08.言いたいことがあったので、録音を放送してもらいました
蓮は佐藤の家へと戻った。
無線機を前に正座し、これまでを振り返る。
きれいで完璧なインフラに囲まれた生活。
そのインフラからはじき出されたこと。
佐藤に助けられ、商店街の人々にも助けられたこと。
オリュンポスによる、非公式インフラは信じるなという言葉。
政府放送から流れてくる生活に根差した情報提供。
「俺が、信じるのは…」
しかし、その先の言葉が出ない。
そこへピコン、という音とともに、腕のスマートウォッチが青く光った。
『個人向け緊急復旧プランのご案内』
画面には、かつて慣れ親しんだ洗練されたUI。
『下記の条件に同意された方を対象に、通信の即時復旧、居住区へのアクセス再開、最低限のライフライン保証をおこないます』
条件は、下に小さく書かれていた。
・全行動ログの提供
・生体データの常時取得
・利用規約への無期限同意
「……あの生活が、戻る…」
ごくりという音を立てて、蓮の喉仏が上下した。
温かい部屋。
清潔な水。
無駄のないスマートな生活。
画面の向こうで、一度は失った楽園が蓮に向けて手を差し出している。
指先ひとつ。「同意する」というボタンを押すだけで、戻れる。
蓮の震える右手が、スマートウォッチへと伸ばされる。
そして、震える指先で――
――スマートウォッチの電源を切った。
そのまま、スマートウォッチを握りしめる。
「同じ手に、二度と乗るもんか…!」
歯を食いしばり、絞り出すようにした絶縁宣言。
蓮はスマートウォッチを外すと、空いていた窓から庭へと放り投げた。
カシャン、と軽い音が響く。
そして、無線機のつまみを回し、送信ボタンを押しながら話しかける。
「こちら、渡奈辺 蓮です。相談があります――」
***
広場の片隅で、蓮は鉱石ラジオを持って立っていた。
もうすぐ、アレが流れる時間だ。
蓮が提案したのは、自分の声を放送に乗せられないか、だった。
最初は不可をつきつけられたが、伝えたい内容を説明し、「匿名・短時間・録音」という条件で許可をもらったのだった。
『――本日は、とある市民より預かった録音データを再生します。』
正午。蓮の録音が流れ始めた。
『俺は、ただの市民です。ずっと何も考えず、なんとなく生きてきました。
古いものに価値はないと思っていて、スマートシティ計画に賛成して、SNSでいいねとリポストで拡散していました。計画が実現した時、正しいことをしたと思っていました。
でも、今、とても後悔しています。
先日、なぜか突然すべてのインフラからはじき出されました。そうしたら、水の一滴飲めない、家にも入れない。…ある人の助けがなければ、待っていたのは死でした。
今、皆さんもインフラを停止されて、あの時の俺と同じ状況です。不安で、困っていて、未来を想像できずにいると思います。
皆さんに、この放送を信じろとは言いません。ただ、両方の放送を聞いて、比べてほしいです。そして、よく考えて、信じるものを決めてほしいです…聞いてくれてありがとうございました』
時間にして、1分程度だった。なにも強制しない、ただの市民の言葉。
けれど、その放送を聞いた人々の胸に、奇妙な重さを残した。
同じ頃、街の各所に設置された非常用スピーカーから、オリュンポスの声が流れていた。
『非公式放送は極めて危険です。市民の皆様は、当社の指示に従ってください』
言葉は、明らかに強くなっていた。
もはや「命令」と呼んでもいいくらいに。
誰かが、ぽつりと呟く。
「……なんか、オリュンポス必死じゃね?」
その一言が、魔法を解く合図だった。
強い言葉からは焦りが滲み出ており、以前のような安心感は感じられない。
人々は、二つの音を聞き比べ始めた。
片方は、ノイズ混じりだが淡々とした政府放送。
『水の配布は、○丁目の公園』
『医療拠点は、△△小学校』
『□□については、確認中のため追ってお知らせします』
もう片方は、クリアな音質のオリュンポスの声。
『誤情報に注意してください』
『安全のため、我々に従ってください』
市民が、オリュンポスの情報を精査し始めた。
「どこの病院が復旧したんだ?」
「○○病院と、△△医療センターらしい」
「いつ頃?」
「昨夜らしい。周囲の住宅街は真っ暗で、病院だけ復旧して明るく見えたそうだ」
誰かが、疑問を口にした。
「なあ……止めたはずのインフラで、なんであいつらの声だけは通ってるんだ?」
その言葉をきっかけに、問いが連なっていく。
「なぜ、そこだけ復旧させたんだ?」
「なぜ、俺たちの住んでる地区は復旧しないんだ?」
オリュンポスによる説明はない。
繰り返される『安全のため、指示に従ってください』というアナウンス。
人々は、頭を突き合わせる。
そして、比較が始まる。
感情ではなく、事実による照合。
「政府放送は、情報だけが流れている」
「水の配布地点は、蛇口から水が出ていて、順番に配布されていた」
「情報は正確なようだ」
そのうち、誰かが苛立ち混じりに言った。
「そもそもさ…なんでオリュンポスが『従え』って言ってるんだ?ただの、民間企業だろ」
「そういえば、そうだな…」
判断の基準が、少しずつ言葉になり始めていた。
最終的に、人々が信じ始めたのは――
昨日、水が出たという事実。
今日、生き延びるために役立った情報。
そして、指針を示した名もなき声だった。
街は、まだ混乱の中にある。
だが、人々はもう、盲目的には従っていない。
聞いて、比べて、決める。
それが、人々の足並みを整える基準となっていた。




