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決戦

三年もの間、事象に不必要な影響を与えないよう、常世への戦と祓いを止めた。

しかし、結果はもう、(ケガレ)の変容は止められるものではなかった。(ケガレ)も祓われぬよう、姿形を変え、性質までも変えた。

特に、輪紋響紋を併せ持つ、二人の御子の出現は、(ケガレ)にとっては驚異だったろう。二人が生まれた夜に、(ケガレ)が唸るような音を初めて聞いた。


(ケガレ)は元々、常世の大河にはいなかった。常世の大河とは一体なんなのか。いつどこでどのように生まれたのか。大河は大海だったという。

いつの世か、ある集落から、常世の神を鎮めるため、(ニエ)を海へ流すことが行われるようになっていた。その集落に住んでいた者たちには、全身に輪響紋(わきょうもん)の入墨があった。ある時、海に流したはずの(ニエ)が葦で編んだ籠に乗って帰ってきた。


籠に乗って帰ってきたのは、全身が金色に光り輝き、真っ白な髪と真っ赤な目を持つ赤子だった。赤子には性別がなかった。男であり女でもあった。

集落の者たちは、赤子を守りながら贄となる運命を避け、他所(よそ)の地へと隠れた。

赤子はひっそりと隠されながら育てられた。赤子は(ケガレ)と呼ばれるものを祓う力を持っていた。


集落の者たちは常世へと通じるという川の流れる上流に隠れて住んだ。集落の者には輪響紋を持つ者が多く、中には(ケガレ)と呼ばれるものを祓う力を持つ者もいた。皆一様に異形の姿形をしていた。

ある日、その川を挟んだ向こう側の集落で、突然頭に頭巾(ずきん)を被る者が現れ始めた。頭巾とは頭だけでなく顔も覆う布袋であった。頭巾の者たちはまるで人形のようだった。


その頭巾の者たちの出現とともに、川を下った先で(ケガレ)が見受けられるようになった。(ケガレ)は人の顔をした魚のようなもので、尾鰭(おひれ)を持ち、大海の中で(ケガレ)同士で闘っていた。その尾鰭はまるで手足のようだった。それが最初の(ケガレ)について語られた口伝だった。


(ケガレ)は時には魚のような(なり)のまま地上へ現れることがあった。集落では結界を張り、(ケガレ)の侵入を阻んだ。(ケガレ)(おか)されてしまうと、知らぬ間に頭巾を被る人形のようになっていた。集落では頭巾となった者たちを川向こうへと追いやるしかなかった。(ケガレ)が川を上ってこれないよう大石で(せき)を設けた。


それから、集落の者たちは(ケガレ)を祓うため、川を整えて船着場を作り、船に乗って大海へ出るようになった。大海はいつしか大河へと変貌していった。そして常世となり、(ケガレ)が大河の向こうから現れ始めた。常世は、まるで別の空間へ渡って行くようなものだった。(せき)より向こうが常世となった。ちょうど川と堰との間には、空間として別れている強い作用が働いていた。


輪響紋衆が、いつから船に乗り、水路を使って大河へと至り(ケガレ)を祓うようになったのかはわからない。気がつけば、(ニエ)となる運命から、代わりに(ケガレ)を祓う運命へと役目を変えていた。

多くの病が(ケガレ)に依るものとされた。(ケガレ)の元とされる頭巾の者と混濁し、頭巾の集落は混沌を極めた。


真白(ましろ)の赤子は赤子のまま年をとらなかった。ある時、真白の赤子は頭巾の集落に降りて、(ケガレ)と成り果てた頭巾の衆を消滅させた。残ったのは、頭巾を被せられた病人だった。こうして時として、病人を頭巾を被せて捨て置く集落ができるようになった。

(ケガレ)に触れたところは黒くジュクジュクそしてブスブスと爛れ落ちていく。何もしなければ、やがて全身黒く腫れ上がり崩れる。それに似た病が流行っていた頃もあったからだろう。


(ケガレ)を祓うということは、それこそ命を()して行うことだった。そのための戦に、今から出向かねばならなかった。

今や(ケガレ)の様相は、輪紋衆響紋衆の戦人(いくさびと)にとって、ひと昔前に聞かされていた、命がけの戦をしに行く相手となっていた。


船団は、大将船が(となえ)の対、言葉(ことは)の対の二隻に総勢六対の大砲(おおづつ)と八対が乗船した。付き従う副船は四隻ずつ計八隻、総勢八十対が乗船する。そして、御子姫と奏司と豪鬼の対が乗る異形の大船には八対の大砲(おおづつ)が乗った。総勢二百名近い輪紋衆響紋衆が出陣することとなった。


(ケガレ)によって常世の大河にうねりが出る対策は、三年間何もしていなかったわけではなかった。すべての船に祓詞護札を張り塗装し、(ケガレ)から船と船上と戦人を守るようにした。

これで果たしてどこまで戦人を、うねりに上下する大河の水面から、守ることができるのか。それは出陣してみなければわからなかった。



出陣までの三日間は精進潔斎をするのが今までのしきたりであった。ただし、此度の戦に限っては御子姫から、各地より届いた御神酒(おみき)の振る舞いがあった。

(ケガレ)の変容は皆に伝わっており、緊迫感や緊張をほぐす目的もあったが、何より御神酒による精神への鼓舞を勧めた。


出陣前、戦装束に身を固めた奏司、豪鬼、御子姫の三人は眴と剛拳とも一緒に出陣前の御神酒を飲んでいた。御子姫は留守を預かる眴や剛拳にも、何度も子等を頼むと言って船着場へ向かった。いつにも増して赤々と篝火は焚かれ、手に手に松明を持ち見送る人垣ができていた。


御子姫が総大将の異形の大船に乗る。朗々と大祓詞が奉納された。


高天原(たかまのはら)神留(かむづ)まり()皇親神漏岐神漏美(すめらがむつかむろぎかむろみ)(みこと)(もち)て八百萬の神等(かみたち)神集(かむつど)へに集へ賜ひ神議(かむはか)りに議り賜ひて…


…高山の(すえ)、低山の末より、

さくなだりに落ち多岐(たき)速川(はやかわ)

瀬に()瀬織津比売(せおりつひめ)といふ神、

大海原に持ち出でなむ…

かく持ち出でいなば、

大海原に坐す速開都比売(はやあきつひめ)といふ神、

持ち加加吞(かかの)みてむ…

かく加加呑みてば、

気吹戸(いぶきど)に坐す気吹戸主(いぶきどぬし)といふ神、

根国(ねのくに) 底国(そこつくに)

気吹放ちてむ…

かく気吹放ちてば、

根国 底国に坐す速佐須良比売(はやさすらひめ)といふ神、

持ち佐須良比てむ…

此く佐良比 失ひてば、

罪と云ふ罪は在らじと祓へ賜ひ清め賜ふ事を天津神國津神八百萬(あまつかみくにつかみやおよろづ)神等共(かみたちとも)に聞こし()せと(まを)


割れんばかりの大声で(とき)の声が上がる。船は閘門から出て行く。御子姫の総大将大船が出るまで待つ。不思議とそこまでの大きな波やうねりはない。戦の前のしんとした、何とも言えない不気味な静けさである。

御子姫も異様な静けさに身構えた。


総大将の船を先頭にその後ろに双子の大将船、偃月(えんげつ)の陣形で様子を見ながら進んだ。

共喰いは一旦収まったのだろうか、大河は静かだった。

そこへ遠方で大カマが跳ねた、見るからに大きかったそれが、常世の闇夜の中、黒く大きな影に一飲みにされた。


それを見た奏司は唖然とした。これほどまでに大きいのかと。

「大バケだっ!!」

偃月の陣で囲われた中へ、すーっと底から近づく影がある、総大将の船の上から御子姫が叫ぶ。

「陣の真ん中に大アカメじゃ!浮いて来よる!用心せいっ!」

御子姫と目を合わせた、大アカメは陣形の数倍はある大きさだった。そのアカメがエラを大きく動かし、水底から笑いかけたように見えた。


「術式構えよ!仕掛けて来るぞ!」

そのアカメと大して変わらぬ大きさの大バケが、陣形を揺るがすほどの波を立て水面に現れると尻尾で水面を叩いた。それだけで船は大波に持ち上げられた。

波間から大バケが顔を出す、今じゃ!という声とともに一斉に輪響紋の術が放たれ祓いにかかる。大バケはそうはさせぬとばかりに一気に潜ると、船団へ向かって大波を起こした。


大きな悲鳴とともに、船がひっくり返らんばかりに波に揺れている。そこへどこから飛んで来たのか、大カマが船目がけてカマを振るう、船に傷がついて行く。今すぐどうこうという傷ではないが、十分に乗っている者には恐怖を与える。

御子姫は総大将の船を真ん中に、方円形に各船を配置する。どこから(ケガレ)が来ても御子姫が大砲(おおづつ)で祓うつもりである。


御子姫の乗る大船の下を大アカメが悠々と過ぎ去った。同時に両方向から大バケが頭をもたげた。御子姫は双方向へ異形の大砲(おおづつ)を四つで祓わせた。その瞬間、目の前に大バケが頭を出してきた。御子姫は奏司と豪鬼との四連弾を放ち祓う。

一匹の大きな大きなアカメが、まるで陣頭指揮を執っているようだった。

(ケガレ)じゃろう?本当に(ケガレ)なのか?」


御子姫は奏司に向かって聞いた。

「間違いない。船団を全滅させるつもりだ」

確かにじわりじわりと、こちらの手の内を見ながら追い詰められているようだ。(ケガレ)は祓っても祓っても、波とともに襲って来た。護札で守られているとはいえ、船は徐々に傷ついていく。同時に、戦人たちの気も枯れつつあった。


いつまでも戦い続けられるほど、十分な気を保っていられるような相手ではなかった。御子姫は引き際を考えていた。

しかし、それを悟ってでもいるかのように、船団を引かせまいとして大バケが方円形に守る船団を包囲し波間から顔を出していた。それはまるで御子姫たちを笑いながら(ほふ)る時を待っていた。


そんな中、まるで船団を恐怖に陥れようとするのか、周囲で共喰いが始まった。ザコの果てしない共喰いに、トグロ同士が食い合うところへ、イタチが飛びかかっていく。跳ねるカマには同じように大バケが跳ねて大きな口で丸呑みにする。

まるでいつその共喰いが船を目がけて襲って来るのかわからない様相に、戦人たちの叫び声があちらこちらから聞こえてくる。


「だめじゃ…もう戦えぬ」

「御子姫があきらめてどうするんだっ!!」

「引きたくても、(ケガレ)に囲われて引けぬ」

「それを突破できればいいんだろう、この船を先頭にして魚鱗にする。一斉に突破方向に大砲(おおづつ)ぶち込んだら、船団に結界を張るんだ。一気に突っ切る」


「御子姫が飛んで囲いの弱いところを見て合図する。みんな術式構えだ」

御子姫が高く飛んだ時、まさにその時を狙っていたかのように、一際大きな大バケが御子姫を喰らおうと飛びかかってきた。

輪紋三つを出して御子姫をかばうように奏司が飛び出していった。同時に豪鬼が、奏司が突き飛ばした御子姫を抱き取った。


御子姫は豪鬼の腕からすり抜けると、大バケの口へ落ちていく奏司へ腕を伸ばして飛んでいた。豪鬼もまた御子姫を追って飛び込んでいく。

「姫様ぁぁぁーっっ!!」

異形衆も、双子の対も、目の前で一瞬のうちに起きた出来事に茫然とした。船団から悲鳴とも叫びともつかない声が上がり、常世の波間に消えていった。

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