大戦(おおいくさ)
その日、里の輪紋衆経紋衆で日々戦に出陣している者達は皆、御子姫の元、響家本家の大広間に集められた。
「とうとう、大戦を始めることになった!」
うおおおおおーっっ!!!と大広間が反響で揺れるような鬨の声が上がった。
前々から、大戦に向けて鍛錬をしていたためか、やっと本番が来たかという反応が強かった。
「この場にいる者達で、先の大戦を知ってはいても、経験している者はほとんどおらぬ。
それはかえって利点じゃ。今までとは違った大戦をする。
まず一つ、絶対に死者を出させぬ!
二つ、交代制にして連日出陣はさせぬ!
三つ、いくら常世で腹は減らぬといえ、一日八時間まで!
四つ、傷や怪我によっては出陣禁止!
五つ、常世では長くても一年半までしか続けぬ!
つまりは、これで現世で十年は経とう。両親は元より、親類縁者には必ず挨拶に行くこと。よいな!」
出陣にあたって、御子姫はこうも言った。
戦は一人ではできない。必ず、対の二人一組で戦うこと。互いに守り合い、助け合って、生きるために戦うこと。それは陣形を組む班ごとでも同じこと。
決して、命を落とすことは認めない。
「三日間精進潔斎の後、明後日午後八時出立じゃ」
御子姫は、豪鬼の元へ向かっていた。
しばらく、十年も会えなくなる。幼い豪鬼に理解は難しいだろう。欠かさず半月毎に来ているとはいえ、育ての親に任せ待たせてばかりだ。
育ての親もまた、異形の生まれだということで、赤児の時に里へ預けられた。同じように、育ての親に育てられ、その親が本当の親だと思っていたと聞いた。
御子姫もまた、生まれてすぐに母を亡くした。偶発とはいえ、己の力で命を奪っている。父親は先の大戦で戦死したと聞かされた。
親とはどういうものなのか、わかりようがない。豪鬼が、どのように思っているのかも、喋ることができないので聞くことができない。ただ、いつもいつも、待っていてくれる。
自分なりに一生懸命やっていたとしても、理解されるとは限らない。寂しい思いの方が勝ってしまったり、良かれと思ってしたことが裏目に出たり。
今回も、豪鬼は柿の木の近くで待っていた。
「豪鬼、元気じゃったか!」
いつものように飛びついてくる。肉の風呂敷包みを嬉しそうに持っていく。いつもより多い肉の量に、半分取っておこうとすると、全部食べられると思っていたようで、表情には出ないが食べると言ってきかない。結局、思い通りに全部食べてしまった。
「豪鬼にはかなわんのう」
豪鬼は御子姫の膝に頭を乗せてごろごろしていた。御子姫は育ての親と話をしていた。
「とうとう大戦だそうで、何年ほど…」
「十年じゃ」
「この里の者は、今回は出陣を見送ろうかと思っておるのじゃが」
「いつも通りになさった方が、なにかと目をつけられず良いかと思います」
将隆は、元々この異形の里については否定的な考えを持っていた。なにかの隠れ蓑にしているのではないかと疑っていた。
「今回は先の大戦と違って、交代しながら出陣することにしたんじゃがのう」
「御子姫様は、どうなさいますか」
「私がおらずに、いったいどうする」
「それなら里の者も、同じように毎日出陣すると言ってきかないと思いますよ」
「そうか、里を二分して、交代にさせたいんじゃがうまくいかぬかのう」
豪鬼が寝転びながら下から御子姫の顔を伺っていた。なにやらいつもとは違う雰囲気を察すると、突然機嫌が悪くなってきた。しかめっ面になり憮然とし、睨み返してきた。
「おやおや、なにか勘づいたやも知れませんね」
「豪鬼、お話じゃ。戦が始まる。私はしばらく、来てやれぬ」
豪鬼は御子姫に抱きつくと、がぶりと肩に噛みついた。
「痛いぞ、豪鬼!やめんか!」
豪鬼はすぐに肩から口を離すと、着物の襟を引っ張って噛んだ痕を見た。くっきりと赤く歯型がついているのを見て、後ずさってしばらく御子姫の顔を見ていた。
「怒ってはおらぬ。どうしたんじゃ、豪鬼…」
すると豪鬼は、なにかを我慢していたように、大声をあげ、おーんおーんと泣き出した。それは初めて、豪鬼が自ら感情を見せた姿だった。
「すまんのう、いつも一緒にいてやれぬ上に…」
胡座をかいて手に握りこぶしを作り、まるで座ったまま仁王立ちしているように、豪鬼は大口開けておーんおーんと泣き続けた。
泣きやむのを待っていたが、豪鬼はそのまま泣き疲れ眠ってしまった。
豪鬼は、御子姫が戦を終えやってくるまで、成長を止めてしまうのだった。
大戦へ向けて、初日の出陣準備はさすがに普段の戦と違い、一筋ぴんと張りつめた空気が漂っていた。
一の船、二の船、その後ろに新しく造船された副船が二隻ずつ、最後尾に一際大きな異形の輪紋経紋衆の船が続く。
船列が整うと、祓い太鼓の音がどぉーん、どぉーんと響き渡る。
そして御子姫による大祓詞が奏上された。
高天原に神留まり坐す皇親神漏岐神漏美の命以て八百萬の神等を神集へに集へ賜ひ神議りに議り賜ひて…
罪と云ふ罪は在らじと祓へ賜ひ清め賜ふ事を天津神國津神八百萬の神等共に聞こし食せと白す
船が出立する運河沿いには、松明の灯が並び、煌々と船を照らしていた。
閘門まで来るといよいよ緊張が高まってくる。
一の船と副船が二隻、閘室に入ると一旦門は閉じられ、先に一の船団が大河へ出る。続いて同じように二と三の船団が出てきた。
「基本の陣形に整えよ!」
御子姫が乗る船を先頭に雁行、穢の出現に合わせ、中央へ異形の大船から大砲を打つ。一と二とで鶴翼にした後に、さらに大船から大砲を打つ。両翼でそれぞ三角形に陣形を変え進む。
「決して深追いするな!大砲を待て!」
無理せず、一進一退を繰り返して初日は過ぎた。帰港時には御子姫がしんがりにつき、物見をしながらザコを一掃した。
御子姫の戦ぶりは、連日出陣しているに関わらず日々よく霊力がなくならないものだと感心するほどである。さすがに双子はまだそこまで力も安定しておらず、剛拳とともに三日に一度は休んでいた。
目覚ましく力をつけていく者たちも多く、気の張った実践ほど眠っていた力が覚醒していくことはなかった。
御子姫は毎日出陣し半月ほど経った。
現世では、洋巳が陣痛を迎えていた。出産は万が一のことを考え、マンションで神守の産婆を呼んだ。二度目の出産なので、洋巳にとっては一度目に比べれば楽なものとなった。
問題は、奨弥の方だった。産み月が近づくにつれ、自分が何をしていたのか、記憶が飛ぶことが多くなってきた。それだけではなく、意識なく眠ってしまうことが増えてきた。奨弥は、これが魂移しの禁術を行なったがゆえに、自分の体に起こっていることだろうと予測はついていた。
いざ出産が始まると、意識が遠のくだけでなく、まるで体が真っ二つに引き裂かれるような感覚を覚えた。遠くで産婆のかけ声がする。子供が生まれかかっている。
奨弥は息ができないほどの衝撃が起きた。胸が苦しくなり激しい動悸へと変わる。
ーードッ、ドクンッ!!…ドッ、ドーーンッッ!!!
「…ぅん、ぎゃあ、ぉぎゃあ、おぎゃあ…!」
子供の泣き声とともに、意識がぐいっと持っていかれる感触、体から魂が引き抜かれていくような感覚がした。奨弥は倒れたまま意識不明となり、しばらく動けなかった。気がつけば、出産はすべて終わっていた。
洋巳が生んだのは、輪紋がくっきりと現れた男児であった。まるで、奨弥の力がすべて移っていったような見事な紋だった。ただし、現れた形や場所は奨弥とは違っていた。
子供が生まれ、奨弥の紋は完全に消えていった。力は移譲されたとみてよかった。その意味では、奨弥が行った魂込めの秘術は成功した。
洋巳は一人目の出産の時に、己の身にも起きたことなのであまり気にしていなかった。奨弥にすれば初めての子、そういうものだろうくらいに思っていた。
奨弥の意識障害は、調子が良い時と悪い時があった。これも魂移しの禁術の影響なのか、それとも酒浸りが過ぎるからゆえのことなのか。洋巳には病気だと言ってごまかした。
洋巳は子育てはしっかりしていた。一人目の子は鬼の子だったため異形の里へ預けられた。洋巳にしてみれば取り上げられ、育てることができなかった。それもあるからだろう、目の中に入れても痛くない、とでもいうほどの可愛がりようだった。
御子姫は連日出陣して一年半が経とうとしていた。大戦が始まる時には十六だったが、この戦中に実質十七となっていた。
雷魚が大きくなったようなイタチは大小ともあらかた片付けられていた。トグロは相変わらず現れていた。目新しいものといえば、波間から大口開けて飛んでくる、太い鱸のような穢がいた。イタチに比べれば飛びかかられるまでに何度か水しぶきが上がるのが目印となって退治はしやすかった。
「御子姫殿、現世ではそろそろ十年が経ちます」
「そのようじゃの、そろそろ大戦も終わってよかろう」
その日、無駄に出陣することを控え、大戦の終了が告げられた。死者なし、手足を失うような大怪我もなし、理想的な大戦だった。




