4.尾を踏まれた虎の唸り
※物騒な発言があります
最愛のひとがすぐに手の届く場所にいる、と言うのは、心を浮かれさせるもので。
「なにか良いことでもあったのかい?」
次の日最初の授業、教室に入って顔を合わせるなり、後方支援科所属の幼馴染みであるトレイズにそう問い掛けられた。
欠席ばかりのアランは、たとえ学校に戻っても普通の授業は受けずに補講漬けになる。だからすぐには存在を気付かれまいと思っていたが、どうやら私からばれてしまうようだ。
「アランが戻って来ていてね。少なくとも一週間、長ければガーデンパーティまで、学校に滞在してくれるらしい」
「それは、きみには嬉しくて仕方ないだろうね」
私がアランを溺愛していると知っているトレイズは笑い、それから少し険しい顔になった。
「けれど、気を付けた方が良い」
声を潜めて言う。
「彼女にはなんの非もないが、敵が多い。狙われている」
「昨日から」
やはり気付いていたかと苦笑して頷いた。
「私の手勢に加え、兄さまと、父にも頼んで、アランを監視しているよ。事情はアントンからアランの侍女に伝えたから、アランが監視を撒くこともない」
今朝届けられた冊子を取り出す。
「遠征中に侍女が記録していたアランの行動記録の写しも貰った。討伐隊側の記録も貰えるよう申請している」
「抜かりないね」
「当たり前だろう」
防災科討伐専攻の同僚は、意外に多い。成績や家柄に関係なく受け入れてくれる専攻で、見習い終了後の給金も良いからだ。危険ではあるが、その分功績も上げやすく、生き残れさえすれば出世も見込める。家を継げない次男以下で、どこかの婿になる頭や才覚もない男だと、最後の希望で騎士として出世を目指すことになる。そんな者たちが多く所属するのが、討伐専攻なのだ。
しかし豊富な人数に反して、遠征に同行する同僚は少ない。実力不足のせいだ。討伐隊の任務は人命がかかった緊急性の高いものも多く、そんな場所に足手まといは連れて行けないのだ。我らが学年で去年討伐隊について行くことが許されたのはアランだけ。今年は数人許されたが、それも近場の危険度が低い任務の補佐ばかりで、アランのように隊の一員として認められている者はいない。
それだけ、討伐隊の仕事は厳しく危険なのだ。
「私の婚約者だからではない。アランは討伐隊の一員として、身を賭して戦ってくれている。その誇りを嘘で傷付けようなど、許されることではない」
昨日見た、焼け縮れた髪を、失われた手足を、思い出す。
もしもアランがメタルスライムを倒していなければ、何人の兵が犠牲になったか。それで劣翼竜の討伐が失敗していれば?劣翼竜と大量のメタルスライムに、いったいいくつの村や町が潰されることになったか。
アランが、嫌がらせをしているなど、あり得ない。そもそも学校にいなかったアランが、どうして嫌がらせなど出来ると言うのか。命懸けの任務に駆け回るアランのどこに、下らない嫌がらせへ費やせる時間があると言うのか。
「あーあ、虎の尾を踏んでしまって」
肩をすくめて言ったあとで、トレイズは目を細めた。
「手伝うよ。今回は無償で良い」
「どうした、珍しいことを」
「今回カピヤバ嬢が救った地域、知らないのか」
「うん?」
昨日アントンから受け取った調査書を思い返す。アランの手足を失わせた土地は、
「ボヴィダエ伯爵領。母の実家だ。収穫間際のこの時期に畑を焼かれでもしたら、冬に餓死者が出かねなかった。しかも」
うちの乳母は母の幼馴染みでねと、トレイズは笑う。
「カピヤバ嬢に庇われた自警団員、ひとりは俺の乳母子だ」
「それはまた、世界は狭いな」
「本当にな。久し振りに連絡をくれたと思ったら、自分の代わりに怪我した女の子は無事かと泣き付かれて、面喰らったよ。それで?」
うん?と首を傾げる。
「無事なのか?カピヤバ嬢は」
「あー……」
あれを無事と言って良いものか。
「元気ではあるよ」
「含みがあるな」
「いや、イーダ、アランの侍女がね。片足片腕落としたくらいで撤退とは情けない、片足でも問題なく動けるよう訓練をしようって、片足は止血だけでまだ治していないから」
ぽかん、と間抜け面をさらし、トレイズは絶句した。
「イーダも生粋のカピヤバだからね」
「それで済ませられる問題か?仮にも伯爵令嬢だろう。まかり間違って再生出来なくなったら、一生片足欠損だぞ?外聞が悪いどころの話ではない」
「カピヤバだから」
「なんなんだカピヤバは」
トレイズが頭を抱える。
「竜の大群が自領を襲っても単独で打ち払える領だからね。領民の意識からして違うよ。あそこは十歳以上は妊婦と病人以外みな兵だ。有事には男女関係なく全員武器を持って戦う。そして、戦って出来た傷なら、どんなに醜い傷でも貶されることはない」
なにせ国内で唯一、ヒドロ騎士団防災課討伐隊の世話になったことがない領地だ。
「なるほどそれでか」
得心が行ったと、トレイズが頷く。
「昔、母の護衛をしていた女性の話なんだが、娘が学校の演習で遭難して、顔に傷を残したんだ。そのあとすぐ、カピヤバ領に一家そろって引っ越して。魔物のせいで怪我をしたと聞いていたから、なぜわざわざ魔物の多いカピヤバにと思っていたが、娘のためだったんだな」
「ああ、そうだろうね」
どんな理由であれ、顔に傷を作っては、社交界での商品価値が下がる。面と向かって貶されはしないにしても、憐れみの目は向けられるだろうし、心ない言葉や好奇の視線は避けられないだろう。
だが、それがカピヤバだったならば。
「カピヤバでなら、顔に残るような傷を付けられながら、戦い抜いて生き残った度胸と幸運を褒められるよ。あそこは欠損の残る領民も多い上に、若い女性でもそれを恥じるどころか、武勇伝として語って聞かせるくらいだから」
引っ越して来た娘の顔に傷があったなら、目を輝かせて訊いて来るだろう。その傷を付けた魔物はどんな強敵で、いかにして生き残ったのかと。
「我が国は医療に力を入れているが、それでも治せない怪我や病気はある。とくに部位欠損は、治せる期限があるから、騎士や兵には期限内に治せず、退役するものもいる。そう言うなかには、カピヤバへの移住を望む者も多いよ。カピヤバも、戦う気があるなら喜んで受け入れるからね。あそこは裕福だ。腕や足の欠けた老人でも邪険にはしないし、腕や足の欠けた人間でも戦える設備が整っている」
昔、母の騎士が、母を庇って火傷を負ったことがあった。不運にも精霊魔法で、治癒魔法の効かない傷だった。顔と頭が半分焼け爛れた彼女は、近衛騎士を続けることが出来なくなって。
それを聞いたアランは、不思議そうに首を傾げた。
精霊魔法から主人を庇えるほど優秀な騎士を、なぜ辞めさせてしまうのかと。
こんな火傷ですからと答えた彼女に、耳や目に障害でも残ったのかとアランは訊いて。耳も目も正常だと彼女は答え、アランはさらに、それなら身体に動きにくい場所でもあるのかと問い掛けた。否、と彼女が答えれば、ならば戦うのに不都合はなにもないじゃないかと、アランはますます不思議そうな顔をした。
あなたの価値はひとつも損なわれていないのに、どうして辞めさせられるのかと。彼女は震える声で、私にまだ価値がありますかと訊いた。アランは嘘のない声で、強い騎士に価値がないわけがないと答えていた。
アランはそう言ったが、近衛騎士は国の顔だ。無惨に焼け爛れた顔で勤めることは出来ない。彼女は近衛を辞し、カピヤバへと移住した。そんな彼女を追って、ひとりの近衛が辞表を出した。
カピヤバに、ふたりも盗られてしまったわと、母は笑って言っていたが、あとで安堵して泣いていたことを、私は知っている。
母は彼女を近衛に残すことも出来た。けれど、そうして残せば彼女は、心ない言葉や好奇の視線にさらされることになっただろう。母としても、苦渋の決断だったのだ。
彼女は自分を追って近衛を辞した男とカピヤバで結婚し、いまは四人目の子供を身籠っている。
騎士や兵士である以上、身体のどこかを欠く可能性は、常に抱えている。そんな彼らにとって、カピヤバとは救いのひとつなのだ。
「だからこそカピヤバは、王族にへつらう必要性を感じていない。たとえ独立したとしても、単独でやって行けるだけの武力と経済力があるからだ。逆に我が国としては、武の要であるカピヤバを手放したくない。私とアランの婚約は、カピヤバと王家の結び付きを強化するために、我々王家から申し出て結んで貰ったものだ」
目を閉じ、開く。
「つまり、王の意向、と言うこと。アランの評判を落として婚約を潰そうとしている者は、どう言うつもりなのだろうね。自分の家で、カピヤバ伯爵家の代わりが出来るとでも?」
この国で、ヒドロ騎士団防災課討伐隊の世話になったことのない領地は、カピヤバ伯爵領だけだ。カピヤバ伯爵領がこの国でいちばん、魔物の出現の多い土地でありながらだ。カピヤバ伯爵家に、代われる家など存在しない。あの領地の民は、カピヤバ伯爵家にしか従わない。
「父と兄にはすでに報告してある。話の流れが判明すれば、良きように取り計らってくれるだろう」
静まり返った教室で、私の声はやけに大きく響いた。
「と、これは第三王子としての意見だけれど」
「ほかにも言いたいことが?」
「私個人としてね」
微笑んで、首を傾げる。
「愛する婚約者に根も葉もない噂を立てられて、非常に不快だ。下らない噂に関わった者とは、今後一切の関係を断ちたい、と言うか」
アランはべつに、こんな噂など気にしないだろう。心ない言葉や悪意を向けられるなど、今に始まったことではなく、彼女にとってはカラスの鳴き声のようなものだからだ。彼女が大事にしたいものは、ここにはない。
すなわち、消え去っても、アランは気にしないもの。
笑みを消して、低く言う。
「不敬罪と侮辱罪で全員処刑台に送り込みたいくらいだよ」
「……気持ちはわからないでもないが、それをやったらさすがに批判を喰らうよ」
「そうだね。それで批判がアランに向くのも避けたいし、ちゃんと裁判に通して公平な判決を待つよ」
罪状がどうであれ、処刑台に送れればそれで良い。
「激怒じゃないか」
「ああ、激怒しているとも。アランは、昨日、四ヶ月と一週間と二日振りに、学校に戻った。不在の理由は防災課討伐隊の遠征への助力。休む間もろくになく、国中を飛び回っていた。昨日戻ったのも手が空いたからではなく、民を身を呈して守って、瀕死の重傷を負ったからだ。校医が絶対安静だと怒鳴るような、重傷をね」
「安全な学校で暢気に授業受けてるやつが、そんなカピヤバ嬢を貶めるなんて、王族としても婚約者としても許せるはずがないか。俺も同意見だよ。同僚にそんな屑がいるなんて、この上なく遺憾だ。許しがたい」
俺は武術の才がなかったから、とトレイズは語る。
「最前線で戦うことは出来ない。だから後方支援科に所属している。後方支援だって軍には必要な機能だし、恥じるつもりはないが、後方が後方でいられるのは、誰かが命懸けで前線を守ってくれているからであることを、忘れるつもりはない」
「ああ、将だけでも、後方支援だけでも、軍は成り立たない。兵がいなくては、私たちは戦うことが出来ない。どれが偉いとか、秀でているとかではない。お互いにお互いの重要性を理解し、敬意を持つことが必要だ」
確かにアランの行いは、令嬢として模範的なものではない。泥にまみれ、血にまみれ、日に焼けて、山野を駆け回るなど、伯爵令嬢がやることではない。だが、アランはヒドロ騎士団付属騎士訓練学校の生徒なのだ。騎士訓練学校の生徒として、与えられた任務に尽力することは、少しも間違いではない。ましてアランは実績を上げている。称賛されることこそあれ、侮辱されるいわれなど、ひとつもない。
「ここがなんのために存在する場所であるのかも、アランがどれだけ、国と騎士団に貢献しているのかも理解出来ないならば、早々に退学届を出した方が良い。騎士になる資格がないからね。恥を知れ」
低く吐き捨てたあと、息を吐いて、表情を和らげる。
「なんて、厳しいことは言ったけれど、ここは学ぶための場で、みな学生だからね。心を入れ換えて、今後は真っ当な騎士を目指すと言うなら、私も許すつもりはあるよ。アラン本人は、この程度のことで怒るほど狭量ではないしね」
ふふ、と、顔をほころばせる。
「噂に関わった者は、アランのおおらかさに感謝した方が良いだろうね。もしもアランが噂に傷付いて泣くようなら、誰に止められても、私は関係者全員の手足を切り落として、生きたまま豚の餌にしていただろうから」
「王子がして良い発言じゃなくなってるが、大丈夫かな」
「それくらい、私にはアランが大事と言うことだね」
トレイズが、恐る恐ると言った体で問う。
「その怒り、俺の乳母子に行ったりしない、よね?カピヤバ嬢の怪我の一因なんだが」
「アランが身を呈して庇った相手だよ?幸運とアランに感謝しながら長生きして欲しいね」
「感謝しているよ。もっと鍛練を積んで、もし次があるなら二度と足手まといにはならないようにすると言っていた」
「それは重畳。感心な青年じゃないか。怒ったり恨んだりはしないよ」
心の底から安堵した顔で、トレイズが表情を和らげる。
「きみの婚約者が、カピヤバ嬢で本当に良かったよ」
「褒めてもなにも出ないよ」
「褒め言葉に聞こえるのか。いや、確かにカピヤバ嬢のことは褒めているが」
彼女は公正で権力欲がないから。
「きみに溺愛されていて、王子の婚約者と言う地位を得ていても、それを利己的な目的で使ったりしない。騎士道に則り、弱きを守り助けることに躊躇いも後悔もない。お陰できみに社会的にも物理的にも潰される者が出なくて済んでいる」
「そうだね」
もしもアランが泣きながら、虐められたから懲らしめて欲しいと言って来たら、私はきっと持てる権力と人脈と財力を総動員して、相手に地獄を見せるだろう。アランは絶対にそんなことで泣きも、私を頼りもしないが。
「アランは寛容、と言うか、無関心だから。アラン自身が価値を感じていない者の発言に、重きを置いたりしない。だから流行を追うこともないし、噂を気にすることも、贅沢に価値を感じることもない。でも」
「そうだな。だからと言って、王子殿下の婚約者への無礼が許されるわけではない」
「学生とは言え、来年には最高学年で、卒業すれば騎士だ。発言には、責任が伴う」
「流言飛語に踊らされるようでは、評価も下がるだろうね」
「少なくとも、私の心象はとてつもなく下がったよ」
あーあ、とトレイズが他人事のように、否、事実他人事として笑う。
「騎士になる以上、フィネスは未来の上官だってのに、愚かなことだね。そもそも」
片目をすがめて私を見るトレイズを、首を傾げてうながす。
「他人を流言で貶めて、それで運良く望む座が空いたとして、そんな醜い人間が後釜に着けると思う頭が軽過ぎる」
「辛辣だね」
「俺は馬鹿が嫌いなんだ。良く動く馬鹿ほど手に負えないものはない。得てして、有能な敵より無能な味方が、自軍の敗戦を導くからな」
トレイズは後方支援科所属だ。物資や人員、情報の調達や運搬が主な役目で、前線どころか戦地の最後方に立つ可能性すら低い。それでも彼は、敵対し得るすべての相手の情報を学んでいる。万一それと対峙したとき、戦えぬ彼が戦う者の足を、少しでも引かなくて済むように。
トレイズは自分が戦えないからこそ、戦う人間に最大限の敬意を払っている。戦えないからこそ、戦う者が万全の状態で戦えるよう、己の力のすべてを発揮しようとする。
だからこそ、平和な場所で揶揄だけする者や、他者の足を引こうとする者に、強い嫌悪感を抱くのだろう。
「違いないね。さらに言うなら、ここで口先だけの謝罪をするようなら、より心象が下がるよ」
肩をすくめて、首を振る。
「アランもカピヤバ伯爵家も、謝罪など求めていないからね。私も直接的な被害者ではないし、誰にどう謝るつもりなんだか。自分のための謝罪を口にしている暇があるなら、落ちた心象を上げるだけの価値を、行動で示せ」
それで評価を上げるかどうかは、保証しないけれど。
言ったところで折よく、教官が教室に到着し、授業開始を告げる。教室を見渡した教官は、不思議そうに首を傾げた。
「ん?なんか葬式みたいな空気だな。どうかしたのか」
「ああ、済みません」
へりくだり過ぎず、しかし敬意は示す。部下であり王族と言う立場で接するのは、意外と加減が難しい。
「少し不祥事があって、私とトレイズがその話をしていたので、同僚の行く末を案じているのかと。不祥事を起こしたとは言え、共に学んだ同僚ですからね」
「不祥事?」
「私の婚約者が、ありもしない悪評を立てられまして」
ああ、と教官が頷く。
「カピヤバは名前が独り歩きしてるとこがあるからなぁ。本人は至って真面目で優秀な奴なんだが、不在が多いから知られてないんだよなぁ、良い奴なのに、もったいない」
ふむ。見る目のある教官らしい。
「実際、関わった騎士からも兵からも、カピヤバの悪口は聞いたことがない。まあ、令嬢としちゃお転婆過ぎるきらいがあるが、出向先の平民にゃ、老若男女問わず大人気らしいぞあいつ。強くて格好良い英雄姫ってさ」
地位も功績も派手だから、やっかむ気持ちはわからんでもないがと、教官は苦笑する。
「騎士目指すならありもしない噂で足引っ張るんじゃなくて、実力で上に立って見せろよ。ヒドロ騎士団にはカピヤバより強い騎士が、いくらでもいるんだからさ」
と言うわけで授業だと、教官はすっぱり話題を切り替えた。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
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