離縁状
響美琴が、所用があって久しぶりに近くまで来たのでと、御子姫の元へ挨拶に寄った。奏将隆が急逝した折に、葬儀で少し顔を合わせたきりだった。
「お元気そうで何よりです。五年と区切っておいででも大戦中、どうぞお気をつけて」
「そうじゃな、何があるかわからぬからな」
「此度は破格で屋敷を譲っていただき、双子が喜んでおった。礼を…」
「いえいえ、病死とはいえ、将隆が亡くなっておりますので。処分できてよかったくらいです」
「帆波は元気か、子供がおったろう。もうすぐ元服ではないか」
「再来年でございます」
美琴の不自然なまでの自然さに、御子姫は触れられたくない何かがそこにはあるのだろうと思った。
「万が一、戦人になりたければ、今ではしっかりと預かり体制を整えておるから、相談しておくれ」
「奨弥殿は奏家本家においでなのですね」
「いつまでも街の病院へ置いておくわけには行かぬのでな」
「そうでしたか…そうですわね。世の中、何が起きるかわかりませんものね」
「そういうことじゃ」
当たり障りのない世間話の端々から、お互いはっきりとは言えないが、世の中には決して出ることのない話があることを感じ取っていた。
世の中には決して口外できない、墓場まで持って行かねばならない話はごまんとある。その一つに過ぎないのだ。
美琴は、これでやっと永の暇がいただけると、去っていった。
出陣の時が迫ってくる。風呂場で水垢離してから、戦装束を纏う。戦船に乗り込むと、船着場から堰の手前まで篝火が焚かれる。
出港前に、大祓詞が朗々と奉じられる。
今日の一の大将船は御子姫と剛拳の対という、特別な配置になっていた。
「今日はまず雁行で様子を見つつ進む」
閘門を経て、常世へと出陣したところで、ザコを一掃しながら進んでいく。しんがりには二の船が付き従う。近くで跳ね上がるカマを一撃で祓いつつ、無事に進んできたところで、先方遠くにイタチの群れが見受けられた。
「唱、鶴翼あまり広がらず、揃えて大砲、行けるか」
「はいっ!駿英殿、お願いします」
御子姫の合図とともに、二人の大砲がイタチの群れを祓う、同時に全船から前方や側面に術が続けて撃ち込まれていく。その時だった、水面がゆらりと波が起きた。
高く飛んでいた御子姫には見えた。船団の真ん中の底の方に光る赤い目が。
「剛拳、アカメじゃ。船団の真下に潜っておる」
「これでは手も足も出ませんな」
「全体に速く進め!」
御子姫はアカメがどう出てくるのかを見たかった。通常通り、前方のザコを一掃しながら進む。アカメは底に消えていった。突然、船団の最後尾から大声が聞こえてきた。巨大なトグロが、今まで見たことのない大きさのものが船を巻いていた。
「剛拳、祓うぞ」
御子姫は後方へ向かって大砲を一撃命中させ、トグロを祓った。
「怪我人確認!」
船が追いついてきたところで、後ろを見直すとアカメらしき大きな穢が見えた。
「唱、後方の波の揺らぎがわかるか!あの下底の方にアカメがおる!私に続けて大砲を放て!」
御子姫は、剛拳に輪紋の連弾を指示した。
大きな輪紋が繰り出される、そこに御子姫の響紋が一瞬にして幾重にも打ち込まれる。
「いくぞ!」
一際高く飛んで、上から叩きつけるように大砲がアカメめがけて放たれる。すぐに唱が同じ箇所に撃ちつける。そこへ御子姫が特大の大砲を放った。大河の水面を割って閃光が底の方まで穢を祓う。
「よし、祓えた。こやつはアカメの中でも中程度じゃろう」
ふうっと御子姫は息を吐く。剛拳もかなりの力を使ったようだ。
「どうじゃ、これが続いたら、八時間祓い続けるのは無理じゃな」
「そうですね」
その後は今まで通り、できる限りカマを中心に祓いながら帰途についた。しんがりを務めながら、御子姫は後方を高いところから見ていた。大河全体の雰囲気を見ていた時、大きなトグロが船を追いなかなかの速さで迫ってきた。
「なんじゃ、この動きは」
訝しみながら、様子を見ているとあっという間に機動部を巻いてきた。船が止まる。御子姫は、口を開けニタリと笑う穢を見た。
「笑った…」
すぐに一撃で祓ってやったが、何やら得体の知れないおぞましさを感じた。
戦から引き上げてくると、契り後の対は皆それぞれ家へ帰宅して禊を行う。そうではない者たちは本家で各々、ほぼ集団で行うことが多い。祓詞を唱えつつ水浴する。それを幾度か繰り返す。それは己の裁量にもよるが、戦の状況によっては目上の者が手伝ってやったりもする。
御子姫は一人専用の沐浴場で、己の姿を解放して念入りに禊を行なっていた。湯船に沈み込み、清水はひっきりなしに湯船へ流れ込んでいた。
禊を済ませると、寝間着に着替えて一眠りに着く。
あれはいったい、なんだったのだろう。穢は事象であるはず。それが変わってきている。姿形ではない、本質が、穢が穢であるべき理屈が伴ってきている。
「ああ、もう厄介じゃ」
思わず、大きな独り言を漏らしてしまった。
会議の際に話し合われたのは輪経紋の術についてだった。術を繰り出すには対の連携がとても重要な要素となる。唱と駿英の対には問題点が浮き彫りとなってきていた。
会議の後、二人は御子姫に呼ばれた。
「どうして呼ばれたか、わかるか」
「はい…」
唱は口ごもった。いつもははっきりと答えるのだが、今回はどうも様子が違う。
「そなた等、今ひとつ息が合うておらんのじゃ。唱もわかっておろう。言葉と二人で繰り出していた時に比べて、威力が半減しとる」
「すみません…」
駿英も、実際どうしたらいいのか、わかりかねていた。
「そなた等、抱きあう以前に手さえ握ったこともないのじゃないか」
唱は黙ったまま顔を真っ赤にした。駿英は参ったな、という素ぶりである。
「戦のためにと無理強いはしとうない。ただ、契ったからというてすぐに解決するものでもない。お互いに話し合うたことはあるのか」
唱はうつむいて首を振った。
「あの…だめなんです。苦手なんです。他人に内側に入って来られるようで。どうしたらいいか、自分でもわからなくなってしまって」
「俺は唱さんをいつでも受け止めてあげたいと思っています。少しでも、受け入れてもらえるよう努力しています」
御子姫はしばらく二人のやりとりを聞いていた。唱は元々固い性格な上、潔癖だった。力はあっても、この『対』で戦うという仕組み自体に合わないのだろう。それを克服できなければ、大将には据えられない、それどころかこの先の戦には厳しいだろう。
「唱、無理はせずともよい。戦人を辞めても構わん」
「そんな!御子姫殿、今しばらく…」
「向き不向きがある。いつまでも対の気持ちにさえ壁を作って、己大事でいるような者に、輪響紋衆としての戦など無理じゃ。駿英は見事な輪紋衆じゃ、このままでは勿体ない」
「姫様…」
「今まで何を学んできた。覚悟が足りぬ。実家へ戻って神守にでもなるがいい」
唱の肩が少し震えた。子供の頃から憧れ追いかけてきた、御子姫からのこの一言は唱には堪えた。微動だにせず、唱は畳を見据えていた。
御子姫は深呼吸をすると、口調を変えて話を継いだ。
「きついことを言った、すまなんだ。今までとは状況が変わってきたゆえ、いつ急変するかわからぬ。生ぬるい覚悟ならば必要ない。駿英とよく話し合うて答えを出しなさい。契ろうが無かろうが、まずは互いの心が通いおうておらねば何も始まらん」
駿英は唱の震える手に自分の手を添えると、やさしく握った。
思わず言いたくもないことを、踏み込みすぎてしまった。御子姫は己の焦りを嫌な形で、唱と駿英にぶつけてしまったことに苛立っていた。
なんとも不甲斐ないものか。
その後の戦では、アカメの存在に注意を払いつつ、一進一退の戦が続いていた。唱と駿英の対には、少しずつ変化は見受けられるようになってきてはいた。
御子姫は、奏家本家の奨弥の元を久しぶりに訪れた。奨弥は十六で総代となり、元々使っていた部屋にいた。車椅子に座って、庭の方を見ていた。
奨弥を引き取ってどれくらい経っただろうか。
「奨弥殿、お加減はいかがですか」
奨弥は相変わらず、無反応だった。御子姫は傍に座ると、アカメの話をした。アカメはちょっとやそっとでは祓えない代物で、御子姫自身も対について考えなければならないことを話した。
「今、異形の里で、まるで兄弟のように育っている者達がおります。もうすぐ元服を迎えます。私は、その類稀な才を持つ二人と対を成し、二つの大砲を以って戦に赴き穢を祓います」
「二人と契るのじゃ」
「こんなところで廃人のようになって!
どうして勝手にこんなことをしたんじゃ!
そんなに私は信用ならんかったのか!
私の気持ちがそなたの他に向くとでも思うたのか!
力量の差などで、そう簡単に頭領と総代の対が解消されることなど、聞いたことがないわ!
誰の言葉に踊らされたのじゃ!
結局、そなたは己のことしか考えとらなんだのじゃ!
今もそうじゃろ!!」
「そなたは私を本当に愛してなどおらぬ」
「私ももう、そなたを愛してはおらぬ」
奨弥は、何の反応も示さなかった。ただぼんやりと遠くを見つめたまま座っていた。
「そなたが私の元を去って、もうすぐ十八年じゃ。私はその間も、連日のように常世へ向かい戦を続けておる。どういうことかわかるか。もう、そなたとは同じ時を生きられぬということじゃ。
そなたが突然来ぬようになったのは十五の時、私はもうすぐ十八じゃ。これが常世と現世の時の差じゃ。
この三年間、一人残された私がどういう思いで、何を乗り越えてきたかなど、想像もつくまい。その重責を私一人に背負わせて逃げたのじゃ」
「そなたは…」
「おまえは、私を守れなんだ。
おまえは、その手で私を!
おまえが最も忌んだ亡者の群れに、私を突き落としたのじゃ」
「もう、遅い。情けで面倒は看てやる、それだけじゃ」
御子姫は、堰を切ったように、今まで胸につかえていたものを吐き出した。そうまでしても、守りたいものができたのだった。それを邪魔立てするなら、容赦はしないという離縁状を叩きつけたのであった。




