04.たすけあい精神のおかげで助かりました
エントランスの冷たい床で、蓮はただ嗚咽を漏らしていた。
喉は焼け付くように乾き、もう声も出ない。
蓮は世界から「消去」された絶望に飲み込まれていた。
「……おい、大丈夫か。あんちゃん」
低く、ひび割れた声が降ってきた。
蓮が顔を上げると、そこにはいつかのおっさん――佐藤が立っていた。
「街で、どっかで見た顔がひでぇ面して歩いてるのが見えてよ。気になって追ってきちまった。……立てるか」
油と汗の匂いがする佐藤の肩に支えられるようにして、蓮は夜の街を歩いた。
どこか遠くから、クラクションの音が聞こえている。
最新のセンサーが並ぶメインストリートを外れ、路地裏へ。
そこには、スマートシティ計画が進んでいない、古びた商店街が静かに息づいていた。
佐藤の自宅は、築数十年は経っていそうな木造アパートだった。
お世辞にも広いとは言えないリビングに蓮を通し、こたつに座らせる。
「ほら、食え。不格好だが味は保証する」
蓮の目の前に差し出されたのは、ラップに包まれた歪な形のおにぎりだった。
横では、カセットコンロが「シュンシュン」と音を立ててヤカンを熱している。
蓮は震える手でおにぎりを掴み、かじりついた。
米の甘みと、塩の加減が、麻痺していた蓮の五感を叩き起こす。
「……う、あ……っ」
湯呑みに注がれた緑茶の温かさが、喉を通るたびに涙が溢れた。
「画面の中のMitsukiは、一度も俺を心配してはくれなかったんだ…!」
蓮はボロボロと泣きながら、夢中で食べ続けた。
「…ごちそうさまでした。本当にありがとうございます。」
食べ終えた蓮は、正座したまま佐藤に深く頭を下げた。
「……畳が汚れるだろ、鼻かめ」
視線を泳がせながら、佐藤がティッシュを投げつける。
「そんで、なにが起こったんだ」
鼻をかみ、蓮は謎のスコア低下によりインフラをすべて利用できなくなったことを説明する。
「自動引き落としだから、未払いのはずはないんです」
両手を握りしめる蓮の話を、佐藤は腕を組んで静かに聞いた。
「スマートシティなぁ…」
佐藤が一口お茶を含む。
「…この辺の連中はよ、OSだのスコアだの言われても、よく分からねえんだ。だから、スマートシティっつーのに飛びつかなかったんだ」
スマートシティからはじき出された今となっては、それが正解だったように蓮には感じられた。
あれほど憧れていたスマートな生活は、エラーひとつで崩れる脆いものだった。
何度か迷った末、蓮が口を開く。
「…どうして、助けてくれたんですか。…俺があなたの立場なら、…きっと、助けませんでした」
佐藤の視線が、窓の外に向かう。
「もし俺の水道が止まったら、隣の家の婆が分けてくれるだろう。逆に隣の婆のが止まったら、俺の家の水道を使わせる。そうやって、助け合いながら俺たちは生きてきた」
蓮が「置いていかれる自業自得な連中」と見下していた人が、彼を助けた。
蓮の瞳に、止まっていた涙がうっすらと滲む。
「人間ってのは、助け合わねぇと生きていけねぇもんなんだよ」
蓮は、その言葉をかみしめるように瞳を閉じた。
この商店街は、スマートシティに決して組み込めない、強固な「互助」というネットワークで繋がっている。
今の蓮には、この商店街で暮らしている人々がまるで賢者たちのように感じられた。
壁にかかった佐藤の作業着からのぞくレンチが、照明の明かりを温かく反射していた。
突然、佐藤の古いラジオから緊急放送が流れ始めた。
『……現在、国内全域のスマートシティOSが「メンテナンスモード」に移行しました。管理会社である外資系企業「オリュンポス・デジタル」は、日本政府に対し、インフラ維持コストの300%増額または全市民の個人データ所有権を含む実質的な施政権の完全委譲を要求しています。受け入れられない場合、すべてのライフラインを恒久的に停止すると宣言しました……』
街の灯りが一斉に消える。
美しく洗練されていたはずの未来都市が、一瞬にして巨大な墓標へと変わった。
「あぁ?…なんて無茶言いやがる…」
暗闇の中で、 佐藤が低く呟く。
「便利さのために全てを他人に預けちまった結果が、これだ。インフラを止められるか、一生あいつらの奴隷になるか、か…。どっちにしても、地獄だな」
蓮の脳裏には、何度となくシェアしたポストが浮かび上がっていた。
『日本、終わってる』
『アップデートしたらいいのに』
蓮は暗闇に慣れ始めた視界で、自分の手が震えているのを見た。
「俺が、みんなが、リポストやいいねを繰り返していたせい…?」
蓮は、震える手を祈るように組み合わせた。




