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澱み

奏司は眴のマンションで、最後の(ケガレ)(モドキ)の取り出し祓いに成功していた。

「奏司さん、お疲れ様でした。眼を見せて下さい」

眴は奏司の眼を通して、中を見ていた。そしてにっこりと笑った。

「ありがとう、眴。将大さんに伝えなくちゃ」


一方で、将大の元でも精進潔斎が終わりを迎えようとしていた。

今まさに封じられようとしている奨弥は唸り声をあげていた。

(ケガレ)などに成り下がって、言葉さえ忘れたか」


いずれまた必ず、人に封じた(ケガレ)を祓うことができる者が現れるだろう。その時まで、この時無しの常世の結界の内に封じておくしかない。


その夜、将大から連絡が入った。これで当面、奏司が生きている間くらいの歳月は十分封じておけるだろうとのことだった。

奏司は戦人の里へ戻る時が来た。


「御子姫を迎えに行かないと…」


先日、御子姫の元から戻った双子の話では、何かよくわからないが謝ってほしいことがあるようで、謝れば許すと言っていたそうである。

里へ戻る前に、奏司は新らしく建てた家があるので様子を見に行くことにした。

「いいよ、一人で行ってくる。眴は母さんについててあげて」

奏司は神守の車を呼んで、一人で戦人の里へ向かった。


奏家本家へ戻ると、奏司の留守を預かっていた者たちが、やっと総代が戻られたと安堵の表情で出迎えた。

「長いこと留守にして悪かったよ。何か困っていることはない?」

「いえ、皆なんとかやっています。将大殿がいらっしゃった時にかなり大目玉を食らいまして」

奏司は笑いながら、屋敷の中を見て回った。どうやら父奨弥がいた場所は祓い清められているようだった。


「俺は一応こっちへ戻るつもりなんだけど、その前に屋敷の中を改築しようと思って、明日から工事が入るからよろしく」

「もしかして、奨弥殿は…」

「もう戻らない。将大殿の元で一生過ごすことになると思う」

「今日は様子を見に来ただけだから。新しい戦人との面談はまた後日でいい?」

奏司は奏家本家の内部の人事は、引き続きそのままでお願いしておいた。それから、輪紋衆で引退した中で戦強者だった者を数名、早急に選出しておくよう命じた。


響家本家へ寄ると、双子が出迎えてくれた。近々、異形の里へ御子姫に謝りに行くことを告げた。今後は奏家本家から通うので、特に自分のものは用意しなくていいと伝えた。

「こちらへは泊まられないということですか」

「戦が始まったら、(みそぎ)はすると思うから、必要最低限のものだけお願い」

「あの、奏司さん。姫様は口では謝れば許すと言っておいでですが…」

「ああ、だいたいわかってるから、ありがと」

奏司は双子が言いたいことはわかっていた。


奏司が出かけている間に、洋巳は眴と奏司のことで話をしていた。

「あの、このまま奏司の元に残っていただくことはできないのかしら」

「それは…残る理由がありませんので」

「奏司は随分とあなたを頼りにしているようだけど」

「私はこう見えて、響家の出ですし、一介の神守に過ぎません」


「それでも眴さんを頼りにしているということは、何かあるからでしょ」

洋巳は眴の本音が聞きたかった。でも、眴はそういうこと を表には決して出さなかった。

「あの子は御子姫に(めあ)わせるために作られました。そういう運命だから仕方がないと最初から育ってきて、それが自分の気持ちなんだと信じてきたでしょう。でも、今のあの子を見ると、何がきっかけとなったかはわからないけど、御子姫の呪縛のようなものから解放されているように思えて…」


「それでも、御子姫殿の元へ戻るのが筋です。私はそのためのお手伝いをしてきただけです」

「あの子の気持ちは…」

「以前は御子姫殿に甘えられていました。元に戻れば、私の存在は邪魔になります」

「もし、そうじゃなかったら?あの子の側にいる理由が見つかれば、いて下さる?」

「何を心配されていらっしゃるんですか?」


洋巳には上手く説明することができなかった。ただ、ここで自分のことで御子姫と対峙するしかない状況で、果たして今までのような関係性が築けるのか不安だった。

「私が側にいるから、あの子は御子姫とうまくいくか心配なの。そんな時に眴さんがついててくれたらと、そう思ったの」

御子姫の気性の激しさを、洋巳はよく知っていた。



異形の里へ行くのを、母洋巳も連れて行きたいからと、奏司は眴に相談した。すると久しぶりに御子姫に挨拶するのもいいかと、車を運転して一緒に行ってくれることになった。

「そろそろ、アカメが常世の深き(よど)みの中から目覚めてくる頃です。御子姫殿にはいい加減戦に戻ってもらわないと」

「アカメは俺は見たことないけど、報告書読む限りヤバいよね」


「上手いこと包囲して一斉に輪経紋の術を打ち込めば良さそうだけど、近づきすぎると大きさに負けるっていうのがなあ…なんで底の方にいて上がって来ないの?」

(よど)みの中には(ケガレ)の力の源があります。それを供給する役目がアカメなのでしょう」


「今までは単独行動だった(ケガレ)が役割分担して集団で襲ってくる?」

「そうですね。(ケガレ)というのは事象に過ぎなかった。それが意思を持ち始めているように見えてきた。つまり、戦い続けている私たちの心に潜む恐怖が具象化し始めているのでしょう。厄介なことになってきています」


「イタチとかいうヤツが、やたらと恐怖心煽る存在になっちゃったから?」

「イタチ自体ではなく、イタチの攻撃で油断して片足無くされた輪紋衆がいます。それが大きいかも知れません。それが戦に出る前から想像して恐怖を増長させるのです」

「戦に行く前からビビってたら、毎回毎回それだったら、常世に恐怖をばら撒きに行ってるようなもんじゃん」


「そうですね。(ケガレ)による傷で命を落とす危険性があるのも戦のやり方にかかっています。それがわかっていないとそうなりますね。その点、御子姫殿には天性の戦の才が備わっておいでですから。本能的に動き判断します。それがよいかどうかは別として、戦さ場ではその本能が生死を分けることは十分あり得ます。負けない戦をし続けてきたのに、なぜか(ケガレ)に異変が起きている。なぜでしょうね」


「負けない戦?(ケガレ)が事象から観念的なものへ変容。それは決して負の観念だけでなくて、恐怖とかの」

奏司は黙り込んだ。爪を噛んでカリカリ音を立てると、その音が思考を加速させる。奏司の癖である。

「観念て、勝ち戦ばかり続くと、驕り高ぶるよね。水底の(よど)は昔からあるものなのかな。もしかして、今の(ケガレ)を創り出してるのは、自分たちなんじゃない」


笑い飛ばすように、奏司は吐き出した。

「御子姫と絶対負けない軍勢、チャンチャン」

「そんな言い方するもんじゃないよ、奏司!」

真後ろから、洋巳の声が響く。

ハイハイ、と奏司が返事すると、洋巳が後ろから座席を叩いた。


「戦人の里に来れば、船に乗らなくても(せき)から観察できると思うんだ」

「本当ですか、それなら一度行ってみましょう」

「そうじゃなくて、ずっといてよ」

そう言って、ハッと奏司は洋巳の方を見た。洋巳は素知らぬ顔をしていた。


異形の里へ着くと、また見たことのない大きな車が入ってきたので、里の人達が集まってきた。ちょうどいいので、奏司は車から降りると、お土産の菓子を配っていた。そこへ剛拳と豪鬼がやってきた。豪鬼はいつもと変わらず奏司に抱きついた。

洋巳は剛拳の姿を見るなり、車から降りてきた。気がついた奏司が剛拳を呼んだ。

「内緒で連れてきた、母さん」


剛拳は驚いて、洋巳の前で立ち尽くしていた。その間に豪鬼は車からクーラーボックスを取り出して担いでいた。

「剛拳、俺今から御子姫のとこ行くから、母さんよろしくね」

洋巳はまだ四十そこそこなのに髪は真っ白になり、線が細くなっているように見えた。

剛拳はやさしく背中を押して、洋巳を家まで案内していった。


大きく深呼吸をすると、奏司は里長の家へ入っていった。眴は里長に会釈して、奏司の後ろに控えて上がり、手前の間で待っていた。


御子姫は伏せていた布団も片付けられ、着物を着て正座していた。

「やあ、御子姫、どお…」

「控えよ!」

奥の間に入ろうとした瞬間、奏司の足元に扇子が投げつけられた。

「俺、謝りに来たよ、さあ帰ろうよ」

「謝ると言ったな、何をじゃ」

「全部だよ」


「どうせ見当もついておらぬのじゃろ」

「ああ、わかんないよ、いつ来ても…」

「いつ来ても、なんじゃ」

「どうもしないよ、具合が悪くて、それくらいしか思い出せないよ。だからそういうのも含めて全部謝るから」

「そうか…」


御子姫は縁側の向こうを指差した。

「そこで土下座せい」

奏司は仕方がない、それで済むのならと、縁側から庭に降りた。御子姫の方を見ると、いつものあの目つきだ。奏司はあきらめて土下座した。

「もっとしっかり地面に頭をつけぬか」

縁側まで出てくると御子姫は庭に降りて、手に持った柄杓(ひしゃく)で奏司の頭を押さえつけた。


「謝罪の言葉は」

「ごめんなさい」

「はあ!?」

御子姫は水桶から柄杓で水を(すく)うと奏司の頭にかけた。

「誠に申し訳ございません、じゃろうが」

奏司は耐えて微動だにせず、その通り謝った。


「聞こえぬ」

御子姫は頭に水をかけ続けた。もっと水桶に水を汲んで持ってくるように言うと、手伝いの者に奏司に水をかけるよう命じた。

「まだ許すとは言っておらぬぞ、謝り続けぬか」

「誠に申し訳ございません」

「聞こえぬ」


水をかけ続ける姿に、さすがに眴が動いたのが奏司には見えた。顔を少し上げて眴を見つめ首を横にかすかに降った。

それがまた、御子姫の癇に障った。水をかけながら柄杓で奏司の額を叩いた。

その様子を庭の向こうから里の者たちが取り囲んで見ていた。


「水桶を持って来ぬか!」

御子姫が奏司を柄杓で叩くのを見て、様子を見に来た豪鬼が御子姫から柄杓を取り上げた。

「これ、豪鬼やめなさい!」

すると豪鬼は御子姫に向かって、ハッキリとやめなさい!と言った。


「御子姫殿、そこまでにしてはどうです。里の者たちをご覧なさい。皆、どのような面持ちかわかりますか」

里長が頃合いを見計らって止めにやってきた。奏司は泥水の中頭を地面につけたままだった。

御子姫は苛立ちを表情に(にじ)ませ、奏司に頭を上げるように言うと、残った水を泥のついた顔にかけた。


「これで、俺は謝った。あとは御子姫が考えて。俺たちがやらないといけないのは(ケガレ)を祓うことだ。俺もやっと戦に出られるようになった。唱も言葉(ことは)も、戦人の里のみんなも、御子姫が帰ってくるのを待ってる」

それだけ言うと奏司は御子姫の元を去った。



豪鬼は水浸しになった奏司を連れてやってきた。

剛拳と洋巳は驚いて、まずは濡れて汚れたスーツを脱がせて、風呂で洗ってくるように言った。奏司を心配して豪鬼があれこれ世話を焼いている。着替え用に自分の服を出してきたり。その様子を洋巳は微笑ましく見つめていた。

眴は御子姫への挨拶もそこそこに、奏司の様子を見にきた。何があったのかを説明すると、剛拳が最近の御子姫のおかしさを話し始めた。


風呂から出てくると、奏司は想定内だと言って平然としていた。

「ひめ、ダメ!ひめ、ちがう。そうし、そうし、えーん!えーん!」

「大丈夫だから、豪鬼、水かけられただけだから」

着替えを渡してくれる豪鬼の頭を撫でながら、奏司は泣くのをなだめた。


「確かに、少し驚きました。こんな一面がおありになるとは。ただどこか、(たが)が外れているというか」

「うん、きっと、ここに長く居過ぎたんだよ。だから、どんどん御子姫の本当の姿が、誰も止める人、手綱を引く人がいないから。だからそういうのが、表に出てきてるだけだよ」

奏司は眴の側に肩を落として、ため息を吐きながら座ると、どこか力なく笑った。


「多分、戦人の里に帰れば、変わるはずだと思ってる。でも俺だけじゃ無理かも。だから剛拳も豪鬼も一緒に来て欲しいんだ。母さんと一緒に暮らす家もできてるから。里の外れで(ケガレ)からは遠くて、静かなところだから」

「わざわざ新築されたのは、そのためですか」

「もちろん、母さんと住んでくれたら嬉しいけどね」

「ですが…」

「剛拳、母さんとたくさん話せた?」

「はあ、そりゃあまあ」

奏司はにっこりと、照れる剛拳を見て笑った。


「俺、待ってるから、豪鬼と剛拳がくるのを」

「さあ、母さん、帰ろうか」

剛拳に向かって、御子姫を迎えに来るのは双子に頼むからと伝えた。

「だから、今、ここへ置きっぱなしの車は豪鬼と一緒に来る時に使ってよ」

帰る奏司を寂しそうに見つめる豪鬼に、奏司は抱きしめてこう言った。

「引っ越ししたら、毎日囲碁も将棋も、チェスだってできるから、待ってるよ、兄さん」


車に乗り込むと、豪鬼がいつまでも手を振って見送ってくれた。

奏司は助手席に座りながら、ふうーっと息を吐いた。そして一言、参ったな、と笑った。

奏司は運転する眴へ軽く手を伸ばした。

「ねえ、手を握っててくれる?運転の邪魔にならない時でいいから」

眴は投げ出された奏司の手のひらに、手を重ねて時折やさしく指をからませていた。

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