父、奨弥(2)
とうとう、一晩、結界は解かれることはなかった。
業を煮やした豪鬼が結界の向こうから叫んでいるのが聞こえてくる。
「だめじゃ…豪鬼、よすんじゃ…」
御子暇は一晩経ってもまだ、奨弥から解放されずにいた。どれほどの執着があったらこんな所業ができるのだろう。
とうに手首の紐も、足の紐も解かれてはいる。ただもう、体に力が入らなかった。また、あそこを舐められ続けている。ぴちゃぴちゃと音がして、ぴくぴくと足が震える。すると一物を入れられ激しく出し入れされながら、蕾も激しくこすられる。唐突に凄まじい快感が体を貫く。
「ぅあああああああああああああああっっ!!」
狂ったような叫び声が続く。
「ひめーっっ!!」
豪鬼が結界に体当たりするのを、かすかに声を聞いた剛拳がやめさせた。
「なんでっ!!ひめ、たすけてっ!!」
「だめだ、今はだめだ」
それでも豪鬼は食い下がった。結界を指差して、ハッキリと言った。
「ケガレ、ケガレ、いるっ!!」
豪鬼は輪紋を繰り出した。
「何をする気だ、豪鬼!」
「ケガレ、はらうっ!!」
輪紋を幾重にも繰り出し、柏手を打つと高らかに唱えた。
「ト、ホ、カ、ミ、エ、ミ、タ、メ、ッッ!!」
パーンッッ!!
再度、柏手を打つ。反響して届いていく。それを何度繰り返しただろう。
奏司はぼんやりとだが意識が戻りつつあった。真っ暗闇の中にパーンという音だけが響く。なんだろうか、ただ何やら非常に嫌な臭いだけが立ち込めている。
ーーまさかっ!!
奏司は、どうしたらいいのか、とにかく考えた。あの響く音は、柏手の音だろうか。自分はどうしてこうなったのかわからないが、どうやら穢に呑まれているような気がした。
しかし、もしも本物の、あの常世の闇の下にいた穢に食べられていたら生きていられるはずはない。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
ーー御子姫っ!?
どうして、どうしたら。奏司は、輪紋を繰り出すと、大祓詞を唱えた。
頼む、頼むから。はやる気持ちで、何度も輪紋を繰り出し、大祓詞を唱える。
ふと、奏司は思い出した。
……奏司、この詞だけ憶えておけ。おまえはまだ小さいからこれで良い。
奏司は、輪紋を二つ繰り出すと向かい合わせにした。その中心に向かって柏手を打つと唱え詞を発した。
「吐普加美依身多女」
闇が一気に霧散する。耳元で舌打ちする声がした。
そして目に飛び込んできたのは、裸で手首を縛られた御子姫の、精液にまみれ潮を吹いてぐちゃぐちゃになった姿だった。もちろん、やったのは自分だった。正確にいえば、完全に父奨弥に乗っ取られた自分だった。
再度痣になる程固く結ばれた、手首の腰紐を解こうと近寄ると、御子姫が後退った。
「御子姫、奏司だよ」
「いやじゃ、いや…いやあああ…」
「しっかりして、奏司だから」
「嘘じゃ、また、いやじゃ…あっちへ…」
奏司は御子姫を担ぎ上げると、井戸端へ連れて行き手押し井戸のハンドルを思い切り動かした。冷たい清水で御子姫を洗いながら自分も水垢離をした。どれだけ洗っただろう、ヒックヒックと泣きながらガタガタ震える御子姫を抱きかかえ、風呂場へ連れていく。バスタオルに包んで体を拭いてやる。髪の毛も乾いたタオルで拭いてやった。
手首に巻かれた腰紐は水で湿って固くなってしまってほどけない。今、刃物は危なそうなので絞って後回しにした。
自分はとにかくトランクスを履くと、御子姫にはスウェットの上下を着せた。押し入れから毛布を出すと、御子姫を包んでやった。
「御子姫、落ち着いた?奏司だよ。わかる?」
御子姫に近寄ると、まだ反射的に体が避けていた。奏司は髪の毛を拭きながら、押し入れから豪鬼の服を出して着た。
一息つくと、遠くから豪鬼の声が聞こえてきた。唱え詞と柏手を打つ音がした。奏司は大声で大丈夫だと伝えた。しかし、どうやら父奨弥は自分の振りをしていた形跡がある。信じてもらえないかもしれないので、御子姫に結界を解くよう声をかけてみた。
「御子姫、結界解ける?もう、祓い清めたから」
奏司はそれだけ言い残すと、先に家を出て結界まで歩いて行った。
「豪鬼、わかるか」
奏司が声をかけると、唱え言葉が止んだ。
「そうし、きた。そうし、わかる。ケガレ、いなくなった。ひめ?だいじょぶ?」
「大丈夫だ。剛拳、いる?」
「奏司殿、おりますぞ」
「御子姫がちょっと…あいつが出てきて…って、まさか、どうして一人で…ねえ、誰もこの結界解けないの?」
「無理だそうです」
「そう、わかった。剛拳、あとは頼むよ」
「奏司殿?…奏司殿っ!」
奏司は、御子姫の元へ行った。
「御子姫、結界を解いて。もう、きれいにしたから。祓い清めたから」
それでも首を振る御子姫に向かって、奏司は覚悟を決めた。
「このまま結界解かないと、俺また乗っ取られたら、同じことしてしまう。それは二度としたくない」
そう言い残すと、裏へ行って鉈を持ってきた。
「御子姫、ごめんね。これしか方法がないんだ。もっと早く、こうしていたら、こんなに傷つけずに済んだのに」
そんな奏司に話しかける者がいた。
((死ぬのか、早くそうしていればよかったんだ、そうしたら俺は自分の体に戻って好きにさせてもらう))
(ーーどういうことだ)
((おまえはバカか、俺はこの体から解放され元に戻るだけだ、おまえがいなくなれば総代に戻って姫を俺のものにできる))
(ーーそんなことができるものか)
((忘れたのか、おまえは俺の体の俺とも話をし、おまえの中の俺とも話をしているのを、それから考えれば当然だろう))
(ーーウソだ!!)
((嘘だと思うのなら死ねばいい、姫は俺のものにして戦は双子にやらせよう、姫も逝かされ続けておかしくなれば俺だけのものだ))
(ーーそれなら、父さんの体を始末してから死ぬよ)
……
(ーーケガレの中に突き落としてやる)
……
(ーー今度出てきたら、本当にやるぞ、わかったな)
神経毒で身動き一つできずにただ意識だけはある、そんな中で生きながらただ穢にのまれる狂気を味わうがいい。
あの、父奨弥が本当のことなど話すだろうか。いずれにせよ、今は、どちらの体も必要だということには違いなさそうだ。こちらの体を完全に支配できていない状態で、向こうの本体を失うことは何か不都合があるのかも知れない。
鉈を持ったまま棒立ちになっていた奏司に、御子姫が話しかけた。
「そんな物を持って、どうする気じゃ…」
「御子姫?」
奏司は駆け寄って、御子姫の顔を覗き込んだ。
「もう大丈夫?」
頷く御子姫の方へ手を伸ばすと、やはり逃げようとするかのように、体が避けていた。奏司は鉈を縁側に置いた。
「結界を解いてほしいんだ」
御子姫は頷いて、結界を解いた。豪鬼と剛拳が走ってくる。心配していた里の者達は、結界が解かれると帰っていった。里長がやってきて御子姫に声をかけた。
「御子姫殿、家へ戻ってお休みくだされ。いかがですか、戻れますかな」
御子姫は頷いた。奏司は剛拳に運んでもらうよう頼んだ。
「俺はいいから、豪鬼、御子姫に付いててあげてくれる?」
豪鬼が近づいても大丈夫そうだが、やはり一瞬ピクッと身構える。当分はこれが続くのだろう。御子姫が負った心の傷は深そうだった。
家の様子を見に、豪鬼の養い親がやってきた。淡々と後片付けをしていた。着物をどうするか聞かれ、燃やしてくれるよう頼んだ。汚してしまった畳も、部屋中一式取り替えられるよう手配をお願いした。
「奏司さんは大丈夫ですか」
「え?俺は…そんなことより、本当にごめんなさい。大切な家なのに」
奏司は縁側に座ると、すぐにこれからどうするかを考えていた。その方が、生々しく体に残る感触を忘れられてよかった。やったのは自分ではなくても、体には感触が残っていた。それがたまらなく気持ち悪かった。
奏司は頃合いを見計らって里長の家へ行った。
里長に上がるよう勧められたが、奏司は丁寧に断った。
「何があったのか、お聞きしても構いませんか。散歩しながらでも」
「そうだね、里長に相談した方がいいかもしれない」
奏司は里長に付いて、一緒に里山の方へ向かった。
「当分、御子姫を里で預かってほしいんだ。心が元気になるまで」
里長は快く引き受けてくれた。奏司は、自分の体の中にいるだろう父奨弥のことを話した。その存在がどれほど御子姫に執着を持っているか、今までの自分が覚えている限りのことを全部話し終わると、里長は深くため息を吐いた。
「なんと、奨弥殿がそのようなことを…」
「信じられないかも知れないけど、あいつは俺に自分のために、御子姫と結婚させるために作った、そう言ってた。小さい頃、何回も聞かされたよ」
「なんと仰られましたか、自分のために作ったと?」
「うん、ハッキリ言ってたよ。だから、こういうことだったんだってわかって、怖いなって思ってる」
「奨弥殿は奏家本家本元のみが受け継ぐ禁術を、ご自分の欲のためだけに使われたのか。なんということをされたのか」
奏司は、里長の驚きと落胆のしように、何か良くないものを感じ取った。
「俺、気がついたら穢の中にいるような気がしたんだ。臭いが、穢の持つ、独特なヌメッとした、生臭いようなやつ。それで、ここへ来た頃御子姫に教えてもらった詞で祓えた」
「穢ですか。豪鬼が結界の向こうに穢がいると言って、祓おうとしておりましたが、結界の力に邪魔されて思うようにいかなかったようでした」
「そうだったんだ。そんなことなかったよ。きっと豪鬼が祓おうとしてくれなかったら、俺、気がつくことできなかったと思うんだ。そしたら…考えるだけでも嫌だ」
奏司は里長の言葉を逃していなかった。
「奏家の禁術って何?聞いても大丈夫?」
「奏司殿は、奏家の本家本元だと、奨弥殿の書状があって総代の座に着かれました。それなら、奨弥殿のお父上に会われてお話しされてはいかがでしょうか」
「いるの?なんにも知らないんだけど」
「奏将大という方です。ご存命ですので、ご連絡しておきましょう。山奥にこもっておいでです」
「マジで!里長、ありがとう!」
「グッジョブ、ですな」
奏司は笑いながら、里長に抱きついた。
「ハグというやつですな」
やっと奏司の顔に表情が戻ってきていた。
里長の家に戻ると、奏司は挨拶をして帰る支度を始めた。
「俺がいると、御子姫は落ち着かないと思うから、今日帰ることにするよ」
「そうですか、今夜ぐらいは泊まられては。もし気がつかれて、いらっしゃらないと知ったら、どう思われるか」
「そうかな、里長がそう言うなら、車は明日朝イチで手配し直すよ」
奏司は里長との散歩で、少しは本来の自分らしさを取り戻すことができたように感じた。
その日、奏司は里長の家に泊まることにした。御子姫は一番奥の間に、中の間には豪鬼と剛拳が、奏司は手前の間に泊まると、あちこち電話ばかりしていた。
奏司は眠ることが恐怖だった。それで眠ることができなくなること自体が、仕掛けられた罠のような気がする。奏司は手縄をかけ柱に結びつけて寝た。そこまでしなくともと言われたが、そうではなくそうしないと眠ることができなかった。




