見えない歪み
双子の祝言が終わった後、奏司は奏家本家へ荷物を取りにきた。部屋を開けると、いきなり信じられない光景が目に飛び込んできた。
「何をやってるんだっ!!」
一人の女が父奨弥のズボンを下ろし、一物をしゃぶっていたのである。しかも女は裸になっていた。突然のことに、女は脱いだ服を持ちしゃがみこんだ。
「おまえ、誰だ。何してたか言え」
「若様、お赦しを…」
奏司の剣幕な怒鳴り声に、留守を預かる者が駆けつけてきた。
「こいつは何なんだ」
その男は三十後半に見える年輩者だった。
「元総代の身の回りの世話をさせております。元々総代付きの女だった者です」
奏司は女に服を着るよう促すと床に座らせた。男は気まずそうに厄介なものを見られたなという様子だった。
「説明してもらおうか」
御子姫が生まれた年、奨弥は十六で奏家総代になった。御子姫との婚約を条件に、総代の座に据えられたのだった。元服も済ませ、先の大戦で亡くなった総代の跡を継いで本家入りした。
その時に初めて性の相手をした者は、二十歳過ぎの容姿も優れた床上手の女だった。
その後、奨弥にはいわゆる飯炊き女達とは違い、奨弥付きの世話を専門にする女達が五、六名新たに連れてこられ、衣食住の世話をしていた。その女達は見栄えも良く、何より従順だった。
奨弥は奏家の悪習を当たり前のように受け入れていた。幼い頃から、家の中にはそういう女達がいたのだ。
女達は時々入れ替わっていた。二十歳になる頃には、奨弥自らが飽きがきたり、執着されるのを嫌い、入れ替えを指示していた。奨弥は本家の若様でもあったし、総代でもあったので、女に不自由したことはなかった。
御子姫が十二になり裳着を終え祝言が挙げられた時、奨弥は二十八になっていた。血の契りはしたが、十二歳の子供相手に、しかも響家の姫君相手に性欲を満たすような性行為はできるはずもなかった。
奨弥は奏家本家から響家へ通っていた。もちろん、奏家へ戻ってから世話係の女達と思う存分交われば済む話だった。それは、奨弥が失踪する直前まで続いていた。結局、女達はただの性のはけ口であり、道具と変わりはなかった。
だからこそ、洋巳を借り腹として利用するようなことを思い立つことができたのだった。剛拳は、本家の男達が女を道具のようにしか考えていないのを嫌というほど見てきていた。
男が説明した、元々総代付きの世話をしていた女というのは、奨弥が失踪直前まで可愛がっていた女だった。女は三十後半で、本家で世話をする女達のまとめ役でもあった。
「お懐かしゅうて、お世話をさせていただいておりました。どうか、どうかもう二度と致しませんので、お赦し下さいませ」
奏司は、自分の知る父親とは違う姿を知り、頭が混乱してきた。
「話はわかったよ、一つ聞いていい?いったいどれくらいの人がこのこと知ってるの?」
「このこととは…」
男は、どのことかはかりかねて聞いた。
「この女の人が、父さんのお世話している時にエッチなことしてるの」
「それは、私だけだと思います。他言せぬよう申しつけております」
「ってことは、命令したの?それとも、女の人がするのを許可したの?」
「私が悪いんです。どうかお赦し下さい」
女は泣きながら謝っていた。奏司は、その涙の意味が知りたかった。
「ねえ、なんで泣いてるの」
女は顔を上げると、奏司をじっと見つめた。奏司は、なぜかこれ以上責める気持ちがわいてこなかった。
「父さんのこと、好きだった?もしかして、ここで待ってた?」
「はい…」
奏司は女のことを赦した。そして、そのまま世話を続けるようお願いした。御子姫には一切知られないよう、くれぐれも気をつけるよう言い残した。
それとは別に、奏司は男に本家を管理する者達を集めさせた。
「みんなに聞きたいことがあるんだ。ここにいる女の人達のこと」
男達は皆一斉に口ごもった。御子姫から禁止するよう命ぜられたことが、ひそかに行われていたからだった。
なんとかして正直な内情を聞き出した奏司は、先程の父奨弥の話から想像したことと、当たらずも遠からずだと思った。
「俺さ、御子姫にはバレたりしてほしくないわけ。だけど、俺も男だからわかるんだ。コレって必要悪なんだと思う。この里は何か歪んでる。人らしい暮らしがないんだ」
奏司は、真剣な目をして、集まった男達を見渡した。
「戦しかないから。それ以外の欲求が全部、エッチなことに行っちゃうんだよ。それを禁止したら、みんなおかしくなっちゃう、違う?」
「俺、この里を変えていきたいんだ。御子姫と話し合ってみるから、それまで絶対バレないよう、うまくやってよ、頼んだからね」
男達の顔からは安堵の表情が浮かんだ。年端もいかない少年から、まさかの大人の対応が出るとは思ってもみなかった。
「あ、そうだ。みんなに言っといて。俺はそういうの要らないから。ここに泊まっても、絶対にやめてね」
響家本家へ戻る道すがら、昨夜抜け出して行った船着場へ来ていた。常世の方から生ぬるい、なんとも言い難い空気が流れてくる。見れば堰までいっぱい、人の顔をした魚のようなものがひしめき合っている。
ーーあれが、ケガレか
常世の穢はまるで、現世との合わせ鏡のようだと習った。異形の里の里長は物識りで、ゆくゆく総代となり御子姫を助けていく奏司に、己が知る限りの知識を授けてくれた。
異形の里で奏司は、通信教育で高校卒業認定まで取得し、里長の勧めで街の大学を受験していた。首都で最難関大の文一の学生である。
御子姫を守るということは、表向きの仕事をすること。そう里長から聞かされた奏司ができることは、勉強することしかなかった。
その勉強用具一式、本家に取りに行って、父奨弥の話を聞かされた。奏司の脳裏にある父は、母洋巳にセックスを強要されていた姿しかなかった。それだけではなく、御子姫を愛していたかどうかまではわからないが、執着は強く残っているのはわかっていた。
父と母の関係が何か歪であることは、子供の頃から感じていた。とても仲が良かったとは言い難かった。父は自分にはやさしかったが、母には怒鳴ったり手を上げていた。それでも時々は嘘のように穏やかで、愛し合っているのだろうと錯覚してしまうほどだった。
いずれにせよ、今思い返せば二人とも異常なほど性依存傾向が強かった。
奏司は、自分が御子姫を好きなのは、どこからどこまでが自分の意思なのか悩んだことがあった。子供の頃から御子姫のことを聞かされ、将来は結婚するのだと刷り込まれてきた。全部、父奨弥からだった。
人は一旦執着すると抜け出せなくなるのだろうか。あの、父の世話をしていた女の人もそうだろう。それともここの里のせいなのか。
ーーなんか、怖いな。なんなんだろう
奏司には、成長するに従って、どうしても俯瞰的な考え方しかできない一面が強くなってきていた。昨夜も、そうだ。快楽に溺れていく御子姫を、美しいとただ見つめていた。
ーーこれ以上、ここで考えるのはよそう。ケガレに当てられそうだ
奏司は響家本家へ向かった。
翌日、表向きの仕事の件で挨拶回りの予定がびっしりだった。
「コレ終わったら、異形の里行けるんだ?」
「そうじゃな」
「もう一踏ん張りだね」
スーツを着ながら、奏司が御子姫の方へ振り返った。
「そうそう、それじゃなくて、その三枚目辺りの着物の方が好きかな。落ち着いた薄柿の西陣の。この前買った帯と合うんじゃない?今日は威厳があった方がいいし、俺のグレーのスーツといい感じじゃん」
「今日は双子がおらんので、つい着慣れたものを選んでしまったが、そうじゃの。奏司は記憶力が良いのじゃな」
見て覚えてしまったのだろう。ちょうど手が欲しいところで着付けを手伝ってくれる。
「それはなんじゃ」
「あ、このカバン?持って行って渡した方が良さそうな資料」
「なんじゃ、それは。聞いておらぬぞ」
「言おうとしたら、その前に引っ張ってった人、誰?」
「そのようなこと、ここで言わんでもよい」
顔を赤くする御子姫をクスクス笑いながら、奏司はカバンから書類を渡した。一通ずつ、これは今後の事業計画書、必要経費精算要求書、予算提案要望書、等々。今までのあらゆる資料を元にまとめられていた。
「いつの間に…」
「唱さんと言葉さんに頼んで、剛拳に里へ持ってきてもらってた。大戦終わったら必要になると思って」
「アカメの話はどこから…」
「剛拳だよ」
「なんじゃ、この計画書は。どこからこんな途方も無いこと」
「豪鬼だよ、豪鬼が考えたんだ。俺はそれを理論的に構築しただけ。でも、結構いい出来じゃない?」
「こ、こんなもの渡したら…」
御子姫は、計画書の一部分に何度も目を通しながら、とうとう黙り込んでしまった。
直接関係があるのは内閣府であった。要は、穢の存在自体が特別なのだ。
「今までどういうやり方してきたかなんて、資料見たら一発でわかったよ。ダメだよ、安売りしたら。命なんだから」
「それは、わかっておる」
「わかってないよ、祖先の歴史がたとえ『贄』から始まっていたとしても、どんだけ時代が変わってると思うの」
ちょうど車がいつもとは違う料亭の前に止まった。
「すぐ戻って来ると思うんで、このまま待機でお願いします」
部屋に通されると穢対策の政策室長と副総裁が待っていた。
「この度、総代に就任しました、奏奏司です」
「ほう、君か。帝都の文一に特待で入学したというのは」
「へえ、ご存知なんですか」
にっこり笑うと、奏司は計画書を手渡した。
「先立って、お話ししたものです。それと、お金の話って、こっちでいいですか」
「うむ、預かろう」
奏司は分厚い関係資料を渡すと、よろしくお願いしますと軽く会釈した。
「それでは、何かあれば、直接ご連絡下さい。俺の方へ」
「ああ、わかった。そういえば、例の件な、全員始末しておいたから」
「そうですか、それはありがとうございます。今後、表のことは総代の自分が取り仕切るんで。御子姫を煩わせるようなことはないように願います」
奏司は副総裁に一礼すると、御子姫を連れて退室した。
「いいんですか、副総裁。あんな子供に…」
「ああ、ああいうのをその気にさせるのが一番厄介なんだ。何を考えているかわからん」
「そうですかねえ、ただの小生意気なガキにしか見えませんけど」
「今まで私が知る限り、穢を盾に、国の一つや二つ潰したって何とも思わない、などと面と向かって言ってきた者はいない」
「それは分別ある大人だからですよ」
「いいや、よく考えてみろ。穢の存在はそんじょそこらの核兵器より恐ろしいぞ。それを祓えるのは自分達だけだと、そんな当たり前のことをなぜ今まで言う者が現れなかったのか、考えたことがあるか」
時の権力者に翻弄されながらも穢を祓い続けてきた、輪響紋衆。
どれだけ時が流れようと、変わりようがなかったものを、変えようとする者が現れた。




