は冷たい。
条件付きだからだ。
「リーゼ様。お久しぶりですわ」
ミレイユが私に微笑んだ。
綺麗で、角のない微笑み。角がないものほど、刃を隠す。
「森の香りがいたしますのね。王宮に似合わないかもしれませんわ」
周囲がくすくすと笑う。
軽い笑いは、軽いぶんだけ刺さる。
私は笑った。いつもの笑い。
“波風を立てない”笑い。
「王都は香水が濃いですもの。少し息がしづらくて」
言い返したつもりはない。
ただ、刺された分だけ距離を取っただけ。
ミレイユの目が一瞬だけ細くなった。
その一瞬に、紫がかった黒がちらりと滲む。
――嘘の色。
私は、反射で目を細めた。
母の言葉が、喉の奥で鎖になる。
見えるのに、見ない。
気づいたのに、黙る。
……それが、私の生存術。
セドリック殿下が席に着き、私も隣に座る。
距離は肘ひとつ分。
テーブルの上には、彼のカップと私のカップ。
カップの金縁が、白日を拾って硬く光る。
ミレイユがティーポットを持ち上げた。
琥珀色の紅茶が流れて、カップに満ちる。
湯気がふわりと立ち、甘い香りが広がる。
――その瞬間だった。
ミレイユの指輪が、光を一度だけ跳ねた。
澄んだ金じゃない。濁った金。
濁った光の裏側から、細い紫黒の糸が一本、セドリックのカップへ落ちた。
落ちた糸は、紅茶の表面でほどけて――静かに広がっていく。
「……っ」
息が止まった。
心臓が一拍遅れて痛む。
喉が狭くなる。言葉が出ない。
(まずい。あれは――)
私は口を開けた。
「殿下、それは――」
……声が、喉で止まった。
止めたのは誰だ?
ミレイユの視線? 周囲の空気? 王都のルール?
違う。
止めたのは、私自身の癖だ。
黙って笑う癖。
波風を立てない癖。
生き残るために身につけた、沈黙の癖。
セドリック殿下がカップを持ち上げた。
何も気づかないまま、紅茶を口に運ぶ。
銀器が触れ合って「ちん」と鳴る。
その音が、砂糖菓子みたいに綺麗で――嫌に冷たかった。
次の瞬間。
殿下の喉が、「ひゅ」と鳴った。
目が見開かれ、咳が詰まり、指がカップを落としかける。
喉を押さえて、息を吸おうとしているのに吸えない。
椅子が軋み、周囲の笑い声が一斉に引っ込んだ。
「殿下!?」
ミレイユが甲高い声を上げ、駆け寄る。
白い袖が翻り、香水が甘く濃く漂った。
私は立ち上がろうとして足がもつれた。
――遅い。遅すぎる。
(言え。言え。今ならまだ――)
喉が震える。
震える喉から、ようやく声が落ちた。
「紅茶に――」
でもその瞬間、ミレイユが振り向いた。
泣きそうな顔。
清らかな顔。
そして、私だけに分かる、紫黒の糸の揺れ。
「リーゼ様……どうして……?」
その一言で、空気が決まった。
決まった瞬間の王都は速い。速すぎる。
「リーゼが殿下のカップに近かった!」
「さっき、何か言いかけてたぞ」
「まさか……毒……?」
誰かの声が重なり、糸が絡まり、嘘が結び目を作る。
私の足元に、灰色の糸が落ちた。
“疑い”の色。
“噂”の色。
“便利な悪役”を作る色。
衛兵がこちらへ踏み出す。
槍先が白日を拾って、ぎらりと光った。
「リーゼ・フォン・アスター。――その場から動くな」
白日の光が、私の影を床にくっきり落とす。
逃げ場のない影。
私は、その影を見つめた。
見えるのに黙った。
黙ったせいで、守れなかった。
――その代償が、今、私の足元に落ちている。
そして私は、ようやく理解した。
黙ることは、優しさじゃない。
黙ることは、加害だ。
殿下の喉が、また「ひゅ」と鳴った。
その音が、私の人生の始まりの合図になるなんて――このときの私はまだ知らない。
本日は2話投稿しております。
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