血の契り
先代の響家、経紋衆の頭領が十年以上にも渡る大戦で落命して間もなく、響家本家で久しぶりに姫が産まれた。
従来のしきたりに従って、『御子姫』、とだけ呼ばれることになった。
御子姫は、産まれた時、髪は真っ白で、瞳は赤かった。
まるで白蛇のような、白兎のような、神々しさ。
増して、祓いの力は百人力、千人力とも称された。
大事にされたが故、奥座敷で限られた者のみの手によって、
十重二十重もの扉の向こうで育った。
あれは、十ニ歳になる半月程前のこと。
御子姫が初潮を迎えた。その日から縁起の良い丑の日を選び、三日三晩、赤飯や鯛など供され祝宴が開かれた。
もちろん、その祝宴には奏家一族も招かれた。殊に、ちょうど釣り合いの取れる力を持つ、新しい総代はよくよくもてなされた。
その祝宴の締めくくりとして、経紋衆と輪紋衆の結びつきを固くする儀式が控えていた。
御子姫は、十ニ歳を迎えて間もない。宴もたけなわ、奥座敷から御子姫が姿を現した。すでに裳着を終えた姫は、白の小袖に緋の袴だった。
髪の色も、瞳の色も黒く変わっていた。
奏家総代、奏奨弥はこの時、二十八歳であった。
ーーなんだ、まだ子供だろう!?
古からのしきたりとはいえ、どうしたものか。
しかも、自分の一挙手一投足、すべて両家より集まった者達に見定められている。奨弥はわかりきっていたこととはいえ、居心地は良くなかった。
すると、御子姫は儀式の準備があるからと早々に席を立っていった。御子姫には表情がないのか、それとも緊張しているがゆえなのか。
奨弥には目もくれず去っていったことに、奨弥はやれやれと、余計に気が重くなった。
奨弥の元には、儀式に臨むにあたり食さねばならないという、特別な膳が運ばれてきた。
膳は、すべて赤い椀。
少しずつだが、何が盛られているのかわからない。
どうやら、全部食べ終わったら響家の者が案内するという手順のようだ。
見計らったように、声をかけられる。
奨弥が席を立つと、続いていた宴の賑わいが一瞬途切れた。
なんとも言えない雰囲気が漂う中、宴は続けられていった。
別室に通されると、奨弥はそこで白さらしの夜着に着替えさせられた。
白木の廊下に、白木の格子戸、渡り廊下の向こうに、同じように白木で作られた離れがあった。
離れには窓一つなく、引き戸があり、紐を引くと鈴が鳴った。
中から戸が開けられる。
白さらしの夜着の御子姫が出迎える。
案内の者は下がっていった。
部屋の広さは十二畳程か、部屋の隅に燭台に蝋燭の灯り。
引き戸は、奨弥が中に入ると御子姫が内側から鍵をかけた。
初夜の床入り、とは言え、奇妙な。
敷き布団に白さらし、かけ布団などはない。
ーーそうか、儀式のためだけ、ということか。
香が焚かれているようで、少し頭がクラクラしてきた。
さすがに、布団を見た瞬間、奨弥は緊張してきた。それ以上に、十二にしては妖艶にさえ見える御子姫に、先ほどまでの心持ちなど消えてしまいそうだった。
御子姫に手を引かれ、布団に招かれ仰向けになると、食した膳が効いているのだろう。
見事に勃った一物。
御子姫は重々、儀式の手はずを仕込まれている様子だった。
通和散というぬめり薬。
いわゆる閨房での秘薬である。
昔、遊郭など色街で禿が新造となり『水揚げ』の際と同じ。
初めて受け入れるのだから、見れば見るほど怖いだろう。
御子姫は意を決したように腰をあげると、ゆっくりと下ろしていった。
御子姫は、自分なりに頭ではわかってはいた。
ーーああ、こういうことか、貫かれるということは…
経験してみて初めて、事の重さを痛感する。
まだ幼さの残る顔が、さすがに苦痛に歪む。
その顔さえ、奨弥には、揺らぐ火の灯りに美しく思える。いくら食した膳や媚香の影響もあるとはいえ、この疼きはなんだろう。
「は、あぁ…」
ため息ともなんとも言えぬ声を漏らすと、御子姫はキュッと唇を噛みしめた。その様子を見た瞬間、奨弥の理性は崩れていった。
御子姫は声一つあげず、奨弥を見つめた。
奨弥は驚いた。
腰をうずめた瞬間。
真っ黒だったはずの髪は真っ白になり、瞳は真っ赤になる。
そして、全身に経紋が煌煌と浮かび上がる。
経紋衆の中でも経文の出方には個人差があった。
御子姫は、本当に鮮やかに、全身に細やかにビッシリと浮かび上がっていた。そのため、全身が光り輝いて見えた。
見事、としか言いようがなかった。
ーーこれが、噂の御子姫か。
一体化したことで、より一層御子姫の力が伝わってくる。
奨弥は背筋が凍るようだった。
果たして、自分は釣り合うのか?
御子姫は腰を上げる前にもう一度、奨弥を上から見つめた。
ーーこの男が、生涯の対
御子姫は、運命の相手を前にどうしてよいのかわからなかった。そこまでは、誰も教えてはくれなかった。
ただ、大切にしなければいけない。そう漠然と思っていた。
声一つ出してはいないが、到底抗うことのできない力がのしかかる。
すると、突然、御子姫は穢を祓う禊の儀を始めた。
確かに、前々日、出航し穢との戦となった。昨今、穢は数も多ければ、特殊な物も出没するようになっていた。
それだけ、現世には、穢を招くものが多くなったということか。
禊を始めると、御子姫の髪は宙を舞い、奨弥の全身をくまなくなぞっていった。
先程までの体の重さや痺れなど、穢から受けた些細な傷の痛みさえも、ことごとく消え去っていく。
ーーなんと、見事な! これほどとは…
御子姫の対にと響家奏家両家で取り決められたのは十六の時だった。それから二年後に初戦に出てからずっと、奨弥は戦に出た後の禊は己自身で行なっていた。
戦に出れば、対で戦う相手は都度毎、選んでいた。
対として『血の契り』を交わすということは、婚姻を結ぶのと同じであった。輪紋衆には経紋衆から受ける禊の儀こそが、最も効果的に穢によって受けた傷を癒すことができた。
御子姫の力に気圧されてしまっていた奨弥だったが、やさしく禊を行う御子姫の髪の感触に、小さな手や細い指先から伝わってくる、おずおずと体をなぞられる感覚に、次第に落ちていくのがわかった。
「ありがとう。これほど素晴らしいとは…御子姫殿は」
「殿は要りません。契りを交わしたので」
「そうか、なんと呼ぼうな?」
奨弥はやさしく御子姫に触れた。
布団も夜着も白さらし。
血の契りを成したことは、一目瞭然だった。
御子姫が部屋の中から戸を開け鈴が鳴らされる。数名の響家の者達が儀式の成立を確認した。
御子姫と奨弥は湯浴みの準備が整えられていた。
奨弥は促されるまま、先に離れを後にした。
奨弥を見送った御子姫は、渡り廊下の途中で最後にもう一度離れを振り返った。
そして、下がっていった奨弥の背中へ向かい言葉をかけた。
辺りにいる者にまで聞こえる程、凛とした声だった。
「明日から、よろしく頼みます。奨弥殿!」
そう言うと、御子姫もまたお世話の者たちに連れられ去っていった。