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出産と別れ

待ちに待たれた御子姫の懐妊は、里だけでなく全国に点在する響紋衆輪紋衆の村落でも大いに祝われた。まだ子が生まれる前からお祭り騒ぎである。

御子姫が懐妊したことで、里では次々と妊娠の知らせが入るようになった。双子も無事妊娠することができた。


異形の里からはお祝いの品として、見事な山藤の苗木が届いた。元々御子姫の屋敷の庭には藤の木が植えられているが、その隣に山藤は植えられた。ちょうど山藤は左巻きなので、右巻きの藤と対のように見えた。


常世の大河から程近いこの里では、唯一根付いたのは藤の花だけであった。双子の母親は、戌の日に腹帯を持って御子姫の元を訪ねた。そして、芥見(あくたみ)の集落から来た眼を持つ者たちと会い、御子姫が姫御子と男御子を授かっていることを知った。


産み月が近づいてくると、御子姫の腹は大きな西瓜でも抱えているかのように大きくなっていった。腹帯を巻いてはいたが、腹の子らはすくすく育っていた。だいたいの予定日は知らされていたが、その時は突然やってきた。


とにかく、その日の朝、奏司と豪鬼が鍛錬を終えいつも通り、御子姫の部屋の前で御子姫を呼んでいた。最近は慣れて早朝から顔をのぞかせるのだが、その日の朝は様子が違った。部屋からは腹を抱え、痛みに顔をしかめて御子姫が出てきた。

「陣痛じゃ、誰か呼ばっておくれ」

奏司は縁側から部屋に入ると、奥へ声をかけて陣痛が始まったことを知らせた。


初産の上、双子なので、時間がかかるだろうと、奏司と豪鬼は一旦それぞれ家に戻った。昼には里中に、御子姫に陣痛が始まったことが知らされた。双子は手伝いに来ていたが、自分たちもまた身重なので夕方には、元の頭領代理と交代して帰っていった。響家本家へは、里の外から、手伝える者たちが集まってきていた。


眴は堤に篝火を焚かせて、守り人とともに(ケガレ)の様子を見ていた。御子の誕生とともに何か変化があるかも知れないと、眴は予測していた。

不測の事態は避けたかった。奏司と豪鬼をはじめ、里の輪紋衆が集まり、(ケガレ)に備えた。

(ケガレ)は、今夜はいつもに増して動きが活発だった。今までしばらく落ち着いていたのが嘘のように、常世の大河は荒れていた。


夜半過ぎ、響家本家から出産が始まったと連絡が来た。常世から(うな)る声のような音が響いてくる。集まった輪紋衆は奏司と豪鬼が輪紋で盾を作ったのを機に、御子姫を護るように輪紋の盾を巡らし、大祓詞を唱え始めた。

奏司は眴の元へ行くと、何か今までにない様子はないか聞いた。大河が大きなうねりを見せていた。


常世の空は益々黒く澱んでいた。現世(うつしよ)では夜明けが待たれていた。今宵は新月であった。しんと静まる中、本家の方からかすかに赤子の泣く声が聞こえてきた。姫御子の誕生だった。

輪紋衆からは歓声が上がった。二人目はなかなか生まれてこなかった。

そこへ眴が奏司を呼びに来た。


「あれを見て下さい」

遠くを指差す方向に、常世の闇が一層深くなっていた。その闇が動いたように見えた。

「なんだ、あれは…」

共食いを繰り返す(ケガレ)の向こうに、山のような闇が広がっていた。しかし、その闇は動いていた。


姫御子が産まれてから、半時ほど経ったであろうか、やっと第二子が誕生した。男御子であった。二人には輪紋とともに響紋があった。

まるで夢か何かに出てきた子供のように、二つの紋がしっかりと刻みこまれていた。

現世(うつしよ)では、空が薄く白み始めていた。里中に、御子姫の無事出産を終えた知らせが届いた。



姫御子は、由良(ゆら)姫と名付けられた。

男御子は、宇羅彦(うらひこ)と名付けられた。『彦』という字には皇子という意味があった。

二人の御子は、数日経ってから、父である奏司と豪鬼とに会わせられた。

その頃には、出産で疲れ果てた御子姫にもいつもと変わらぬ様子が戻っていた。


お七夜には、正式に名が発表された。

頃合いを見計らって、奏司は母洋巳からの子供たちへの贈り物を御子姫に見せた。

男の子の宇羅彦には縞瑪瑙(オニキス)の勾玉に猪の皮紐。女の子の由良には紫翡翠の勾玉に鹿の皮紐。

「どちらも(ケガレ)封じの魔除けの力が込められてる。猪野神(いのがみ)鹿野神(かのがみ)の家に頼んだって」


「ほう…手が込んでおる。生まれる前から準備しておったのじゃな」

「うん、眴とよく話をしてたって剛拳から聞いてる」

「今、どうしておる」

御子姫は洋巳の容態を聞いた。奏司はあまり御子姫が負担に感じないようさらっと言ってのけた。

「全身に散って、気力だけって感じ」


「会いたかろうなあ、孫に」

「御子姫、連れてきてもいい?」

「もう、動けんじゃろう。私が行こう。そなた、車は出せるじゃろう」

御子姫は赤子の入った籠を飽きもせず眺めている豪鬼に、それを持って洋巳に会いに行くぞと声をかけた。

奏司は驚いて、慌てて頷いた。豪鬼は御子たちの様子を確認していた。


「豪鬼はずっとこんな調子なの?」

「よう面倒をみてくれる。むつきも替えてくれるぞ」

「俺より、よっぽど役に立ってるじゃん」

御子姫はにっこり笑うと、奏司の頭を撫でた。

「そなたには他にぎょうさん、やらないかんことがある」

「どうしたの、頭撫でるなんて。子供ができてすっかり母親モードだよね」

奏司は照れながら、撫でられた頭を掻いた。御子姫はすっかり着替え終わって出立するばかりだった。


突然の訪問に剛拳は驚いた。洋巳は居間に置いた医療用ベッドに寝ていた。

誰より驚いたのは洋巳だった。もう起き上がる力さえないように見えた洋巳だったが、もたれていた体を起こししっかりと座り直した。

「御子姫様、勿体のうございます。わざわざ、お越しいただくなど」

「構わぬ、無理するな。今日は素晴らしい祝いの品の礼が直接言いたくて、御子の披露(ひろう)に来た」


洋巳は二人の御子を両腕にしっかりと抱きしめ涙した。洋巳の後ろに豪鬼と奏司とが寄り添い、それぞれの御子とともに写真を撮った。

珍しいことに御子姫も二人の御子を抱き居間の椅子に座り、その両側にそれぞれ父である二人が立ち写真を撮った。

剛拳はフイルムを現像するため使い切った。一本のフィルムに里へ来てからのいっぱいの思い出があった。


「実はのう、此度(こたび)の出産で…どうしてあの時、そなたから子を奪うような非道な真似ができたのかと…ようよう思うようになったのじゃ」

御子姫は己の出自を呪っていた。子を産むことなど一生無いとさえ考えていた。母を呪い、己を呪っていた。最も呪ったのは響家という、家そのものだった。

御子姫は心底、この家から解き放たれたかった。


我が身の自由を奪い、しきたりだの何のと多くの事柄を課してきた。

何が本家本元だ。その(おびただ)しい祖の運命を背負わせないでくれ。

生まれた時から牢の中で、十二の時にやっと自由になったと思えば、しきたりに雁字搦(がんじがら)めになっていた。


「あの時、そなたから豪鬼を取り上げたりせず、剛拳とともに異形の里へ預け置けばよかった。そうすればそなたもあのような過酷な道を進むこともなかったろうに」

御子姫は、痩せて細くなった洋巳の手を取り握りしめていた。

「奏司だとて、何もわざわざこのような運命に巻き込まれたりすることなく、どこかでもっと違った日々を送っていただろう」


「御子姫様…それは…」

「御子姫、それは違うよ。俺と御子姫はどこでどう生まれてたって、きっとこうやって出会ってたよ」

奏司はにっこり笑って、まるであの日あの時を思い出すかのように語った。

「運命ってのはある日突然目の前にやってくるんだ」



御子姫はそれからも何度か子を連れてやってきた。

そんなある日の午後、皆に囲まれて過ごすうち、いつのまにか寝てしまったように、気がつくと洋巳は息を引き取っていた。

痛みに苦しんでいたはずなのに、あまりにも安らかな寝顔に、誰も涙するものはいなかった。


埋葬は剛拳に任された。洋巳は神守なので、響家の戦人が眠る墓所には埋葬できなかった。亡骸は荼毘に付され、遺骨は剛拳によって持ち帰られた。剛拳はそのまま屋敷に住み、洋巳の遺骨は自分と一緒に埋葬すると言った。

剛拳には身寄りがなかったので、御子姫が引き受けた。


奏司は連日、眴と堤から(ケガレ)の観察をしていた。

戦に出なくなって、間もなく三年が過ぎようとしていた。

出産から一年は休みたいと、御子姫からの要望があった。双子も親元で子を産み育て、帰ってくるのはまだ少し先だった。

戦人の里でも、里で産み育てる者より、親元に帰っている者の方が多かった。


長い休戦の間には、新たに(つい)となる者がいた。本来なら、今までの御子姫ならあれこれ規制を設けていただろうが、不思議なことに自主性に任せるとだけ申し渡していた。

幼子を育てながら、時折奏司から報告される(ケガレ)の様相に、御子姫は戦をしに出かけて行ったら無傷では済まないことを覚悟していた。


(ケガレ)は長期に渡り、祓いの戦が行われないことを、理解している節があった。堤から見ていると、堤の高さはだいたい10メートルほどだが、近くまで来て何かしでかそうということはなかった。

常世と現世との間には、(ケガレ)でも今の力では、乗り越えては来られない何かの作用が働いているようだった。


(ケガレ)はそれでも、戦が行われない間に、激しく変容を遂げようとしているようだった。共喰いは続いていたし、今までは遠くから様子を伺っていた、大きなアカメが澱みから水面へ上がってくるようになった。

そして、アカメの中程度くらいまでのものが姿を消していた。大河の水底では最後の変容が起きていた。

大きな(なまず)のようなのっぺらぼうで頭と口だけが大きな(ケガレ)が澱みごとアカメを喰らっていた。


奏司と眴は、その大鯰の(ケガレ)をバケと呼んだ。大きなものは大バケ。

その大バケの大きさは底知れなかった。異形の里長から聞いていた、昔々の(ケガレ)は山のように大きかったという、それを思わせるものがとうとう現れたのかも知れなかった。


その大バケは水面に上がってきては、大きな口でザコをいくらでも飲み込んでいた。

奏司と眴は、刻一刻と変容を遂げる(ケガレ)に、今の船団では最早立ち向かう術が探せないでいた。

「それでも、船が壊れて使い物にならなくならない限り、一度は戦に出て行くだろうね」

「そうですね、それが輪紋衆響紋衆の存在意義ですから」


大バケが現れてから、若干ザコどもの共喰いが収まっているようだった。

バケの厄介さは、突然水面下から大口を開けて船を飲み込むだろうということが明らかだった。

大将船には双子の対と、他八対、合計十八名、副船は四隻で各船十一対、合計二十二名。だいたい一隻平均二十名は乗っている。

それが大バケ相手では、一瞬で丸呑みされるだろう、そう考えると痛手は物理的にというより精神的に大きい。


奏司にはもう、どうしたらいいのか戦の戦法一つ思い浮かばなかった。

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