決意(2)
戦の日程が組まれた。
今回から双子も剛拳との特訓の成果を見て、二の船で出陣することとなった。二人は出陣当日は、戦装束に着替えると御子姫に挨拶に来た。初々しい初出陣の姿だった。
「お母上から、襷が届いておる。護符が縫い込まれておるようじゃ。自分でできるか?」
御子姫は手伝ってやりながら、唱え言を していた。
「姫様、心配しすぎ」
「見てて、いっぱい祓うから」
御子姫は自分の初陣の時を振り返ると、笑みがこぼれた。まるで自分の時のようだと。わくわくして、胸が高鳴った。
今はどうだろう。頭領としての責任感が先に立つ。それよりも…力を出し切っての戦ができない歯がゆさに揺れていた。
奨弥を愛おしく想ってはいる。だが、思い切り力を出し戦をしたい自分もいる。いつからか、御子姫は奨弥の力量に合わせて術を使うことへの、言い表し難い葛藤を抱えこむようになっていた。
双子達に船を間違えないように乗るよう注意すると、剛拳は目立つから大丈夫だと返ってきた。双子達の明るさは、御子姫にとっては心が弾む、そう、胸踊る出来事が起こりそうな明るさだった。
御子姫は、奨弥が待つ一の船へ乗る。
閘門が開き、広い閘室に船団が入る、第一の門は閉ざされ、第二の門が開くのを待つ。
御子姫はここで皆に檄を飛ばした。
「戦頭領として言う、おまえ達はよく鍛錬した、あとは実践あるのみ、己に自信を持て!」
第二の門が開く。船団は穢の待つ大河へと出立した。
御子姫は誰よりも高く飛べる。その高さにも劣らぬ高さに、双子がいた。横目にチラリと見ると、御子姫は思わず笑ってしまった。
ーーあれでは剛拳は大変じゃ
御子姫が珍しく笑っているので、奨弥は初陣の頃を思い出した。あの頃はまだ十分受け止めてやれていた。
戦を経るごと、驚くべき早さで御子姫の力量は上がっていった。穢が強くなればなるほど、まるで追いかけるように強さを増していく。
「二の船! 前方右手、イタチの群れじゃ!」
「一の船! 左手向こう、イタチじゃ、大きいぞ! 陣形整えよっ!」
「唱、言葉、見えたら剛拳に伝えるんじゃ!」
戦の采配をしつつ、次までに双子を物見役に育てようとか、主船に付く副船の大きさを主と同じにせねばとか。目まぐるしく考えが巡る。
そして、前方ど真ん中にイタチの群れが見えた。
「奨弥! 行くぞ! 前方真ん中」
御子姫は経紋を繰り出してくる。奨弥にはすぐにわかった。一度、御子姫の最大に近い力を受け止め、受け止めきれず輪紋が崩れそうになったことがある。それ以来、御子姫は決して無理な術をかけようとしない。
「連打する! 続けて頼む!」
ーー二人でできる戦い方をすれば良いのじゃ
奨弥は輪紋を繰り出すことは速く、幾重にも続けて重ねて出すこともできた。ただ、単発で大砲のような、強大な力を受け止めることには長けていなかった。
御子姫の最大の強みは、限りのない強大な経紋を繰り出し、一撃にして穢を一掃してしまえる術の放出だった。
術を繰り出しイタチを祓うと、見渡せば船団皆それぞれしっかりとイタチの群れに対応していた。船に巻こうとするトグロにも船尾の高い所から術が繰り出され、持ち場を決めて訓練した成果が現れていた。
二の船を見れば、双子が剛拳の指示に従い、くるくると代わる代わるに術を繰り出していた。あの二人の速さと強さを巧みに操っている、剛拳の経験と力量は御子姫から見ても大したものであった。
戦は見える範囲のイタチの一掃を見届けて、無事帰港となった。
閘門を閉め、閘室で点呼を取ると、皆一斉に誰からともなく、おおーっ!!と鬨の声が上がった。
それだけ、十二分に力を奮うことができた証でもあった。
ただ一人を除いて。
奨弥は、二の船での双子と剛拳の戦ぶりを見ていて、なんとも言えない己の不甲斐なさを感じていた。
御子姫はいつものように、奨弥の禊を行なっていて感じた。今日の戦は、今までと違い組織立って訓練し学んできた成果が、こんな形で得られた。奨弥の傷や怪我が、段違いで少なかった。
ーー今までいったいどれほど無理をさせてきたのか
御子姫はもっと早くにこうすればよかったと思い知った。たとえ人の何倍も力があるからといって、一人でできることには限りがある。戦は一人でするものではない。それを少しずつ気がつかせてくれたのは、誰でもない奨弥だった。
「今日は傷が少なくてよかった」
御子姫がぽつりと漏らした一言に、奨弥は苛立ちを覚えた。
「それは、どういう意味だ」
思いもかけない、奨弥からの強い口調で返ってきた言葉に、御子姫は何と返していいのかわからず押し黙った。
「今までは深手を負ったり、おまえの術にまで傷を負わされて大変だったからな!
そりゃあ、そうさ。今日は全体で戦えたし、双子と剛拳も見事だったよ。
だからかすり傷程度で済んだんだ、それくらいわかっている!」
奨弥はまくし立ててから、はっと御子姫を見た。宙を舞っていた白い髪は床に散らばり、紅い瞳からは涙が溢れ、一筋つーっと頰を伝った。唇は薄く開かれ、ただ呆然としていた。
奨弥は慌てて起き上がり、御子姫を抱きしめた。
「悪かった、すまない。…泣かないでくれ、俺が悪いんだ」
ーー俺が、力がないばかりに、いや、俺が…
御子姫を愛しすぎたがゆえに、執着が芽生え、さらに傍目にはどう映るのか恐れるようになった。もっと突き詰めれば、釣り合わぬ末に奪われ失う羽目になるのではないかという、形容し難いどす黒いものが心をを占めていた。
一晩中、奨弥は腕の中に御子姫を抱いて眠った。寝顔を見つめながら、いつまでもあれこれ思いあぐねていた。このままではどうすることもできない。今までどれほどの時間、思いを持て余し、考えを巡らせてきただろう。
そうして、奨弥はとうとう、ある結論に至った。
数日後、奨弥は剛拳の家へ行くと、洋巳の居所を知っているか尋ねた。
「どうかされましたか」
思いつめた表情の奨弥に、剛拳は何か良くないものを感じた。奨弥は包み隠さずすべてを話し、剛拳に相談した。
「なんということを…」
「もう、これしかないんだ」
剛拳は深いため息をつくと、奨弥の憔悴しきった顔を見て、またため息をついた。
ーー本家の者は、結局皆、同じなんかの…
「わかりました。先日いただいた文書をお預けします。大切にしてやって下さい」
たとえ仮初めの夫婦とはいえ、奨弥と一緒になれるのなら、ほんの一時でも幸せだろう。剛拳はそう考えて、奨弥に洋巳の居所を知らせた。
奨弥は街に出たついでに、御子姫の大好きな和菓子を買って響家本家を訪れた。数日、奨弥は姿を見せなかった。あのようなことの後なので御子姫は余計に心配していた。
奨弥が来たと双子が知らせに来ると、双子と一緒に部屋を飛び出し玄関まで迎えに出た。
奨弥が手土産だと、風呂敷包みを手渡すと、大喜びして双子が奥へと持っていった。
「おかえりなさい」
言うが早いか、御子姫は奨弥に飛びついた。奨弥はにっこり笑うと、ただいまと言って御子姫の頭を撫でた。
「まるで子供のようなはしゃぎっぷりだな」
だって…と、御子姫は指を折って数えると、こんなにも来てないと言いたげに奨弥に見せた。
「すまなかった、用事があったんだ。その代わり、姫の大好物をたくさん買ってきたよ」
部屋では双子が待ち構えていて、何から召し上がるかと土産を広げていた。
双子に選ばせてから全部片付けさせると、二人きりになったのを見計らって、御子姫は奨弥に抱きついた。奨弥も髪を撫でながら、御子姫の顎をくいっと上げると、長々と口づけをした。
「今夜は泊まっていかれますよね」
御子姫の可愛らしい念押しに、奨弥は笑って頷いた。
「風呂に入って、夕餉を取って、少し酒でもいただこうかな。
一緒に風呂に入るか」
今さらのように真っ赤になる御子姫に、奨弥は愛おしさが込み上げてきた。
双子がお茶と一緒に土産の菓子を運んできた。奨弥が双子の戦ぶりを聞きたいといって、四人でお茶を楽しんだ。
双子は嬉しそうに、先日の初陣を話していた。
「まるで姫の初陣を思い出すようだよ」
奨弥は、それがもう随分と昔のことのようだと語った。
御子姫は、ほほほ…と笑みをこぼしながら、たった三年前のことだと言った。
夕餉のあと酒を飲む奨弥へ、御子姫は奨弥が来ないのでどれほど切なかったか、お酌をしながら話していた。奨弥は酒を口に含ませると、御子姫を抱き寄せ口づけた。御子姫に口移しで酒を飲ませると、もう一杯と言って同じように飲み干すよう口づけた。
「愛している。気が狂いそうに、愛している」
「奨弥…」
もう少し酒を飲もうと、奨弥は先日の戦の話を始めた。御子姫を膝に抱き、時折口づけては酒を飲ませつつ、自分が強くなるのを待ってくれと話していた。
酒が尽きるまで飲むと、二人は寝屋へと移った。
その夜の奨弥は、これ以上なくやさしかった。幾度も幾度も、長い口づけをした。御子姫が欲しがるだけ、あちらこちらへ口づけをし、時には激しく抱き合っていた。
「どうか、待っていてくれ」
奨弥は、愛してる、愛してると、幾度となく唱え言のように繰り返し呟いていた。
ーーあぁ、あぁ…もう…ああ…おかしくなりそう、あ、あ、あああああ…
御子姫は酔いに任せて喘ぎに喘いで、何度も果てていた。その顔を目に焼きつけようとするように、奨弥は何度も、舌で指で御子姫を逝かせていた。
「愛してる、誰にも渡さない」
「奨弥…愛してる…愛してる…」
「はぁ、あぁ、あ、あ、あ、ああああああああ…」
幾度となく、絶頂をお互いに、果てしなく求めあい、夜は更けていった。




