96話「正しい答え」
魔王の姿形が変わって、理性がない獣へと変貌していく。その光景は靁とは対照的で悍ましく、醜いものだった。
目の前が真っ暗闇で覆われていくような深海に体が使って何もできなくなるような、そんな潜在的な恐怖が襲ってくる中でも、靁はこの場における何よりも輝いていた。
その黒から白へと変わった髪や全てを飲み込むような血の紅い瞳は黒へ、邪悪なものだと世界が強制する中、人としての最後の輝きを見せるその体に、俺は剣を地面に立ててまた立ち上がる。
[───────ッ!!!!!]
強烈な方向が全てを滅ぼす。まるで失歌姫の歌声のように、あたりに音を轟かせ世界を揺らす。けれど、俺には何よりも大切な仲間と、そしてその絆が紡いできた旅路があった。
だから、だから、決して振り返ることも逃げることも、しない。まっすぐ目の前の敵に立ち向かう。
「靁!」
「あぁ、これで終わらせる。俺とお前の全てを使ってでもッ!」
魔王獣はその赤い瞳から残光を作り出しながら俺たちの方へと向かってくる。目にも止まらない速さで体が反応できそうにない時、靁はその手を大きく掲げて光影で魔王獣の動きを封じていく、
しかしその拘束も長くは続くはずがなく、俺が立ち止まっている中で光すら置き去りにするような激闘が繰り広げられる。王の戦いをする靁と獣のように喰らいつく魔王の戦い、頂上決戦という言葉が相応しいかのような戦闘が目の前で繰り広げられ、目で追えるのも精一杯だった。
でも、俺の目的はもちろんわかっている。俺はあの魔王の胸にこの剣を突き刺す。それだけだ、だから靁を信じて今はじっと怒りを堪えてそのタイミングを見る。
「ッ!」
音が来る前に靁の体が八つ裂きにされる。でもそれと引き換えにするかのように光影に魅入られた魔王はその体を完全に捕らえられる。解き放たれるまでの時間は約数秒、でもそれだけあれば十分だった。
「───────ォォォォォッ!!」
目の前にいるこいつらより早くないけど、それでも全力で走る。この体はきっとあの鋭い牙と爪によって瞬く間に切り裂かれてしまうほどちっぽけな存在のはずだ。だって魔王の敵なのは常に靁だから、でもそんなこと関係ない。俺はこの全てを終わらせるために戦ってきた。正々堂々とか、そんなこと考えてない!俺の願いはいつだって!!
「誰かを救う───奴になることなんだ─ッ!!」
飛んで、終わりと始まりの間に入る。そしてその何にも縛られない剣を魔王の心臓に突き刺した。
この世界は、この世界は、絶対だ。どんなことが起こっても、どんな不条理や例外を多分に含んでいたとしても、それは絶対。
魔王は勇者の最後の一撃によって倒される。
[────────!!!!!]
魔王の体内にあった膨大な力が逆噴射のように放たれる。剣と一緒に吹き飛ばされた俺は体を地面に打ち付けながらその最後の光景を目にした。獣となっていた魔王はだんだんとその姿を血と泥の山に変えていく、なんとか形を保とうと必死になるがそれはもう手遅れだった。
溢れ出す力は、血のように。飛び散る力は、積年のように。
魔王の体は普通とは違うが、確実な死と崩壊に向かっていっていた。それも全ての悪が浄化じゃなくて煉獄によって燃やされ悲惨な末路を辿るように。
「ぁぁあああがあああ!ああああっ!!ぁあああっ!あああああーーーーアアアッ!ああ!ああああっっ!!!あー!ぁああぁ゛あああ!!」
声ではない何か、声帯までもがなくなりかけたその時、魔王は靁の元へと飛び込んだ。意地汚くも靁を次の自分の体にするように、それがわかったから俺は靁に向けて声を捻り出す。
「靁──────」
その声がなくなる時魔王の元の体は無くなって、靁の体も本来の形に再生した。ただ、一つ、魔王という意思がそこにあることを除いて。
<──|||──>
私は、負けた。負けた。負けた負けた負けた負けた負けた、負けた負けた負けた負けたッ!!
何十、何百と生きてきて、たった一つにも動じなかった私が、たった一つの奇跡に激怒し、そして負けた。
クリンタルの生存の時ですら、勇者を味方につけた時ですら、世界の悪を知って受け入れた時ですら、私は負けたことがなかったというのに、それなのに負けた。
許されない。私が許して、誰かが許したとしても、許されない。世界が許されない。終末兵器は──世界を終わらせるためにある、そしてそれは決して新たな終末兵器によって下されるものではない!
勇者に殺されるのはいい、魔族に殺されるのもいい、
(ユキシマライ!貴様だけには殺されてはいけない……!)
貴様のような自らを犠牲にするかのような生き方は、私だけで十分だ。身勝手な神どもと違った。誰かのためだけを思っての死など、自らをもって全てを救済するメサイアのような真似事など!!
「そんな、ものは神がすべき─────!」
そして私は、彼の意識の隙間に入り込み、魂の本質を潜り、潜り、入っていく。私はこの中に溶け落ちる運命なのかもしれないが、それは違う。私は、その本質を奪い取る。貴様は私となって、貴様はこれ以上苦しまず、その理想すら無くし、私だけが私だけが果たす責務に。
「──────っ」
その時、何かが頭の中に入ってきた。私は鋭い針のような存在だ、故にそれは無限に突き進むはずの刃、だがその何かは私の刃を溶かし、そして完全にへし折った。
相手が私を上回る。そんなことはない。そんなことは起きない。なら、なぜそんなことが起こってしまったのか。
「………クリンタル、め。」
私は消えいく意識の中で理解した。クリンタルが何を言っていたのかを。クリンタルがなぜ靁の正体に気づけたのかと、簡単なことだった。私は全ての可能性から神を除外していたのだ。だから、こんな本質的なことにも気づけなかった。
神など存在しなく、勇者とは神の力の一端ではなく、世界から生まれた、生まれるための救世主などだと、だが、奇しくもそれは大間違いだった。
おそらく、地球が丸いと言ったやつが最後の最後に正解だったように、私は差し詰め平面だと言った、陰謀論者だったのだろう。
だから、それなら、私は────
[──────ヴォグギイィィィィ!!!!!!]
衝撃波が放たれる、私が触れたその核心からどんどんと引き離される。だが悔いはない、この肉体はすでに石膏のように砕けている。このこころ心はもはや憎しみに囚われたものではなく。遠い未来の平和が約束されたことにこれほどない幸福感を感じているようだった。
(貴様になら、いいだろう。ついに終わりが来たのか。この無限とも続く時の縛りが解き放たれるまでの時が。なら────私は、)
大人しく。ここから去ろう。




