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奏 将隆

将隆の妻、美琴は息子である将吾と帆波夫婦の屋敷にいた。帆波の様子がおかしいことを不審に思った将吾が、帆波を問い詰めとうとう、父である将隆から受けた暴行を知ってしまったのである。

将吾は、昔若い頃自分が行った、経紋衆の洋巳に対する暴行事件の罰が下されたのだと、こちらも馬鹿正直に妻帆波に話していた。


将吾は四十、帆波は二十八、そして二人の間には将真八歳、将生二歳と子がいた。将吾は年老いてきた父将隆の仕事を手伝いながら、表で会社を経営していた。

順風満帆の家族に、思わぬ亀裂が入ろうとしていた。それというのも、すべては将隆に起因があった。


奏将隆という男は、奏家(かなでけ)本家の長男に生まれた。何不自由なく、順当に行けば奏家総代となり、響家(ひびきけ)頭領と(つい)となる。そして今まで通り、経紋輪紋衆の要となっていく運命の元に生まれた。


ただし、将隆にとってはまさしくそれこそが茨の道であった。


生まれた時、将隆には輪紋がなかった。輪紋衆の象徴ともいうべき紋がない。その事実はしばらく隠された。そうしなければならない大きな理由があったのである。幸いにも、一月(ひとつき)後の宮参りの頃には紋が薄っすらと現れてきていた。

しかし、父将大にとって、この長男将隆は、あってはならない不作の存在となった。


将隆が生まれる前のこと。

将大は輪紋総代として経紋頭領と(つい)であった時、頭領が厄で戦から引退したと同時に子をもうけた。この流れは至極当然のものだった。

ただし、この時生まれたのは、紋がない女児であった。御子姫の母である。

総代と頭領の(つい)で紋なしが生まれるのは凶事とされた。一族全体の弱体化の象徴ともいう出来事であった。


将大は総代として(つい)の解消、離縁をせざるを得なかった。その後響家本家筋から新たに頭領として(つい)を迎えた。ちょうど両者揃って厄となり引退し子をもうけた。その子が将隆である。

将大にしてみれば、二人も続けて己の種で紋なしが生まれるようなことがあっては、それこそ奏家本家本元存続の危機であった。


不作の子を総代にすることは無理があった。その後、続けて男児を二人もうけたが、その子らも輪紋はあったものの力は弱かった。

奏家本家では、本元の力が弱くなることは今までにもあった。その都度、『(たま)込め』の秘術が行われてきた。

ではなぜ、本家総代にのみ『(たま)移し』の禁術が伝えられてきたのか。


本家本元の力が弱まった時、輪紋が優れ力のある輪紋衆を呼び、その者の持つ力すべてを『(たま)込め』で移譲させ、さらに総代が己の命をかけて『(たま)移し』を行うことで、本元を存続させる。つまり、響家の(つい)一人に対して、奏家の男が二人がかりで子を成すのである。

これは奏家の者であれば誰しもが聞き及んでいることだった。しかし本当に行われてきたかどうかは不明であった。


話を戻せば、奏将隆という男は、劣等感の権化(ごんげ)であった。だからこそ、己の持たぬ力の代わりに執拗(しつよう)に権力を求めた。

その矛先は奏家のみならず、相互不干渉の盟約が保たれてきた響家にまで及ぼうとした。それを真っ先に感じ取り、響家の盾となったのが美鈴であった。

将隆は輪紋としての力を持たない代わりに、非常に策略に長けた、さらにいえば謀略に長けていた。


美鈴の妹である美琴を(つい)にできたのは、まさにその手腕もあった。力の弱い己の弟達ではなく、従兄弟である晃將(あきまさ)を総代にして美鈴と(つい)にする代わりに、美琴を手に入れた。

父将大に早くから付いて回り、表の仕事を学び掌握(しょうあく)した。その方面には将隆はまさに秀でていた。


十年余にわたる大戦(おおいくさ)で、あらかた己の邪魔になる者達を排除した。その中には、天敵ともいうべき美鈴も含まれていた。己に楯突くものはいなくなった。

将隆は年老いてくるに従って、何かにつけて力づくでものにしようとする傾向が出てきた。と同時に、時間をかけて最終的に欲を満たすようになっていた。忘れた頃に、油断した頃に、見計らったように。


帆波にとっては、初孫の将真をたいそう可愛がってくれる好好爺(こうこうや)であった。それが将真が三歳になった頃、突然豹変したのである。その時にはもう、別に屋敷を建ててもらい移り住んでいたので、帆波は幼い将真と二人きりだった。

待ちに待った好機を将隆が逃すはずもなかった。


将吾は心から帆波を愛していた。将隆に似た部分はあったが、帆波と出会い夫婦となり人が変わったようになったと、母美琴でさえ感じていた。

「帆波、そんなに謝らないでいいから。俺は若い頃、親父に似たようなことやってた。でも、帆波と出会って、一人の女をこんなに大切に思うようになった。帆波のおかげで、俺は大切なものを守ることをやっと理解できたんだ」

「将吾さん、ありがとうございます。私、洋巳さんのことは知っていました。御子姫様が、若気の至りというやつじゃがと、それでもよければと。会って気に入らんかったら断ればいいと。でも、私にはこれ以上なく、将吾さんは優しかった」


帆波は二人目の子を抱きながら、泣いていた。

「お義父様は、まるで蛇の生殺しをするように、忘れた頃に何度かいらっしゃいました。その都度、将吾さんに知られてもいいのかと仰られました。この子を身ごもったと知ると、途端に足は遠のきました。この子の父親はどちらかわからないのです…」

そこまで聞くと、将吾はもういいと言って、帆波を抱きしめた。

「俺は、お前がいてくれればいい。守ってやれずにすまなかった。もう、ここを離れよう」

美琴からの連絡により御子姫の計らいで、二人は子供を連れ、将隆の手が行き届かない響家側の里へ落ち着くことになった。



美琴は娘から聞いたことを御子姫に話し相談した。御子姫は、なるべく両家にとって徳となるよう考えてみようと言ってくれた。特に、十八にも満たない娘の処遇が、響家では考えられない酷い扱いであることに驚き憤慨していた。


将隆の元にいる娘は、将吾と帆波夫婦について、お手伝いとして一緒に響家の里へ行った。勝手に決めたことに最初将隆は腹を立てていたが、帆波への度重なる暴行が発覚し息子から縁を切られたこともあり、おとなしく引き下がった。

どうせまた、ほとぼりが冷めたら連れてこれば良いことだと考えていた。


「少しお尋ねしたいことがございます」

美琴が険しい表情をして、居間でくつろいでいる将隆の元へやってきた。将隆はまだ何かあるのかと、うんざりした顔をした。

「これはいったい何でございますか」

美琴は懐紙の包みを将隆の目の前に置いた。そこには長く白い髪の毛が丁寧にまとめられてあった。誰がどう見ても、御子姫が変幻した際のものだとわかる代物だった。


「帆波のことがあったので遅くなりましたが。御子姫様の(こう)()が背広からいたしましたので気がつきましたの。何かございましたか、もしやとは思いますけど」

「ふん、そんな勘ぐられるようなことはない。総代のことで言い争いになっただけだ」

「ではこの方の仰ってることは、いかがですか」

美琴はテーブルにボイスレコーダーを置くと再生した。そこからは洋巳の声がした。将隆が得意げに、御子姫をとうとう手篭めにしてやったと、詳細に笑いながら話していた。


「だから、どうだというのだ」

「あなたは、響紋衆と戦でも起こすおつもりですか。それよりも、輪紋衆だとて黙ってはいない者達も多くおりますよ。

あの御方は、輪紋響紋衆の祖に等しいのです。あなたは、この里で生きていけるとお考えですか!」

将隆は大笑いしながら、レコーダーを美琴へ向かって投げつけた。

「やれるものならやってみろ。御子姫の淫らな話を里中に知られてもいいならな」


二人が言い争いになっているところへ電話が鳴った。美琴は居間にある電話の受話器を取った。街の警察からだった。

警察からは、洋巳が逮捕勾留されたことの連絡が来た。当日店にいたことを客の一人が話していた。

美琴が何があったのか聞くと、先程までとは大違いに急に不機嫌になった。

その後数日、将隆は出かけることなく、自室にいた。時折、怒鳴り散らす声がしていた。



勝手口にわざわざ、馴染みの漁師が魚を届けに来ていた。

「本当に、よろしいんですか」

「ええ、無理を言って悪かったわね。おまえには感謝してるわ、本当にありがとう」

美琴はビニール袋に入れた現金を、魚を取り出した後のクーラーボックスへ一杯に入れた。


漁師は大きなウマヅラハギに似た魚を届けた。

美琴は古伊万里の皿に、ハギの魚の薄造りをきれいに盛り付けると、その真ん中に小皿に魚の肝を添えた。大きな盆にぽん酢に薬味も一緒に乗せて準備した。

日本酒を用意して燗をつけ始めた。


どこにも出かけられず、将隆は苛立っていた。

居間でくすぶっているところへ、美琴は刺身を持っていった。

「旬の走りのウマヅラハギの刺身です。大きなもので肝も立派でしたので、いかがですか。いま、日本酒も燗をつけていますから」

美琴は日本酒を届けると、将隆に酌をして部屋から出て行こうとした。将隆は呼び止め、おまえも一杯飲めと猪口(ちょこ)を渡した。美琴は将隆に渡された酒を飲むと、まだ少し料理があるのでと部屋を後にした。


酌をした酒を飲まずに先に飲ませるなんて、用心深い男だと美琴は思った。毒でも入れているとでも思っているのだろうか。御子姫のことがあってから、特に用心深くなっている。

所詮は、小心者なのだ。


刺身以外にも用意した小鉢数品と、燗をつけた徳利(とっくり)も持って部屋に戻ってきた。

「いかがですか」

「ああ、まあカワハギの方が美味いが、ここまで立派なウマヅラなら肝も大きくて美味いな」

「それはようございました」

美琴は小鉢と徳利を置くと、そう言って出ていった。


「毒は入れておらんようだな。そこまで馬鹿ではないということか」

美琴は将隆がしっかり肝を食べているのを見届けた。

将隆の部屋に夜間に飲む水を、水入れに入れて用意する。そこへ念には念を入れて、フグ毒をほんの少し入れておいた。もうどれほど長い間、持っていただろう。

将隆の部屋に水入れを置くと、美琴は先に休むといって部屋に下がっていった。


翌朝、将隆の部屋に行くと、将隆は床に倒れていた。胸をかきむしったように苦しんで息絶えていた。


「ハギだけでよかったようね」

水を飲んだ形跡のない水入れを持って、美琴は階下へ降りた。台所で流しに水を捨てると、水入れをきれいに洗って片付けた。

将隆の死因は心不全と診断された。

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