鬼か蛇か(1)
戦から戻り禊を済ませた奨弥は、御子姫の部屋でひざ枕でくつろいでいた。奨弥を見下ろす御子姫だが、奨弥と目が会うたびにほんのりと頬を赤く染めていた。
奨弥が寝返って、顔が御子姫の腹部の方を向く。
「あ…っ」
囁くような声が漏れる。
見れば、奨弥が悪戯ぽく笑い、あそこへ顔を埋めてくる。御子姫はよけいに顔を紅潮させながらも、やさしくとろけるような笑顔を向けていた。
幾度となく戦にでるたび、奨弥に禊を施すため、奨弥の物を受け入れる。夫婦となった対の禊では、より良く、穢に受けた傷などを癒し祓うために、一つになり互いに気を通わせることが当たり前だった。
そうして、御子姫を可愛く想う心が芽生えた奨弥は、繭を抱くようにやさしく、やさしく御子姫と睦みあうのが、禊よりもなによりも癒しとなった。
ーーこんな幼い十二の少女が不思議な…
頭の先から爪先まで、すべてを包みこむように、安らぎを与えてくれる。
顔を埋めながら、いったいどちらが子供かわからんなと、奨弥は思った。こうしてやさしく髪を撫でられているだけで。
「奨弥…」
起き上がった奨弥は、御子姫の唇をやさしく包みこむように吸った。
「あ…御簾…」
奨弥は御簾を下ろすと、今一度、御子姫に口づけた。
真っ黒な艶やかな黒髪に、切りそろえられた前髪から覗く黒い大きな瞳は、奨弥をうるうると見つめていた。奨弥の胸元にしなだれ、かすかに開く口元は桃のように色づいていた。
帯をゆるめ、着物を少し広げると、奨弥の腕の中で、あぁ…と恥ずかしそうに身をくねらせる。黒髪と、桃の香がする芳しい肌。
奨弥は胸元に口づけた。頭の上から御子姫の恥ずかしそうに小さく喘ぐ声が降ってくる。奨弥は御子姫の腰に手をかけると、持ち上げて自分の物をゆっくりと入れ始めた。
「あ、ぁ…ぁ…あ、ぁぁ…んぁ…あはぁ…!」
可愛らしい、鈴のような、小さな声が桃のようなやわい唇から漏れてくる。
それだけで、奨弥の物は大きくなっていく。
今までの女達と比べることなど、もはや意味がない。
年など、意味を持たない。
「姫、愛している」
初めて、執着心を抱いた。
「私も、誰にも盗られたくありません」
そう言うと御子姫は奨弥に抱きつき、腰をゆっくりと、徐々にはやく上下に動かし始めた。
「はぁん、んん…ぁんん、ん、はぁん…」
しばらく、なんとも艶めかしい声が続いた。
奨弥もこらえきれなくなり、御子姫を抱きかかえて横になると、腰を引き寄せもっと奥へと動かしていた。
御簾が降りている間は、誰も近づくことはできなかった。
しばらくして、二人は身支度を整えると御簾を上げ、奨弥は自分の務めがあるので御子姫の元を後にした。
それを待ち構えていたように、頭領代理が部屋へ入ってきた。
御子姫はその表情を見ただけで、また何か面倒事が起きたと悟った。
「おまえがそういう顔をする時は、本当に嫌なことしか思い浮かばぬ」
その時浮かんだのは、間違いなく洋巳だった。
御子姫は聞く前から眉をしかめた。
「申し訳ございません。洋巳ですが、月のものが来ないと言ってきました」
「そんなもの、あのようなことがあれば当然じゃ。私に報告せずとも、ホオズキで良かろう」
ホオズキは根に毒があるが薬にもなった。子宮を収縮させる効果もあったため、昔はよく堕胎薬として用いられることがあった。
「ところが、腹の子は奨弥殿の子だと言って、言うことを聞きません」
そう聞いた途端、御子姫は代理を凄い形相で睨みつけた。
これ以上不快なことはない。本当に忌々しい。
「連れてまいれ」
御子姫は厳しい口調で言い放った。
「ホオズキも用意して持って来させよ」
洋巳は代理と数人の女達に囲まれるように連れてこられた。皆、奥を任される者達で、洋巳の件は知っていた。
洋巳は御子姫の前に座らされると、後ろを囲まれた。
洋巳は御子姫の方を向いていたが、御簾の方からかすかに奨弥の匂いがすると、一瞬にして顔つきが変わった。御子姫にこんな目つきをして顔を合わせる者などいなかった。
御子姫は洋巳と目が合うと、逆ではないかと思った。
他人の夫に懸想して。
目の前の人の姿は己の鏡、そう教えられた。こういう時こそ、相手に引きずられぬよう平静を保たねば。
「洋巳、腹の子を産むことは許されぬ。奨弥殿の子だという妄言も認めぬ」
洋巳は開き直って、不敵な笑みさえ浮かべた。
堕胎などさせるものか、絶対に産んでみせる。洋巳にはもう現実と妄執の区別がつかなかった。
その姿に、御子姫はゾッとした。
御子姫には、洋巳に巻きつく大トグロの影が見えた。トグロはギョロギョロと御子姫を凝視しながら、裂けた口はニヤリと笑っていた。
ーー穢に呑み込まれよって…!
「産まれてきたらわかります。奨弥様そっくりな子が生まれましょう!」
何をどう尋ねても、洋巳は奨弥の子だと言って譲らなかった。
それこそ本当にそうなのだと、あの夜の事を知らなければ信じこまされそうになるほど頑なに、洋巳の口からは奨弥のことしか出てこなかった。
御子姫の不快に歪む顔を、洋巳は嘲笑っているように見えた。
ーーまだまだ子供ね、私の勝ちよ!
「洋巳、満足か?」
散々、洋巳の話を聞いてから、御子姫は蔑むように洋巳を見下ろした。
「おまえがそこまで愚かだったとは。おまえの心には、奨弥殿はおらぬ。おのれの欲のみじゃ」
「何を…!!私ほど、奨弥様のことを大切に思っている者はおりません!!」
「まだ、わからぬか。おまえが腹の子を奨弥殿の子だと言い張るほど、おまえは奨弥殿を窮地に陥れておることを」
「そんな、奨弥様を盾にして、脅すようなことを言っても無駄よ。いい加減、認めなさいよ、私と奨弥様のこと!!」
しばらく沈黙が続いた。御子姫が言い返してこないのを、洋巳はとうとう言い負かしたのだと確信した。洋巳はこの話し合いの裏側で何が起きているか、少し冷静になれば考へ及んだだろう。
「仕方あるまい。呼んで参れ」
洋巳は、それを聞いて、奨弥が来ると思い込んだ。
ーー奨弥様!!やっと会える!!
心優しい奨弥ならきっと、堕胎などせず産んでも良いと言ってくれるはずだ。洋巳は優位に事を運べていると、御子姫と自分を比べることしか頭になかった。
洋巳は分家筋の生まれで、幼い頃から同じような年頃の他者と競い合うことで、自他共に認める自分という像を作ってきた。純粋に自分は何者か、ではなく、大勢の中での自分とは、どうなのかと考えて育ってきた。
特に、初潮を迎えてからは経紋も出て、戦に出ること前提に響家本家の屋敷で訓練も兼ねて集団生活をすることとなった。穢を倒すための存在。生まれた時から、それが自分自身の運命だった。皆、同じだった。しかし、その中でも家柄や力の差は歴然と、集まった者達を差別化する基準としてあった。
洋巳も当たり前のように、それを受け止め穢との戦で役に立ち、いつかは良い人と対になり互いに支え合って戦をし。そう考えていた。それを覆す出会いが、洋巳を変えてしまったのだった。
一方的な片想い。それが過酷な戦いの日々の中、洋巳の開けてはならない箱を開けてしまったのだろう。
ただ、御子姫から見れば、すべて理屈が通らぬ、独りよがりの言い分に過ぎなかった。