訓練とケガレ
豪鬼も戦人の里に移り、少しずつ環境に慣れつつあった。毎日の鍛錬も動きに慣れるため戦装束でするようになっていた。豪鬼が戦の訓練に参加するには、大勢の人と一緒に行動することにも慣れる必要性があった。
豪鬼は小規模での訓練に参加させ、徐々に慣れさせていた。豪鬼は大勢、自分と同じ人がいるということを理解してきた。
奏家本家の工事が粗方終わり、街から奏司が戻ってきた。奏司も毎朝豪鬼と一緒に剛拳との鍛錬を始めた。大砲を続けて連弾するだけの輪紋を繰り出すには、それだけ力だけでなく気も必要だった。
常世では、気は枯れていく一方なので、それだけの気を体に満たして戦に赴かなければならない。気を体の隅々にまで満たし溜めておくための鍛錬は厳しかった。
「そりゃあもうみんな、剛拳みたいなムキムキマッチョになるはずだよ」
特に目を見張るのは、豪鬼の気力の凄まじさであった。そこにはやはり、異形としての違いが明確に現れていた。
二人は揃って、響家本家の、御子姫の部屋へ面した庭へ行くと、毎朝御子姫を起こしに来た。
「御子姫ーっ!」
「ひめーっ!」
宵っ張りの生活に慣れている御子姫には、毎朝、顔を出すまで庭で呼び続けるので、とにかく寝間着のままでも顔を出すしかなかった。
御子姫を起こしに来る手間がなくなった双子は喜んでいた。
御子姫を起こすと、また走って屋敷まで戻る。風呂に入って一息つく頃に、眴が奏家本家から自転車に乗ってやってくる。
五人揃って朝食を取る時も、話題は奏司と豪鬼の二人を従えての訓練についての話ばかりだった。
「やはり閘室で船を使って訓練するなら、できればすぐ近くの堤に上がって、威力を見たいですね」
戦装束のまま、奏司は御子姫の元を訪ねた。
「おはよう、御子姫は?」
「ちょうど、朝餉を終わられたところです」
御子姫の部屋へ行くと、ちょうど食後のお茶を飲んでいるところだった。
「なんじゃ、早いの。今日の訓練のことか」
「うん、今日は俺も豪鬼も初めてだから。いきなり御子姫と三人で?」
「そのつもりじゃ。そなた等二人なら大丈夫じゃ」
「練習中の、閘門の向こう側の様子が見たいって、眴が言うんだけど、堤から見ていて構わない?」
「わかった。篝火守りと一緒に行くがいい。一人だと何かあったら困るからな」
奏司は礼を言って、また後でと帰っていった。鍛錬の時から三人の訓練用に異形衆の大船を借りるのに、訓練を見たいと大砲を撃つ者が二対付いてくることになっていた。
訓練には大船のほか、大将船が一隻ずつ、唱と言葉が対と一緒に訓練する。その様子を近くで見るよう、数名ずつ乗り込むことになった。
奏司と豪鬼がやってきた。剛拳も一緒だ。最後に御子姫が乗り、船は閘室で停船した。
閘門の向こうでは堰まで溢れんばかりの穢が見える。
「飛ぶぞ。飛んだら、輪紋を二つ。よいな、豪鬼わかったか」
「とぶ、ワモン、ふたつ」
御子姫が飛ぶ、間髪入れず奏司と豪鬼は飛んだ。奏司が先に輪紋を繰り出す、真似て同じように豪鬼が繰り出す。
「いくぞ、よいな!」
御子姫は響紋を繰り出すと、二人が二つずつ繰り出した輪紋めがけて響紋を打ち込む。
「反響させるから少し斜めに傾けてくれ」
奏司が先にやって豪鬼が真似る。御子姫は先に奏司の輪紋二つに響紋を渡らせ、響紋の気の塊を作る。同じように豪鬼の輪紋でも繰り広げる。
二つの大砲の準備をすると、遠く常世を見据えて、連弾を放った。一箇所が波が割れる。その同じ箇所へもう一つが撃ち込まれる。
辺り一面の穢が祓われる。
「もう一度、こことここに、向きはこう」
奏司が輪紋を繰り出す。
「豪鬼、あれの反対こじゃ、できるか」
豪鬼は指示通りやってみせた。
「よし、打ち込むぞ、少し強めに、よいか!」
続けて、先程と同じように響紋が増幅される。奏司と豪鬼と、同時に大砲の準備をすると、どこかに焦点を合わせたようで、もう一段上へ飛ぶと鋭角に連弾を撃ち込んだ。術は水底の澱みにまで届き、底に潜むアカメを祓っていた。
もう何回か、確認するように、今度は異形衆も交えて、大砲の練習をした。繰り返すうち、豪鬼は器用に奏司の逆向きを瞬時にやるようになった。
双子も真似をして輪紋二つで増幅させ、お互いに交互に同じ場所へ撃ち込んでいた。双子は二対で御子姫と同じ手法ができていた。
だいたいどれくらい連弾できるのか、体への負担を確認してその日の訓練は終わった。豪鬼の興奮振りは凄まじく、訓練でこの調子だと、実戦に出るとどうなることか少し心配な点を除いては、初めてにしては概ねよくできていた。
眴は堤の上から穢の様子を見ていた。御子姫が見事に連弾を同じ箇所に撃ち込んだ時、水面が割れ澱みが現れた。
それが何度か続いた時、アカメが澱みから姿を現したのを眴は見た。一匹ではない、数匹が、大きくないが群れている。同じ澱みの塊に潜んでいるのだ。
そして、何度目かに、水面が大きく揺らぎ、そのゆらぎの下を赤い目がこちらを捉えながら移動していくのを、眴は見逃さなかった。澱みを連弾で連撃すると、底の方にいる大きなアカメが澱みから抜け出て移動していく。
だが、移動しながら、大きな波のうねりを巻き起こし、澱を撒き散らかしている。大きなアカメが通った後は、穢が力を蓄え大きくなって行くように見えた。
ある程度大きなアカメは一撃で祓ってしまわないと、周囲の穢へ力を与え、己を守らせるように仕向けている節がある。
これは何度も確認しなければ、一度見ただけでは推測の域を出ない。
ただ、なんだろう、悠然と睨み返すようにして去っていったアカメに対して、非常な違和感を眴は感じていた。
眴はその後も引き続き、大砲の練習を堤の上から観察していた。大砲の威力よりも、水面への侵入角度とでもいうのか、できるだけ真上から澱みを消し去りつつ、大きく育つ前のアカメを狙う。難点は澱みの中までは見通すことが困難だった。
今までは水面もしくは水面上に出現する穢を祓っていればよかったので、大砲の術を繰り出した後のことまでは、ほとんど考えたことがないようだった。もし術の放射角度を変えることで、遠方を真上から狙えるかどうか。術の撃ち込み角度の調整は、術を繰り出した後から制御可能かどうか。
これは御子姫と話し合う必要があった。とりあえず、全員の大砲の訓練を見届けて、資料にまとめて会議を開く必要性はあった。
今はまだ、穢の変容はごく一部でのみ見受けられ、全体的には大きな変化はない。しかし水面下はわからない。
観察している眴の元に、奏司が立ち寄った。
「どう?」
「そうですね、資料にまとめて、早急に会議にかけて、訓練に反映させたい点がいくつかあります」
「そっかあ、早いところ研究室内部を仕上げてもらって、街から引越しさせないとね」
「そうですね、私は今日はこれで一旦街へ戻ります」
「手伝えることはない?」
眴はにっこり笑いかけると、御子姫の方を見た。
「奏司さんには、御子姫殿と話し合われないといけないことが生じているはずです」
すると、眴がちょうどいいと、ある方向を指差した。それは波が大きくうねったところだった。
「あのような大きなうねりの下、水底には大きなアカメが澱みに潜んでいる可能性が高いです。それを先に御子姫殿にお伝え下さい。そういうアカメには確実に祓える状況でない限り、手出しはしない方がいいです、今はですが」
確かに、大砲の訓練を始めて、その威力や特徴には人によってかなりのバラつきがあった。
「眴、俺さ…今夜、御子姫んとこ…」
「わかりました。豪鬼殿の話もされた方がいい頃合いですしね」
「ああ…それもあったっけ」
眴は余計なことは何も言わない。奏司に笑いかけると、一緒に堤から降りてきた。そして、禊をしたら出かける旨を伝えた。
奏司は訓練を終えると禊を済ませてから、スェットに着替えると御子姫の元に向かった。
双子が出迎えてくれたが、二人は奏司の顔を見るなり、含み笑いをしていた。
「えっと…なに?」
言葉が、そっと奏司に耳打ちする。
「アレって、奏司殿に頼めば買ってきてもらえるんですか?」
「えっ!?中身見たの!?」
「私たちだけですけど、姫様と一緒に」
「はあ!?」
眴の忠告が脳裏をよぎる。奏司は想像以上の反応の良さに、ヤバいなあと思っていた。
「姫様は禊の最中ですので、お部屋でお待ち下さい」
「大丈夫かなあ、なんでいるのじゃ、とかって言われない?」
「もう大丈夫だと思いますよ。姫様、アレ相当気に入ったみたいだったので」
唱が笑いをこぼしながら、奏司を部屋へ案内した。
浴衣に羽織姿の御子姫が部屋に戻ってきた。
「ああ、奏司か。早かったな、髪が乾いておらぬ、これで拭きなさい」
御子姫はタオルを渡すと、奏司の近くに向かい合って座った。
「訓練はどうじゃった。もっと、勢いよくても受けられるか」
「俺は大丈夫、豪鬼も多分。豪鬼の方が、威力が増してる気がする」
「そうじゃな。私の指示はわかりやすかったか、豪鬼には伝わっておったか」
御子姫はこの調子で、訓練の話を続けていた。
「訓練通りのことが、常世でできるかどうかかなあ、豪鬼がね」
「それより、眴はどうじゃった。一緒に穢を見て話しておったろう」
「うん、早急に、多分明日にでも報告書まとめて持って来るって。大砲の訓練と穢の、特にアカメの動きを見て、会議した方がいいかもって」
あんな遠くからよく見ているなあと奏司は感心した。それと同時に振る舞いにも気をつけなければと思った。
その後も話は豪鬼のことになり、この先どう扱っていくのか、戦になったら禊も必要になってくる。一度、剛拳を交えて話し合わなければならないということになった。
しばらくすると、双子がやってきた。そして御子姫を交えてまた、例のアレの話でもちきりである。
奏司がいてもお構いなしに、女三人で物を持ってきて動かして話し込んでいる。まあ、女同士というのは、その場に居合わせる男によっては、いないものとして際どい話ができるものだ。
ただ、この贈り物は御子姫のご機嫌をとるには最高の品だったのは間違いなさそうだった。
「奏司、どうやってこれらを買ってきたのじゃ」
まさかそこを聞かれるとは思いもよらなかったが、それはそうだろう。
「店は前から知ってた、女の店員さんがいて選んでもらったんだ」
「ふうん、そうか」
「俺、昔住んでたのってそういう場所、近くにあったし」
奏司は、その夜御子姫のところへ泊まることに決めていた。せっかく機嫌がよくなってくれているところ、無下にはできない。
御子姫が、あの事から立ち直ってくれているなら、奏司にとっても喜ばしいことだった。
御子姫のことは、以前と変わらず好きだし、何より守るべき存在で大切に思っている。
寝屋に入って、久しぶりに御子姫にふれる。ところが、思いも寄らなかったのは、自分自身の心の傷の方だった。
あの日、気がつけば父奨弥が、自分の体を使って行った暴行を、奏司は体が覚えていた。
「御子姫、ごめん。俺、どうやってたか…」
口づけさえ、お子様のそれしかできない。何かがおかしい。まるで体がすくんでしまって何もできないでいた。
「なにを泣いておる。また一からやり直しすればよい」
御子姫は奏司の服を脱がすと、自分も浴衣を脱いだ。
御子姫はやさしく奏司を抱きしめた。そして口づけた。やわらかな唇が奏司の唇を包む。奏司も同じように御子姫の唇を包み込んだ。
「俺、御子姫のことは大好きだよ。大好きなのに、ごめん」
「なにを謝る」
気持ちはあっても、抱けるかどうかは別ものなんだ…だから。ごめん。




