禁忌の掟
今日は母洋巳が仮釈で出所してくる。引き取りに行く前に、新しくシンプルな洋服と靴をを一式渡していた。
奏司は眴と一緒に迎えに行くことにした。車は眴が運転してくれる。
マンションを出る直前に、御子姫の代理を務める双子の唱から電話があった。御子姫の様子を見に異形の里へ行く前に話がしたいという。
奏司はついでに、御子姫の部屋に置きっぱなしの私物を持ってきてくれるよう頼んだ。
「奏司さんはもう、こちらへ帰ってきはらへんのですか」
「そのことは来た時に話すよ。ごめん、ちょっと用事があって出かけるから」
眴が車を出してエントランスで待っていた。助手席に乗り込むと、奏司は俺も早く免許欲しいと羨ましそうに言った。
刑務所の前で待っていると、すぐに刑務官に付き添われて洋巳が出てきた。立派な車が迎えに来ていたので、洋巳はひどく驚いていた。奏司は母洋巳を抱きしめると後部座席に一緒に座った。
「何?この車!」
「ボルボのワゴン。いやあ、安全性の高いデカい車選んだら、これになったんだよ。荷物もいっぱい積めるし」
「そうじゃなくって…こんな高そうな車、一体どうしたの」
「母さん、俺、総代だよ」
奏司はにっこり笑ってそう言うと、洋巳はとても驚いていた。
「御子姫の車の方が高いから、その辺はわきまえてる」
「御子姫様はお元気?」
「その話もしないとね。今日帰ったら、双子が訪ねて来るから」
奏司は服を届けた時に、戦人の里ではなく、街に借りたマンションでしばらく一緒に暮らすことを洋巳に説明していた。マンションへ到着するとまた洋巳は驚いていた。
「ここ、受付もいるし、管理人も常駐してるから、変な人入ってこれないから」
二重のオートロックがあり、エレベーターは利用する階以外には停まらない。
部屋に入ると、広いリビングに日当たりが良く街が一望できる様相に唖然としていた。
「もうすぐ御子姫の代理を務めてる双子が来るけど、母さんどうする?ここにいる?」
「ご挨拶しなきゃ…」
その矢先、双子が訪ねて来た。洋巳は丁寧に挨拶をしていた。奏司の母というより、御子姫の背中に切りつけた人という印象の方が強く持たれていた。
「もう、刑務所で罪も償って来てるんだからその辺…」
洋巳は奏司を遮るように双子に頭を下げた。
「御子姫様にお会いになられましたら、生涯死ぬまで忘れずに償わせていただきますので、よろしくお伝え下さい」
「母さん、もう十分だから。御子姫には罪を憎んで人を憎まず、上に立つ者、寛容が大切だと言っておいて」
「それは火に油かもしれませんので、上手に言っておきます」
言葉が奏司の方を見て、少し笑いながら言った。
奏司は双子に、先日里を訪れた時の御子姫とのやりとりを話した。特に双子には病の原因になった出来事については、過労とだけ伝えられていたのでかなり衝撃を受けたようであった。
「そっちで困ってること、ない?」
「そうですね、やはり姫様が病気で不在ということが漏れ伝わっているようで、ちょっと」
「表の方は、大戦続きだったことと、厄年で…と上手く説明はついてるから。ただ、まあ、問題は穢の動向かな」
奏司は、先日会った時に伝えるつもりだったことを双子に託けた。
「俺は将大さんから連絡あるまで、戦には出られない、戦人の里へ行くのも禁止されてる。今、俺に巣食ってるケガレのようなものは、だいたい八割がた祓い終わった。いずれにしても、あと少しなんで、くれぐれも無茶な出陣だけはしないよう言っておいて」
双子が帰る間際に、奏司は菓子を渡した。ちょっと所用で出かけた先で昨日買った、こしあんの餅だった。
「重いですね」
「里のみんなの分もあるから、トランクには入れないでね。着いたらすぐ配って食べてもらって」
双子とのやりとりの中で剛拳の名前が出てくると、洋巳は少し落ち着きを失っていた。
「剛拳は、今、異形の里にいるの?どうして?」
「母さんが産んだ鬼の子と一緒に暮らしてるよ」
「えっ…ウソ」
「嘘じゃないよ、俺も、十歳からその子と一緒に暮らしてた」
洋巳は泣き始めた。今まで、心の奥深くに隠していたものが一気に溢れてきたように、嗚咽が漏れていた。
「今すぐは無理だけど、母さんが生活が落ち着いたら、里まで連れて行ってあげるから」
「御子姫様は、約束通り大切に育てて下さったんだね、剛拳まで…」
「うん、だから母さんも、もう少し元気になったら会いに行こうよ」
洋巳は何度も頷いていた。
電話着信の電子音が鳴った。受話器を取ると奏将大の元からだった。水垢離を終えた後で倒れたという。至急来て欲しい旨の連絡だった。
「将大さんが倒れたって、来て欲しいって、どうしよう」
「車で三人で行きましょう。お母様もご一緒に」
「けど、山は女人禁制って」
「宿があります、お願いしましょう」
洋巳はマンションで待っていると言ったが、出所直後に一人にするのは不安だった。
「母さん、俺を安心させてよ、お願い、一緒に来て」
出発して、すぐに外は暗くなり始めた。
「母さん、今日は疲れたでしょ、シート倒して寝てて」
洋巳は気がつくと眠っていた。
洋巳は薄っすら目を覚ますと、シートの間から奏司が眴に手を握ってもらっているのが見えた。眴は奏司を励ましているようだった。
宿に着くと、夜分にも関わらず、快く受け入れてくれた。
「母さんはここで待ってて、先に休んでていいから」
何が起きているのか気になった洋巳は宿の人に聞くと、どうやらこの先に住んでいる将大さんが倒れたということだった。
洋巳は将大と聞いてすぐに奨弥の父親だとわかった。総代となった奏司が頼りにしている人が倒れた、その程度には想像はついた。
洋巳は敷いてもらった布団で横になり、うつらうつらと眠りに入っていた。
奏司たちが到着すると、将大はちょうど意識を少し取り戻したところだった。
「奏司、おまえの方はあとどれくらいだ」
「八割がた、あともう少しです」
「そうか、短期間によく頑張ったな。こちらもあと数日でなんとかなるだろう」
「確か、母御は出産時に子宮を摘出されておったな」
「はい、母になにか?」
「いや、もうおまえから切り離されたら、戻るのは己の体しかないなと、確認だ」
「父はどうしていますか」
「あれはもうどうにもならん。一生ここから出ることはない。封じてしまう」
「えっ…どういうことですか」
「魂移しが不完全だったので、魂の一部は残っているが、術式を還元するうちに戻ってきたのは穢同然の代物だ」
「奏司もここ数日で祓い終わると良い」
「わかりました」
奨弥の地下牢には注連縄が反対向きに張られており、穢の封じ込めをすると聞いた。父はもう地下牢から出されることはないのだろう。
奏司は将大に丁寧に礼を言うと、洋巳の待つ宿へ引き上げた。
宿へ戻ると、洋巳が浴衣姿で清水の滝に打たれて水垢離をしていた。祓い詞を唱えつつ必死になっている姿に、奏司は驚いてやめさせようとした。
「奨弥が…奨弥が…」
激しく取り乱した母の姿に、奏司は眴に助けを求めた。
「大丈夫です、悪いものは退けられましたから。少し感応してしまったようです」
部屋いっぱいにブレスレットの水晶球が飛び散っていた。拾い集めるとひびが入っているものもある。
「これが護ってくれたようですね。もう大丈夫でしょう」
洋巳は水垢離を終えると、湯で体を温めて部屋に戻ってきた。
何があったか聞くと、布団を敷いてもらったので休んでいたら、突然腹の中から奨弥が突き破って飛び出してきたという。
「物理的な距離の近さ、というのは影響が大きくなって当然です。今すぐここを発ちましょう」
奏司は宿の人たちに礼を言って、深夜に関わらず街へ帰ることにした。
「この数日がきっと禁術の還元の山なんでしょう」
「運転大丈夫?俺、早く免許取るよ。そしたら代わって休めるでしょ」
「最初のうちは怖くて眠ってなんていられませんね」
「俺が物覚えいいの知ってるでしょ」
奏司がむくれるのを眴はクスクス笑って見ている。いつものことなのだが、その様子を見ていた洋巳は思わず、聞いてしまった。
「あなた達、どういう関係なの?」
困った奏司は眴を見つめた。
「見ての通りですよ」
バックミラー越しに洋巳を見つめ返した眴を見て、洋巳は微笑んだ。
「ごめんなさいね、無粋だったわね」
洋巳はその後疲れたようで眠ってしまった。車は一旦サービスエリアに止まった。
「ブランケット持ってくればよかったですね」
眴は自分の上着を脱いで、洋巳にかけた。
「俺のをかけるよ」
「私のは内ポケットに護符が入っています。少しは安心でしょう」
「母さんにバレちゃったかな」
「何がです?私と奏司さんは、穢のようなものを取って、祓う関係でしょう」
奏司はそう言う眴の横顔を見つめた。奏司のその顔は、街灯に照らされとても悲しそうに見えた。
「仕方のない人ですね。私はそのつもりでしたが…」
奏司は眴の手を握ると、手の甲に口づけた。
「そうだったね…」
眴は奏司の、握った指先をやさしく握り返した。
双子は異形の里を訪れた。奏司からの助言で、豪鬼へのお土産の肉だけは持って出た。里長の出迎えにお礼を言って、里の皆への奏司からの手土産を渡した。言葉は集まってきた皆に土産を渡していた。
唱はこしあんの餅を持って、御子姫に会いに家の中へ入っていった。
豪鬼と剛拳が双子の到着に気がついてやってきた。
双子は、豪鬼が奏司とそっくりなことに驚いた。鬼だと聞いていたが角も見当たらない。豪鬼はお礼を言って肉のクーラーボックスを持っていこうとした、その時であった。
家の奥から御子姫の剣幕な怒鳴り声が聞こえてきた。
唱が持ってきたこしあんの餅を、美味しいと言って二つほど食べた時に、奏司からの土産だと告げると、急に怒り出したのだ。
「こんなものを食わせおって!」
御子姫は、先程まで美味しいと言って食べていた餅を、庭先に向かって投げつけた。餅は土がつき台無しになった。
「いったい、どうなさったのですか」
何が何やらさっぱりわからない唱は、御子姫に聞くしかなかった。
「うるさいっ!そなた等、何しに来たのじゃ。私は大丈夫じゃ。さっさと去ね」
「姫様、少しお話をさせて下さい」
「うるさいわ」
唱は引き下がらず、御子姫の側に座ると、御子姫の態度をたしなめた。
「御子姫ともあろう方が、いったい何を些細なことで腹を立てておいでか!」
御子姫が奏司からの土産の餅を怒って投げ捨てた様子は、集まっていた里の人々に見られていた。しかもまるで癇癪を起こしている姿は、あの事があってからは頻繁に見受けられたので、誰もが見て見ぬ振りで帰っていった。
言葉は里長から最近の御子姫の様子を聞いていた。奏司とのことは、本人から聞いたが、その後の御子姫の様子については初耳だった。
それでも話さないわけにはいかない。
御子姫と奏司には揃って戻ってもらわなければならない。それも早急に。
言葉も唱の隣に座ると、今起きていることを御子姫に報告した。
特に奏司については、奏将大とともに過酷な穢祓いを行なっていることを伝えた。穢を祓い終えないと、里にも入れない戦にも出られない、と説明した。
「奏司のことなど、どうでもよいわ!」
「そういうわけには参りません。姫様と奏司殿は、つい先日契られたばかりの、頭領と総代でございます。姫様はよくわかっておいでのはずです」
「それがどうした!いちいちうるさいわ」
唱がそんな態度の御子姫をものともせず、話を続ける。
「姫様の身に起きた事を今後一切なきよう、奏家の者たちが命をかけて精進潔斎をし、穢と化した者を封じようとしているのです。奏司殿は、常世の眼を持つ者の力を借り、体に巣食った穢を祓っておいでです」
「だとしてもじゃ、あやつの私に対しての暴言暴挙の数々、思い出してもはらわたが煮えくりかえるわ!」
「姫様、奏司殿の口が悪いのと遠慮会釈の無い物言いは、本家へ来られたその日から変わってはおられません。それに、聞けば正論でございます。そんなこと姫様は十分ご承知のはずではありませんか」
「いいや、私のことを、何やら気持ちの悪いものを見るような眼には、どうにも我慢がならんのじゃ!」
「それは姫様も同じです。まるで穢らわしいものを見るような眼差しを向けてくると、奏司殿はどうしていいかわからないと嘆いておいででした」
御子姫は双子があまりにもうるさいので、だんだんと鬱陶しくなってきていた。ここで、とりあえずでも何か納得することを言っておかなければ、彼女たちはずっと傍で話し続けることだろう。
双子は御子姫のお目付役でもあった。
「わかった。ここへ来られるようになったら、来て、謝れば許してやるわ」
「本当でございますね!そのようにお伝えしますよ」
「ふん!」
御子姫がそう易々と奏司を許すはずもなかった。この時は、双子の手前、そうでも言わねば落ち着かなかっただけのことだった。




