7.最愛のきみとダンスを
長めです
アランの軍服以外の姿は貴重だ。それも、夜会用のドレス姿となれば余計。
鍛え上げられたアランの身体は華奢と言うより引き締まった印象で、筋肉も目立つ。私がそれを見苦しいと思うことは絶対にないが、母の仕立てさせたドレスは、見事に筋肉の目立つ箇所を隠して、上品かつ愛らしい姿になっている。生地も肌や髪に映える色で、母の気に入りの侍女の手で化粧された顔は、愛らしいそばかすが隠されていた。
「よく似合っているよ。綺麗だ」
正直に言うと、いつもの軍服と化粧っ気のない顔の方が、アランらしくて好ましい。けれど、これはこれで、アランの顔立ちの美しさを浮き彫りにしていて、素晴らしいものだ。
「ありがとう」
「今日は私のそばを離れないでね。誰か別の男がアランに触れたりしたら、へし折ってしまいそうだから」
「でも、フィニーにも付き合いがあるんじゃ……」
「だからこそ、なおさらだよ」
笑って断言する。
「アランと夜会に出る機会は少ないからね。私と関わりの深い相手に、アランを紹介しておきたい。私の最愛の婚約者をね」
まともな貴族はその腹積もりで寄って来るはずだ。アランと私が一緒にいるからこそ、話したいと考える。そうでなく、アランと私を引き離そうとするならば、この婚約を潰したがっている、ろくでもない貴族だろう。付き合う価値がない。
それ以外で、私からアランを奪うとしたら。
「母さまがアランを自慢したくて連れ出すかもしれないけど、絶対に、私も一緒に行くから。母さまにだって、今日はアランを渡さない」
女同士の付き合いがあるとか、知ったことか。アランは私の婚約者だ。
「フィニーがそれで良いなら、ぼくは構わないけど」
「ありがとう。わがままを言ってごめんね?」
「ううん。学校で散々付き合って貰っているし、今日はぼくがフィニーに付き合うよ」
私の婚約者、実は天使だったりするかもしれない。
天使の手を取り、腰を抱いて、会場へと進み入る。名実共にエスコート役だ。アラン以外は誰にも文句など言わせない。
予想通り、アラン目当ての知り合いが、ひっきりなしに声を掛けて来て。流行などに疎い面は見えながらも、真摯に受け答えするアランは、物見高い彼らを満足させたようだった。
特に軍人からは好評価で、話が弾んだ挙げ句、ひとが寄って来てまるで人だかりのような状態での会話となることも、しばしばあったくらいだ。
とりわけ軍務大臣はアランを気に入ったらしく、討伐隊が先に捕まえていなかったら引き抜きたかったとまで言ってのけた。
「打てば響くとはこのことだな。貴官のような若さでここまで話せる武官は、由緒ある騎士家系の嫡子でもなかなかいないぞ。儂が先に見付けていれば手塩に掛けて育てて子飼いにしたものを。カピヤバ殿、もし討伐隊引退を決めならばすぐに声を掛けたまえ。武官としてでも文官としてでも、儂が拾って面倒を見よう」
「光栄です」
「婚約者が決まっていなかったなら、うちの末息子の婚約者に欲しかったくらいだ。末子ではあるが武才に長けてな。あれは出世すると思っている。カピヤバ殿が補佐官になってくれれば、間違いなかっただろう」
さすがにそれは聞き捨てならない。
「ジムニー閣下、アランは私の婚約者です」
「わかっておるとも。だから悔しがっているのだ。なにせフィネス殿下も、世辞抜きで優れたお方だからな。ろくでもない男なら我が末子に略奪を勧めたところだが、殿下が相手では分が悪い。非の打ち所が無さ過ぎる上に、その溺愛振りではな」
大仰に肩をすくめる軍務大臣。軍人らしい剛毅さだ。
「殿下に飽きたらと言おうにも、殿下が手放してくれそうにない」
「そうですね。最愛の婚約者ですから」
「うはは。照れもなく言ってのけるか」
「アランの婚約者となれたことが、この人生でいちばんの幸運と思っておりますので」
うんうんと頷いて、軍務大臣が私の肩を叩く。これだけの剛毅さでありながら、軍務大臣はアランに、挨拶で握手した以外指一本触れていない。こう言う方だから、長く軍務大臣の座に着いていられるのだろう。
「稀有な女性だ。逃げられることのないよう、大事にすると良い」
「もちろん、そのつもりです」
「では、我が末子には別の女性を探すとしよう。さて、話し込んでしまったな。カピヤバ殿と話したい者に、悪いことをした。カピヤバ殿、軍務に関わることでなにかあれば、儂を頼ると良い。こと軍に関わる事柄に関しては、殿下より顔が利くからな」
ばしんと私の背をひと叩きして、軍務大臣が立ち去る。息を吐く間もなく、別の軍人に捕まるかと思ったとき、華やかな集団に取り囲まれた。
「フィニーったら、こんなに綺麗なお嬢さんを、ずっと壁の華にしておくつもりかしら?」
「母さま」
「話し疲れたでしょう。一杯飲んだら踊っていらっしゃいな。イディとリンテちゃんに付き添わせるから捕まらないわ」
アランと私に飲み物を持たせ、母は艶然と微笑む。あまり面識のないひとにばかり囲まれていたアランは、少しほっとした様子だった。
「お義母さま、お義姉さまも、今日は一段とお綺麗ですね」
「あらありがとう。可愛い義娘に褒められて、とっても嬉しいわ。ね、リンテちゃん」
「ええ。お義母さま。アランちゃんも、ドレス、よく似合っているわ。可愛い。ね、イディ、可愛過ぎて、連れて帰りたい」
「そうだね。連れて帰って、私たちの娘にしたいね」
義姉と兄の、目が本気過ぎる。
「私の婚約者です。兄さま、義姉さま」
私の婚約者ですと、私は今晩、いったい何度言うだろうか。
「それならいっそのこと、フィニーごと連れて帰ろうか。私はそれでも構わないよ」
私は大いに構うけれど?
「申し訳ありません。カピヤバの地と、フィニーの腕のなかが、ぼくの帰る場所なので」
やっぱり天使のようだ。私の婚約者は。
そっと私の肩に頭を寄せた天使を、腕に納めつつ確信する。あまりの愛らしさに、昇天しそうだった。
……わかっているさ。アランのこれが、仲の良さを知らしめるためのポーズであると言うことは。彼女は他人の機微に疎いように見えて、きちんと見ているし模倣も擬態も出来るのだ。
「と、言うことなので、諦めて下さい」
「残念だな。じゃあ、連れ帰るのは諦めて、ホールの真ん中に連れて行くだけで満足しよう。私の弟とその婚約者は素晴らしいと言うことを、兄に自慢させておくれ」
「アラン、大丈夫?嫌なら無理にとは」
「大丈夫」
アランは気丈に笑って見せた。
「踊ろう、フィニー。そのために、練習もしたでしょう?」
運動の得意なアランは、練習なんてしなくても問題なく踊れた。ダンスの練習なんて、アランと密着して過ごすための口実に過ぎなかったのだ。
それでも、そう。この、愛らしく魅力的な天使が、私の婚約者であると言う宣伝は、どれほどやっても足りないくらいだ。
「それじゃあ、踊ろうか。三曲踊るよ。体力は問題ないだろうけれど、足は大丈夫?履き慣れない靴だろう?」
「腕の良い職人だったみたいで、少しも痛くないよ。軍服のブーツも頼みたいくらい」
「母さまに口利きを頼もうか。私からプレゼントするよ」
野戦が大部分の討伐隊において、動きやすく疲れにくい靴を選ぶことは重要だ。岩場や森林、池沼など、ただでさえ不安定な足場。戦いのさなか、踏み込んだ足が滑りでもすれば、命取りとなる。
私の送った靴がアランの足元を、ひいては命を守るならば、それは私にとって願ってもないことだ。
アランは噴き出して、首を振った。
「冗談だよ。軍服のブーツは官給品だから、私物は履けない」
「学生のあいだと上級士官になってからなら、多少の融通は利いたはずでしょう?アランが出世したときにお祝いとして贈るから、それまでに、アランにぴったりのブーツが作れるようになって貰わないと」
「弟よ」
アランの頬をなでて微笑む私に、無粋な横槍が入る。
「兄と義姉を無視してふたりの世界を創るのはどうかと思う」
「申し訳ありません。アランしか目に入らないくらい、アランにぞっこんなもので」
「弟と未来の義妹との仲が良好なのは望ましいことだな。ただ、そう蚊帳の外に置かれると兄は寂しい。アランだけでなく、フィニーだって顔を合わせる機会は少ないのだから」
言うほど少ない機会ではない。少なくとも、アランよりは兄と顔を合わせている。
私の無言の訴えは、兄に通じたようだった。
「わかったわかった。邪魔して悪かった。そんなに邪魔されたくないなら、母の言うように踊ると良い。さすがに踊っているところへ話しかけて来る常識知らずはいないだろう」
「そうします。アラン、行ける?」
「うん」
頷いたアランの手から空のグラスを取り、母が手を振る。
「いってらっしゃいな。会場中の視線を、攫うと良いわ」
アランの身体能力なら、余裕で攫えるだろうけれど。
「あまり気にしなくて良いよ。楽しく踊ろう」
それで良い。建前なんて全部取っ払って、私が思うのはひとつ。
「嬉しそうだね、フィニー」
連れ立って歩く私を見上げて、アランが言う。
「うん。少し、不謹慎ではあるけれど」
「不謹慎?」
兄夫婦は私たちを、ホールの中央に誘導した。私たちが手を取り合うのを見計らって、新しい曲が始まる。
「アランと、共闘しているようで、嬉しいんだ」
直接的な殺し合いではない。油断をすればすぐにでも、切り殺されたり噛み殺されたりするわけでもない。
それでも、夜会は戦場と比喩される。
「私はアランと並んで、矢面で民を守るために戦うことは出来ないから」
身分的に無理なのももちろんだが、なにより、討伐隊の前線に立つには、私の実力が足りない。足手まといになって、アランの命を危険に晒す。
どんなに隣に立ちたいと思っても、それがアランの邪魔になるなら、私が私を許せない。
「いま、こうして並んで、社交という戦いの場に立てることが、嬉しいんだ」
アランは目を見開いてしばし表情を固めたあとで、微笑んだ。
「それなら、勝たないとね」
微笑んだアランは、とびきり優雅にワルツを踊る。母や義姉ですら出来ないような、非の打ち所がない完璧なステップと、揺らがない体幹、ブレのない重心移動。
普通、第三王子とは言え王子と踊るとなれば、相手の令嬢こそ粗相があってはまずいと緊張するもの。だが、アランと踊るときに限っては、私こそ緊張する。
アランの完璧なダンスを、私が台無しにするわけには行かないのだ。
ゆるりと微笑んだ表情まで完璧なダンスに、物見高く眺めていたひとびとが驚きを見せる。
根も葉もない噂のなかには、アランが令嬢としての知識や技術を持たない、野蛮な人間だと貶めるようなものもあった。だが、実際はこれだ。
能力ではなく、家で選ばれたとは言え、アランは王子の婚約者だ。夫婦そろって軍属予定だろうが未来の王子妃。王子妃として必要な知識や技能は、ひととおり学ばされている。
誤解している者も多いが、アランは出来ないわけではない。なにせ抜群の身体能力と、その身体能力を遺憾なく発揮出来る頭脳を持つカピヤバの寵児。ただ、見せる機会がないだけで、王子の婚約者として問題なく振る舞うことなど、造作もないのだ。
談笑しながらワルツを踊りきり、曲が終わってもホールの中央で寄り添ったまま待つ。すぐ次の曲が始まり、ダンスのためにホールにいたひとびとに緊張が走った。
古い伝統のある、テンポの速い曲。ただでさえ曲が早くついて行くのが難しいのに、曲を通して動きに型が決まっているために、間違えたり躓いたりすると、一目瞭然にわかってしまう。動き自体はいくつかの決まった動きの繰り返しだが、それを素早く一定速度で繰り返すには、技術とセンスと体力が不可欠な、高難度の曲なのだ。
おそらく、母の指示だろうなと内心苦笑する。
なにせこの難しいとされる曲を、アランはいちばん得意とするからだ。
決まりきった動きの反復。それは、技術を磨く上での初歩である。武術に限らず、楽器演奏や、文字の習得、あるいは仕事を覚える上でも。習うより慣れろとはよく言ったもので、決まり通りの動きを繰り返すことは、初心者が技術を身に付けるために、推奨される行動だ。
当然、アランも幼少から、反復を繰り返して技術を得て来た。手にした棒を真っ直ぐに振り下ろす。そればかりを食事などを除いた起きているあいだずっと、数日続けさせられたと、かつて聞いたことがある。その数日が終われば別の動きを同じように数日、次はまた別の動きをと、ひたすら反復訓練をした時期があったそうだ。
アランはそれを苦に思わない性格で、だから、同じ動きを同じ速度で繰り返すと言うことに、慣れていた。
普通の貴族からすれば速いステップも、アランにとっては大したことがないし、体力は同い年の男の同僚たちよりもあるくらいだ。
つまり、この曲には、アランを苦しめる要素がない。
一切の緊張を見せず、むしろ楽しげな笑みで完璧に踊り出したアランに、ざわざわと会場がざわめく。
ダンスを得意とする者でもこの曲の場合、速度について行くために、動きが乱雑になったり、小ぶりになったりしがちだ。表情も強張る者が多い。だが、アランは教本通りの動きを、ごく自然に、一分の狂いもなくなぞり続けている。
パートナーがそんな様子なのに、私が醜態を晒すわけには行かない。幸いにも、私だって騎士見習いの身として、体力は磨いているのだ。
それに、楽なばかりでは戦っている実感も湧かない。勝利を掴むまでの道のりには、困難や苦労がつきものだ。
「楽しそうだね、フィニー」
「そう見える?」
この曲を踊りながら、会話をする余裕のある者が、果たして何人この会場にいるか。
「実はね、すごく楽しい」
「良いことだよ」
アランが笑う。楽しそうに。
「不謹慎だと、嫌うひともいるけれど」
会場中の注目が、アランに向いている。けれどそれを、アランが気にした様子はない。
討伐隊は過酷だ。身体も経験も未熟な若い隊員は少ない。ましてアランは女性だ。どこに行っても注目を浴びるだろう。
だからアランは、見られる、と言うことに慣れているし、それで実力発揮に影響が出ることもない。
私としては、惚れた欲目を抜きにしても、アランほど王子妃に向く度胸を持つ令嬢はそうそういないと思う。
「戦いは楽しんで良いと、ぼくは思っている。確かに人命や国の行く末に関わることではある。けれど、そんなことを考えるのは上の人間の仕事で、末端の兵が気にする必要はない。兵は目の前の敵を倒すことだけに集中すれば十分で、敵を倒し続ける役に立つのなら、いくらでも戦いを楽しめば良い。苦しんで潰れるより、ずっと良い」
極論だ。確かに、倫理観や道徳心を理由に批判を受けることもあるだろう。
だが、アランはなにも考えなしに、こんなことを言っているわけではない。
「兵が戦って勝つことを考えるだけで良いようにするのが上官の役目で、戦いによって死ぬ者も失われるものも、背負うのは上で良い。兵は駒であれば良いんだ」
優しさであり、覚悟だ、これは。
「でなければ、兵は迷う。迷えば刃が曇る。刃が曇ればそれだけ、負ける確率が上がる。最前線で戦う兵にとって、負けとは死だ。上官として、兵が死ぬ可能性を上げることは許されない。ならば上官は、兵を迷わせてはいけない。兵の迷う原因は、上がすべて、排除すべきだ。批判も、責めも、思考も、すべて、上が背負う。兵になど、降ろすものか」
軍務大臣が気に入るわけだ。この覚悟を、いったい何人が持っているだろうか。
「フィニーもいずれ、背負う立場になるだろう。きっと、ぼくよりずっと多くを」
そうだ。私は王子で。生まれからして、上に立つことが定められている。だからこそ、無能であることは許されない。
「でもね、フィニー。ぼくがフィニーの妻になるから」
アランが笑う。私を見上げて。
「共に背負うよ。夫を支えるのは、夫と支え合うのは、妻の役目でしょう?」
ああ、やっぱり、アランは、私の婚約者は天使だ。間違いない。
「ありがとう。アラン」
曲が終わる。足を止める。
瞬間の静けさに、会場中に届けと声を差し込む。
「愛している。アラン。この世界の誰より、アランを」
アランは目を見開き、微笑んだ。
「ぼくも、フィニーを愛しているよ」
曲が始まる。次の曲が。
打って変わってゆったりとした、自由度の高い曲。
それを良いことにアランを抱き上げ、くるりと振り回した。
仲の良さを見せなければいけないから、それで口にした言葉かもしれない。だが、理由はなんだって良い。
愛していると言って、愛していると返る。その事実が、公衆の面前で知れ渡った。それだけで、いまは十分だ。舞踏会で、愛の言葉を言い合っていたと、明日には茶会で話題になるだろう。
私とアランが愛し合っていると!明日にもそこかしこで囀られるのだ!
それが嬉しくないはずがない。それを歓迎しないはずがない。
「フィニー?」
「ごめん、嬉しくて。アランが支えてくれるなら、共に戦ってくれるなら、なんだって出来そうだ」
そっと下ろすとこゆるぎもせず、危なげなくステップを踏み始める。
「ぼくがいなくてもフィニーなら、なんだって出来そうだけれど」
アランはつれないことを言ってから、そうだと笑う。
広間で踊る面子は、前曲と今曲でほぼ入れ替わっている。前曲を踊り通して、もう一曲踊れる体力のある貴族など、そうそういないからだ。アランは息すら乱していないし、私ももう数曲は続けて踊れるが。
「カピヤバの民は強いでしょう?実は理由があってね、なんだと思う?」
カピヤバの強さの秘訣?
突然切り替わったように感じる話だ。けれど、アランのことだからなにか、脈絡があるのだろう。
アランの言う通り、カピヤバは強い。否定のしようもなく、格段に。
それに理由があって、しかも、真似出来る理由なら、知ることは国にとって有益だ。
「なんだろう。幼少から、訓練を積んでいるからかな?」
「ううん。もっと根本的なことだよ」
根本的な?
「気の持ちようとか、覚悟の話かな?なにか、迷いをなくす方法がある?」
前の話題から推測すると、さすがフィニーとアランが褒めてくれる。素直に嬉しい。
「その通り、カピヤバの民はね、迷わないんだ」
「それは、どうして?」
「決めているから」
決めている。
「なにを?」
「なにを置いても、捨てても、失っても、魔物は殲滅すると」
臓腑に、氷水でも注がれた気持ちがした。
「魔物と戦う以上、怪我も死も当たり前だ。家が壊れることも、田畑が焼けることもある。たった一秒前には隣で生きていた戦友が消し炭になることも、自分の手足がなくなることも、顔が削がれたり、身体に大穴が空くことだってあるだろう。
そんなのは当たり前なんだ。それでも殺すんだ。そう、決めているんだ、カピヤバの民は。だから、迷わないし、強いし、魔物に負けない」
「それは」
思った以上に簡単なことだった。たが、言葉にするのは簡単でも、実行するのは極めて難しいだろう。
「カピヤバの民、全員が?」
「生まれたての赤ん坊までとは言わないけど」
つまり物心つく頃には、そんな覚悟が済んでいると。
「だから、カピヤバの民は幼少から訓練を積むんだよ。友達を作って遊ぶことよりも、魔物を倒す力を得ることを優先するんだ。文字より先に、武器の使い方を覚える」
あるいは、とアランは続ける。
「収穫間際の畑があったとして、そこに魔物が現れて、畑を燃やせば魔物が殺せるなら、カピヤバの民は迷わず火を放つ。未来の糧より、いま、魔物を殺すことを優先する」
カピヤバ伯爵領は、多くの畑を抱えながら、そこで獲れた作物を一切外に売らない。領地内、あるいは、領地外にも造られた貯蔵庫に貯め込んでいると言う話だ。その、理由が、これか。
「収穫が零になったとしても、領主が補填してくれるから、迷わず燃やせる、んだね?」
「そう。ずっと昔からね」
連綿と続くカピヤバ伯爵による統治の歴史が、カピヤバの民から迷いをなくし、強くして来たのだ。
「真似出来ればと思ったけれど、とても無理だね」
「完全には無理かもしれないけれど、出来ないわけではないよ。そうだ、例えばね」
語るアランは生き生きしていて、ずっと見ていたい気持ちにさせる。
「今度の合同演習で、リグリス侯爵領に行くでしょう?」
「そうだね」
「あそこは興味深い施策をやっていてね。フィニーは知っている?」
リグリス侯爵領で、アランが興味深いと言うような施策?
「いや、なにか、変わったことをやっていただろうか」
「ログス麦の育て方が独特なんだ」
ログス麦、と言えば。
「珍しい、多年生の麦だったね。確か、三年目以降の収量が格段に増える」
「そう。ただ、五年以上同じ場所に植え続けると連作障害が起こるから、多くの産地だと五年目に刈り取って休耕にすることが多いんだけど、リグリス侯爵領では、一年で刈り取るんだ」
一年で、刈り取る。それでは、
「収量が、低くなるよね?」
「そう。ログス麦は一年目より二年目が、二年目より三年目が、多く実る品種だ。けれど、リグリス侯爵領では一年で刈り取って、畑に火を放つ」
「焼畑農業、と言うこと?」
曲が終わったが、アランが気にしていないのを良いことに、次の曲も踊り始める。
「それもあるけれど、もっと別の理由があってね。リグリス侯爵領は、ユフテルウサギの大量発生地域なんだ」
「ユフテルウサギと言うと、可愛らしい見た目に騙されて食い殺される者が絶えない、小型種では珍しく危険度二種に分類される魔物だね。繁殖力の高さと凶暴性から、生息領域外で見付けたら可及的速やかな討伐が推奨される、要警戒侵略種だ」
「そう。ただ、とにかく脚力と咬合力が高くて素早いから、素人が討伐しようとしても返り討ちに遭う可能性が高い。その場合の推奨される討伐方法は、生息地より大きな範囲を囲って焼き討ちにすること」
話が、見えて来た。
「ログス麦を、二年以上育てていると、ユフテルウサギの温床になるんだね?」
アランが頷く。
「二年ならまだどうにか出来る頭数で済むかもしれないけれど、三年となると農地一帯巣穴だらけになる。うっかり踏み入れれば、すぐに骨も残らず食い尽くされるだろうね。昔は発生地を見張って封じ込めをしていたらしいけれど、四代前の侯爵がカピヤバに助言を求めてね、その際にした助言を聞き入れてくれて、未だに続けてくれているそうなんだ」
「どんな助言をしたの?」
「発生地域の周りをぐるりと大きく囲って穀物畑にして、毎年収穫後に焼き払うように、って。いくらユフテルウサギでも、生息域を拡げられる範囲には限度があるからね。毎年拡がった分を焼き払ってしまえば、楽に封じ込めが出来る、と言うわけだ」
つまり、四代前の侯爵は、収量よりユフテルウサギの封じ込めを取ったと言うことだ。
「それは確かに、興味深いね」
「でしょう?そのための技術も発達しているらしくてね!畑の周りには魔道具の柵を張り巡らせていて、魔法使いがいなくても、一気に火を放てるらしい。延焼もしないようになっていて、ただ、ユフテルウサギの焼き討ちに特化した、特異的な土地になっていると聞いているよ」
「実際に見るのが楽しみだな」
呟けば、でしょう!とアランが笑う。
「願わくば焼き討ちも見たいものだけれど、合同演習だと日程的にまだ収穫時期ではないからね。出来て設備の見学だけになるだろうが、それでも十分興味深いよね。合同演習で多くの若者の目に触れて、こう言う方法もあるのだと、学ぶ機会になるのも良いことだと思う。先生方も、それもあって、今年はリグリス侯爵領を合同演習の場所に選んだのかもしれないと、思っていたのだけど」
不意に、アランの勢いが落ちる。
「フィニーが知らないと言うことは、違いそうだね。効果は出ていると聞いていたけれど、国に報告するまでではないと言う判断をされたのかな」
「そう、だね」
麦の収量が落ちるのは、歓迎し難い欠点だ。リグリス侯爵家としては、そこがネックで報告を躊躇った可能性がある。あるいは。
「どちらにせよ、見学して、良い方法だと思ったら、私から父さまや兄さまに報告するよ。事前に聞けて良かった。ありがとう、アラン」
同じように、小型だが凶暴で繁殖力の高い魔物に悩む地域はある。有用な知識なら広めたい。
四代前、と言うことは、下手したら百年以上も前の話だ。
ヒョイと教えたと言うことは、カピヤバとしては特段秘匿するような知識でなく、おそらく当たり前に知っている知識で、だから大々的に伝えたりもしなかったのだ。
だが、リグリス侯爵家は違う。それが、画期的な知識だと、ほかの地域でも有用な知識だと、気付いたはずだ。
それを秘匿したことに、含みがあった可能性は否めない。
いやしかし、それなら合同演習に土地を貸したりはしないか。第三王子がヒドロ騎士団付属騎士訓練学校に在籍していることは、広く知られている。私の入学当初、王子でありながら平民も入学可能な騎士訓練学校に入学したと、国中で話題になったのだ。
情報に疎い田舎の低位貴族ならばともかく、侯爵が知らないはずはない。情報戦は、社交界の生き残りに必要不可欠な技能だ。
なんにせよ、見極めが必要なことに変わりはないし、ならば事前に情報を得られたことは大きい。
それにしても、カピヤバは、いったいどれほどの有益な情報や技術を抱え込んでいるのだろうか。
改めて、アランと私の婚姻の意味の重さが、心にのし掛かる。王子として、ただ、アランが好きだからと言うだけでは、済まされない。
「フィニー?」
無意識に手に籠った力に気付いて、アランが首を傾げる。
「いや、合同演習でユフテルウサギに遭遇する可能性もあるのかと思ったら、今から緊張してしまってね。危険だろう、素人が相手にするには、あまりにも」
同僚の考えの甘さは、実感したばかりなのだ。
迂闊に遭遇すれば、死人が出る。
「さすがに、学生の合同演習で生息地には近づかないだろうから、麦畑さえ警戒しておけば大丈夫だと思うよ」
アランもその点は警戒していたのだろう。迷いなく答えて続ける。
「ただ、危険な魔物の生息域近くと言うことは確かだから、フィニーはぼくから離れないようにしてね」
男として、婚約者に守られるのは、なんて、寝惚けたことは言っていられない。
「うん。そばにいるよ。だから、万一、権力が必要な場面になったら、迷わず頼って欲しい」
適材適所だ。私たちは、それで良い。
「心強いよ。ありがとう。合同演習だと、討伐隊のみんながいないから、フィニーが頼りだ」
そんなことを言われては、張り切らないわけに行かない。
アランが頼りにしているのが、私自身でなく、第三王子の権力だとしてもだ。
「そんなことにならないのが一番だけれど、魔物はいつ、現れるともわからないから」
ない方が良い万一に、日々出動しているアランの、その言葉はとても重く聞こえた。
夜会でもお茶会でも、アランは令嬢として申し分ない姿を見せた。
私が溺愛する姿を見せ続けたこともあり、アランに対する悪い噂はみるみる下火になって行った。
それでも噂が消えないのは、流し続ける者がいるから。
火元を調べつつ、学業や鍛錬をこなし、夜会や茶会に参加し、アランと過ごす時間も作る。
忙しいが、充実した日々だった。
アランが会おうと思えば簡単に会える場所にいる。それだけで、こんなに気持ちが違うものかと、我ながら滑稽に思った。
いっそ、私も討伐隊に志願しようか。最前線は無理でも、例えば後方支援なら。
終いにはそんな馬鹿な考えすら、浮かぶ始末。
けれど、それでは駄目だと実感させる出来事は、そんな浮かれた私の眼前に迫っていた。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
続きも読んで頂けると嬉しいです




