鬼の子
御子姫は赤児を代理に抱かせると、両手で赤児の口を開け、歯が生えているか確かめた。
ーーあっ、ぃつぅ…!
赤児の歯で、御子姫は指を切った。赤児はその指先に吸いついた。
「おやめ、あとでのぅ…」
赤児が生まれて真っ先に口にしたのは、御子姫の血であった。
やさしく赤児の舌を撫でると、赤児は吸いつくのをやめ口を開けた。指を抜くと赤児は口を閉じ、泣き声を上げることはなかった。
産婆は青ざめたまま、後産の始末をしていた。
「赤ちゃん…は?」
赤児の泣き声が聞こえないので、疲れ切ってかすれた声で洋巳が聞いた。産湯を使わすのを、代理に任せた御子姫は洋巳の元へ戻った。
「今、産湯できれいにしておるから、安心して待っておれ」
そう聞くと、洋巳は意識を失った。長く苦しいお産だった。
御子姫は去ろうとする産婆を呼び止めた。
「このこと、他言無用じゃ。決して誰にも言うでないぞ。もしも漏らしたら、容赦せぬ、よいな」
ことさら厳しく、御子姫は産婆に口止めをした。
「姫様、これをご覧下さい」
産湯できれいになった赤児の肌には、くっきりと輪紋が浮かび上がっていた。
「なんと、輪紋の力を授かっておるのか…」
御子姫は、どうしたものかと思わずため息が漏れた。
鬼の子に輪紋。それも見事な紋であった。男児の出産であれば、響家本家の敷地内では育てられない。やはり里へ引き渡すか、御子姫は悩んだ。
「姫様、しばしこちらへ…」
気を失って眠っている洋巳の元へ駆けつけた御子姫は、そっと着物をめくられた洋巳の体を見て驚いた。経紋がきれいさっぱり消えていた。
「なんと…力を腹の子に吸い取られたか…」
稀に、強大な力を持つ子が産まれると、母親から経紋が消えてしまうことがある。まだしも難産となることが多く、産後の肥立ちが悪く命を落とすこともある。
「洋巳はこのまま動かさず、こちらで様子を見る。目が覚めたら、薬湯を飲ませて、熱が出んよう気をつけよ」
御子姫は赤児を抱いたまま対屋を出て、母屋へ向かった。そこには内々に剛拳が、輪紋総代として参った奨弥と共に待っていた。
御子姫が赤児を抱いて連れてきたので、剛拳はホッとした表情を見せた。実は赤児の声がいつまで経っても聞こえてこないので、剛拳は気が気ではなかった。
「よかったな、無事、産まれたようだ」
「洋巳は、どうですか!?」
「難産だったゆえ、気を失っておるが、大丈夫じゃ」
ところが、あまり喜ばしい雰囲気が感じられず、剛拳は御子姫の顔を見つめた。御子姫は、剛拳と奨弥に赤児を見せながら注意した。
「口元へは、指を持って行かぬよう気をつけて下され」
そうして、御子姫は赤児の頭をよくよく見せた。
「コブのように見えますが、明らかに角、角が二本生えております。歯もしっかりと生えております」
茫然とする剛拳へ、静かに御子姫は告げた。
「異形…それも鬼の子…に、ございます」
「それで…」
剛拳は震える声で、赤児を見つめた。
「ご安心下さい。どうもしません」
気持ちを察した御子姫は、やさしく笑いかけた。
「異形の隠れ里へ、預けることとなります。そこで、よろしければ剛拳殿の方から、洋巳に伝えてはもらえませぬか」
そこへ、奥から使いが来た。うっすらと意識が戻ってきた洋巳が、赤児の声がしないことを不審に思って騒ぎ始めたという。
剛拳は、御子姫に今すぐ洋巳に会わせてもらえるよう頼んだ。
「赤児のことも、私から話します」
奥の対からは洋巳の声と、必死になだめる女達の声がした。
出産を終え、気を失っている間に着替えさせられ、洋巳は布団に寝かされていた。
「静かにしんちゃい」
剛拳がやってきたのに気がつくと、洋巳は赤ちゃん、赤ちゃん…と繰り返して泣いていた。
「赤ん坊はここじゃ」
剛拳は御子姫から赤児を渡されると、洋巳に見せてやった。そして赤児の頭をさわらせた。
「角があるのがわかるか、鬼の子じゃ」
洋巳が赤児を抱こうとすると、剛拳が引き離した。
「なんで!?赤ちゃん!!」
「鬼じゃけぇ、歯が生えとる。乳はあげらりゃぁせん」
泣きじゃくる洋巳を見つめながら、剛拳はもう一つ悲しいことを告げた。
「洋巳、あんたは経紋がなくなったけぇ、もう戦わのぉていい。ぼちぼち休みんさい」
それを聞いた洋巳は一瞬呆然としたかと思うと、体を見るなり絶叫した。御子姫は哀れに思えて、とても見ていられなかった。
御子姫は剛拳から赤児を渡されると、母屋へと去っていった。
洋巳はいつまでも、剛拳に抱きついて泣いていた。
御子姫の破格の計らいで、剛拳はしばらく洋巳と奥の対にいた。洋巳は産褥熱で動けずにいた。うなされながらもずっと、赤児を求めている姿には、さすがの巫女姫も心が揺らぎ続けた。
赤児は情が移ると離れがたくなるので、洋巳が寝込んでいる間に、御子姫は赤児を隠れ里へ連れていった。
隠れ里のもっと奥、御子姫にしかわからない場所に結界を張って、信頼の置ける異形の夫婦に赤児を預けた。
名は豪鬼とつけられた。しばらく山羊の乳で育てられることになった。
「ちょくちょく、様子は見にくる。よろしく頼みます」
鬼の子とはいえ、赤児はかわいかった。御子姫でさえ数日面倒を見たら、別れるのがさみしかった。母親ならば、もっと辛いだろう。洋巳のことを思うと、御子姫は気鬱で仕方がなかった。
異形の里から戻ってくると、洋巳が鬼の子を産んだと噂が、そこら中に広まっているようだった。
「どういうことじゃ!」
御子姫はお産に関わった者を集めると、厳しく詮議をした。いつもの穏やかな御子姫は消え失せ、苛烈極まりなかった。
結局、産婆から漏れたことが明らかになると、産婆は地下牢へ入れられた。
「容赦はせぬと言ったはずじゃ!!」
御子姫は刑罰を与えるため、刑吏が到着すると連れ立って地下へ降りた。
その姿を見るなり、産婆は手を合わせて地面に突っ伏し、涙ながらに謝り続けた。
「言ってはならぬことを言う、悪い舌じゃ」
御子姫の口調は淡々としていた。
産婆は縛りつけられ、取り押さえられ舌を閻魔で引っ張られた。舌の先に食い込む痛みで、大声で叫び始めた。口の端からよだれが垂れ飛び散る。
「うぇぇぇっ、うわぁぇえーっ!!」
御子姫は自ら羅紗鋏を握ると、大きく重いので柄を両手で握り、思い切りばちん!と産婆の舌を切った。声にならない叫び喘ぎながら、口を押さえてのたうちまわるのを、刑吏がさらに押さえつける。
「この目も、要らんのう」
御子姫は産婆の髪を引っ張り、細く美しい指先でずぶりと右目をくりぬいた。血まみれの口を開けて叫ぶので、御子姫によだれ混じりの血しぶきがかかる。
「汚いのう…」
もう一つ残った目は、御子姫を見て助けを求めていた。その目を御子姫はためらうことなく指でえぐり取ると、地面にぽいと捨てぐちゃりと草履で踏み潰した。白い足袋に肉片が飛んだ。
あとは刑吏に任せると、御子姫は顔にかかった血を着物で拭って、そのまま湯屋へ向かった。血のついた着物も帯もなにもかも脱ぐなり燃やせと命じると、誰も取り次がぬよう風呂へ入っていった。
ーーああ、穢れた
湯船に入ると、御子姫は頭の先まで湯に浸かった。頭を洗うと、湯に浮かびながら自分の体を清め始めた。
「はぁ…はぁぁぁ、はっ…はぁ、はぁ…ぁああ…」
こんなふうに感じるのかと、御子姫は驚いた。以前はただただくすぐったいだけだった。自分の髪に宿る祓いの力。
全身をくまなくなぞるうち、御子姫は思った。まるで自分で自分を慰めているようだと。
湯の浮遊感と、紅潮した人肌と同じ温み。
これはこれで気持ちのよいものだ。
ーー疲れた
疲れ切った御子姫は、長い間湯に浸かり自分をもてあそんだ。




