02.民営化したので便利になりました
蓮のスマホが、まるで心臓の鼓動のように脈打ち続けている。
きっかけは、深夜のノリで投稿した一言だった。
『古いものに価値はない。日本もアップデートしたらいいのに』
数分後、画面に現れた通知に蓮の呼吸が止まった。
「Mitsuki(@Mitsuki_Global)があなたをフォローしました」
通知は続く。
「Mitsuki(@Mitsuki_Global)があなたの投稿を引用リポストしました」
フォロワー数千万を抱える時代の寵児、Mitsuki。
彼女からのリプライが続く。
『素敵な感性ですね。一緒に未来を作りましょう。あなたの声が、世界を変える力になります』
ひきつった笑いが蓮の顔に浮かぶ。
「……うそだろ」
スマホの通知が止まらない。
蓮の目はぎらつき、スマホを握る指先がわずかに震えている。
「脳内にドーパミンが溢れ出す感覚ってこういうことか…!
ーー俺はMitsukiに選ばれたぞ、ハハハ…!!」
蓮の脳内には、画面の向こうで美月が自分を見つめて微笑んでいる姿が見えていた。
ふと、引用リポストされた投稿に「#Optimize_Japan」というタグがつけられていたことに気が付く。
「Mitsukiさん、俺もこのタグで一緒に日本をアップデートします…!」
そのタグの意味を知らないまま、蓮は繰り返しMitsukiの投稿をリポストするようになった。
リポストするたび、自分が歴史を動かしているような全能感が蓮を包む。
「俺が、俺たちが、この国をアップデートするんだ」
蓮は取り憑かれたように、Mitsukiが発信する「改革」という名の聖書を拡散し続けた。
***
蓮のような若者たちの熱狂は、瞬く間に巨大なうねりとなった。
SNSで形成された「民意」は既存の政治を飲み込み、ついに決定が下される。
ーーライフラインの完全民営化、およびスマートシティOSの全域導入。
街の景色は劇的に変わり始めた。
空を覆っていた無骨な電柱は地中へと消え、街角には洗練されたデザインのセンサーが設置された。
完璧で美しい街並み。
市民の異常なまでの過熱により、街は異例のスピードで姿を変えていく。
自動運転バスの窓から外を眺めていた蓮は、ふと、路地裏で途方に暮れる老人を見かけた。
老人は、以前までそこにあったはずの、手動の公衆電話を探しているようだった。
今の街にはもう、そのような「無駄」なものはない。
「…アップデートについてこれないやつは、置いていかれるんだよ。自業自得だな」
蓮は鼻で笑い、すぐに手元の最新デバイスに目を落とす。
視界の端では、老人が静かに警備ドローンに誘導されていった。
そして数ヶ月後。
蓮の朝は、完璧な調和の中で始まる。
「蓮さん、おはようございます。室温を最適な24度に設定しました。今日は勝負のプレゼンですね。素晴らしい一日になりますよ」
枕元のスピーカーから流れるのは、美月の声を元にしたらしいAIアシスタントの囁きだ。
蓮は満足げに目を覚ます。
キッチンへ向かえば、IoT冷蔵庫が栄養バランスを考慮して自動発注したデリバリー朝食が、ちょうど玄関の宅配ボックスに届いた。
「最高だ」
鏡に向かい、最新のブランドスーツに身を包む。
財布も鍵も持たない。
顔認証だけでマンションを出て、目の前にピタリと止まった自動運転バスに乗り込む。
すべてがシームレス。すべてがスマート。
「こういうのを求めていたんだよ」
満ち足りた生活を送る蓮は、SNSから離れて充実した日々を送っていた。
意気揚々とオフィスビルに足を踏み入れた蓮は、ロビーの隅で「ガチャン」と重たい金属音を立てる一人の男を見かけた。 数ヶ月前、電車で見かけた中年の男性だ。
「あのおっさん、同じ会社だったのか」
男性は油の染みた作業着を着て、腰には時代遅れな重たいレンチを下げていた。
胸には佐藤という名札がついている。
蓮の目には、ピカピカに磨かれた大理石のフロアで、そこだけが汚れた染みのように浮いて見えた。
「格好も仕事も、スマートじゃない。 古いものにしがみついて、いっそ哀れだな」
蓮は最新のスマホを弄りながら、颯爽と男性の横を通り過ぎた。
言葉をかける価値すらない。
自分は空高く聳え立つデジタルな未来に住み、あの男は泥臭い過去に縋り付いている。
そのコントラストが、蓮の自尊心をさらに満たしていた。
蓮のスマートウォッチの画面に、無機質な通知がポップアップした。
『警告:プロモーション貢献度が低下しています。スコア維持のため、指定タグによる発信を推奨します』
蓮はそれを、スワイプして消す。
今の蓮にとって、SNSはもはや過去の遺物だった。
目の前には、完璧に整備された美しい現実があり、蓮は十分に満ち足りている。
常に『価値』がデジタルな天秤で計られ続けていることなど、彼は思いもしなかった。
一方、佐藤は蓮に気づく様子もなく、壁面に埋め込まれた最新鋭のデジタル制御バルブと向き合っていた。
佐藤は、センサーの数値など見ていなかった。
おもむろに壁に耳を当て、目を閉じる。
デジタル制御されたモーターの微かな唸り。
その奥にあるはずの、水の流れる「生きた振動」を聴こうとする。
だが、そこかしこから発生する電子音が、彼の熟練の感覚をかき乱す。
その日の作業を終え、佐藤は地下深くの無人の機械室にいた。
そこには、かつて人間が手で回していた巨大なハンドルはなく、青白く光るLEDが整然と並ぶセンサーユニットが鎮座している。
機械室を照らす冷たい光の下で、佐藤は誰に言うでもなくポツリと漏らした。
「……こんなもので全部管理されてるなんて、気持ち悪いな」
彼は、指先で冷たい金属に触れる。
「人間が介在する余地がねえ。昔のバルブは、俺の手の力加減できいてくれたんだがな……。何かあった時、誰も止められねえぞ、これじゃ」
佐藤の呟きは、完璧に計算された空調の風の音にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。




