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紋としきたり

洋巳は熱も下がり、体の方は徐々に回復しつつあった。しかし、心の方は少し困ったことになっていた。

ぼんやりとして落ち着いている時は良かった。ただ一度、心が記憶に(さわ)ると、しばらくぶつぶつ呟いていたと思うといきなり叫び出し、半ば錯乱しているようにも見えた。


妊娠する原因となった出来事と、それまで自分が信じてやってきた事。その結果と失ってしまったもの。大きな代償。

それらが一瞬にして覆いかぶさるように襲ってくる。

洋巳には、ただ叫ぶことしかできなかった。


「洋巳はここにいると辛いだろうと思います。家へ連れて帰ることにします」

剛拳が挨拶にやってきた。ちょうど奨弥も話があると訪ねてきたところだった。

御子姫に表の間に通された剛拳は、奨弥と御子姫と向かい合って座った。


「輪紋総代としては、戦から剛拳が長期間抜けるのは痛手なんだが。戦の間一人にするのが心配だと言って、引退すると言い出して困ってるんだ」

「そういうことなら、お留守の間、誰か(つか)わしましょう。剛拳殿も何かあれば響家を頼って下さい」

御子姫と奨弥は目を見合わせた。剛拳をなんとか戦さ場へ戻すことはできないか、奨弥は御子姫と話し合っていた。


「輪紋の女達でもいいんだが、元々少ない上に…奏家の屋敷にいるのは皆ちょっとな…」

「存じ上げております。対がいらっしゃらない方のお相手をなさるとか」

しれっと御子姫は言ってのけた。悪気はないのだ、そういうものだと教えられてきただけで。

どうやって話を切り出そうか迷っての失言に、奨弥は思わず頭を掻いた。


妙な空気感になったのを察して、御子姫は経紋について話し始めた。

「剛拳殿、少しお時間いただけますか。紋についてお話がございます」


不思議なことに、同じ紋同士では子が授からないのが一般的で、経紋は女にしか出なかった。反対に輪紋は男にのみ出現する。よって経紋衆と輪紋衆との(つい)は必然的なことだった。

(まれ)に、同紋同士で子を授かることもあるが、異形が生まれることが多いため避けるようになった。それが、初めは輪経紋の一族として在ったものが、二つに分かれていった理由でもあった。


ほとんどが産まれた時にすでに紋は決まっており、ただし出現の仕方は千差万別であった。普段から出ている者もいれば、そうではなく出現要因がある者もいた。

例えば、御子姫のように力を使う時にのみ現れるように。


「実は、今日お会いしたらお話しようと思っていたことがありました。私の母のことです。母は私を産んで間もなく亡くなってしまったので、成人し響家頭領になるにあたって祖母から聞かされた話です」

そう言って御子姫は着物の袖をまくると、腕を二人の前に差し出した。経紋は普通うっすらと透かしのように現れる。しかし御子姫にはまったく出ておらず、肌は真っ白なままであった。それこそ今の洋巳のように。


「私が産まれた時に、紋はありませんでした。それにまた、母にも生まれつき紋はありませんでした。母は生涯、経紋が現れることはなかったそうです。本家に生れながら、紋を持たず母は肩身の狭い思いをしたことでしょう」

「ではいつ頃、姫には紋が?」

うつむき加減に、御子姫は少しためらいがちに話を続けた。いつも思い出すたび、御子姫は母を哀れに感じていた。


「私は、生まれて間もなく、母に首を絞められ殺されそうになったのです。その時に力が発現し、母は私の力が元で亡くなったようです」

「なんと…」

聞いていた二人は絶句した。奨弥さえ知らない話だった。御子姫は淡々と話を続けた。


「我が身の危機に、我が身を守るため、強大な力が目覚めたと聞きました。普段の私には紋がなく、力の出現も幼すぎて操れませんでした。

ですから私はずっと、奨弥様と始めてお会いした儀式の日まで、奥の奥で、まるで座敷牢のようなところで育ちました。身の安全を計るため、祖母と信頼できる者数名と。今ここで私の世話をしてくれる者たちは皆がその近しい血縁者です」

「それは苦労されましたな…」

剛拳がかけた言葉に、ほほ…っと、鼻で笑うように御子姫は声を漏らすと、困ったような表情を浮かべた。


「苦労とは、なんでしょう。それが当たり前の中で、外の世界も知らず、しきたりと(おきて)に囲まれて育ちました。

ある意味この里も、皆が子供の頃育った親元の里でさえ、外の世界とはかけ離れたしきたりと掟の中です。

そんな中にいるからこそ、紋のあるなしが生きにくさにつながるのです」

年に似合わぬ、静かに微笑(ほほえ)む御子姫に絶えず感じられた(うれ)いは、その生い立ちにあった。


「洋巳に経紋がなくなり、力がなくなったとして、何がそんなに辛いのですか。むしろ、多くのしがらみから解放されて、自然に生きられるようになったのではありませんか。

私の母は、私を無かったものにしたいほど、しきたりやら掟やら多くのしがらみに囚われて、結局自分で自分の首を絞めてしまった」

剛拳の方をちらりと見ると、穏やかに御子姫は話を続けた。そして、(ふところ)から手紙のような包みを差し出した。その上へ、帯から懐紙に包んだ物を出して置いた。


「憎らしいことに、本物の(ケガレ)を知らん馬鹿者共が。重々キツう叱ってやりましたが、洋巳には良からぬ話がついてまわっております。

これだけあれば、しばらく困りはしないでしょう。折を見て、剛拳殿の方から洋巳に渡していただけませんか。出て行けというわけではありません。ただ、この先は洋巳らしく生きていって欲しいと思ってのことです」

「これは…」

剛拳の顔が少し強張った。剛拳は奨弥の方を見た。奨弥はただ首を縦に振った。

「剛拳殿にお預けするだけです。判断はお任せします」

包みには里から出た場合に頼れる宛、懐紙に包んだ物は金のインゴットだった。



洋巳を連れて帰る挨拶だけのつもりが、大変なことになったと剛拳は思った。勘のいい洋巳のことだから、下手な切り出し方をしたら出て行って二度と戻らないだろう。

とにかく今は、身も心も、少しでもよくなってくれるだけでいい。最初は哀れな女子(おなご)だと思うだけだった。今では離し難い、大切な存在となっていた。

「洋巳、迎えに来たぞ。さあ、いぬるよ」

洋巳は剛拳が来ると、調子がいいことが多かった。


御子姫は見送りながら、このままでも十分洋巳は幸せではないかと思えるほどだった。ただ、本当の意味で大変なのは、むしろこれからだった。

剛拳は今では副総代も務めていたため、毎日が忙しかった。その地位も何もかも洋巳のために捨てても惜しくはなかった。ただ、なかなかそううまくはいかないのが常である。


剛拳が疲れて戻ってきても、洋巳が調子が悪いと自分を責めて泣いたりわめいたりするのをなだめていた。挙句、剛拳への依存度が高くなった洋巳を、求めれば一晩中でも抱いて寝ていた。


「剛拳、お願いぃ、お願いよぅ、もっともっとおぉ!!ぐちゃぐちゃにしてえぇ!!」

激しい性交は、産後の肥立ちに障るので、上手くあしらっていると人が変わったようになった。


「私が大勢の男に輪姦(まわ)されて、汚いと思ってるんでしょ!!」

「そうじゃのぉて…」

「鬼の子を産んだ(けが)(ばら)なんて、入れたら腐って落ちるとか聞いて、もう抱きたくないんでしょ!!」

「誰にそがぁなひどいこ()われたんだ、思うとらんから、静かにしんちゃい」

そうなだめながら抱き続ける日々が延々と続くかと思うと、突然可愛らしく求めてくる。


「ん…あ、ぁん、いい…じゅんじゅんするぅ、あんあん、ああっ、いくぅ」

傷にさわらないよう股を開いて、芯芽の部分を舌で転がしてやる。


とにかく、洋巳のお守りはきりがなく、さすがの剛拳も仕事で行った奏家の広間で輪紋衆が集まる中、不覚にも倒れてしまった。気がつけば、総代の部屋で寝かされていた。

「剛拳、しばらく洋巳と離れて暮らさないか。このままでは共倒れだ」

剛拳は黙ったまま天井を見つめていた。自分がここで手を離してしまうことは、満身創痍(まんしんそうい)の洋巳にとってどうなのか。

「我々は、絶えず(ケガレ)との戦で生死と背中合わせの日々を送っている。そう容易く折れてしまうほど、弱くはないはずだ」

「初めは哀れに思っておったのです。今では、愛しゅうてなりません」

だがしかし、声を震わせて、剛拳はこう続けた。

「総代が仰るとおり、限界だろうと思います。これ以上、一緒におっては、洋巳のためにもならんと…」


家に帰ると、外まで聞こえるほど、洋巳の騒ぐ声がした。

何事かと中に入ると、経紋の頭領代理と洋巳の両親が来ていた。御子姫との話はついているようだった。御子姫にとっても致し方ないことだった。


「紋がなくなり力もなくなり、おまえがここにいる理由はもうないんだ」

父親がきっぱりと洋巳に言い聞かせた。

「剛拳さんには、いろいろと感謝しております。ですがどうか、しきたり通り離縁してやって下さい。この通りです」

洋巳の両親は深々と頭を下げた。

「それだけは勘弁して下さい。洋巳が落ち着いたら迎えに行きます」

両親の隣でわあわあと子供のように泣きじゃくる洋巳に向かって、しっかりと手を握りながら剛拳は言った。

「必ず迎えに行くから、待っていんちゃい」

洋巳は頷いた。洋巳は両親に連れられ実家へ帰っていった。

なんとも心細げな後ろ姿だった。それが、剛拳が見た最後だった。

数ヵ月後、洋巳は失踪した。

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