186話「それは火蓋の兆し」
電撃のように、獣人が駆ける。大陸内にその厄災を届けるために走り続ける。かのものに著名な名はない。あるのはただ新聞屋という役割だけだった。その新聞屋が初めてになった仕事は情報の伝達、それもただの伝達ではない。それは戦の戦況の伝達だった。
「敵左側からこちらを誘い込むように責めてきます!」
「第五部隊が壊滅、ここら中域に魔術攻撃が降ります!!」
時に数百年前。獣人と人間の争いがあった。その争い最中その職業、つまりところ新聞屋は誕生し成長した。かのもの達は平和の時代ではなく戦乱の時代に生まれたのだった。
だが今やその誕生秘話を知るものは誰一人として存在しない。あるのは、ただその役職が抱える仕事の内容。人々にあらゆる情報を正確に瞬時に伝えるというもの。
そして皮肉にも、彼らの仕事は原点に戻ってしまった。人間という種族がこの大陸にやってきた。そして大地を踏み鳴らして争いの準備をしている、デマでもない確実で正確な話が風の噂のように大陸中に渡る。
それはまるで逃走兵の叫び声のように必死で、すべての者達に厄災が来たことを告げたのだ。
エルフも、ドワーフも、妖精も、この事実に恐怖した。
そしてその恐怖をさらに加速させたのが、その人間達の行動だった。
ああ、奴らは和平に来たのではない。盟約を結びに来たのではない。ただ、古の因縁によりこちらを駆逐しに来たのだ。
人間達の声が聞こえてくる。
『殺せ。』
『殺せ。』
『偉大なる者のために、我らが敵を殺せ。』
『殺せ。』
『殺せ。』
『我らが勇者のために敵を殺せ。』
はるか昔、獣人達の多くを葬り悪魔とさえ揶揄された伝説的な英雄の名が彼らの狂気的な讃歌の中から聞こえた。そしてこの大陸に住まうすべての存在はすぐに察した。
ああ、これは戦であると。奴らは我々を今度こそ殲滅する気なのだと。
「ふざけるな、やられてなるものか!」
これに真っ先に声をあげたのが、現獣国王リアス・キングラッドだった。彼は穏やかな王として民達の間では親しまれていた。息子のログレス・キングラッドの口には棘があると言ってもこの国王には棘ではなく髭があると、誰かがそんな話で笑ってしまうほど穏やかな王だ。
しかしその内面に宿る決意は数十年前の魔物のスタンピードを経験した時と変わりはしない。あの時、国は大きな犠牲を払った。それをこの国王は覚えている。そして胸に誓ったのだ、我らが種を守るためには外的には鬼にも悪魔にもなろうと。
そしてその決意が今剣として掲げやられた。
奴らが戦いを望むのなら、我々はいかに劣勢であろうと負けることは許されない、かつての英雄英豪よ、集え!であえ!目の前の敵に思い知らせてやれ、ここが誰の地で誰が育まれるべき平和な世界かを!
こうして、本格的に獣人と人間との戦いが、再び勃発したのだ。大勢の武装した兵士たちが人間が現れた大陸湾沿いに集まった。そして先制攻撃をして、反撃をしての泥臭い戦いが始まった。しかし戦況は芳しくないに決まっている。
奴ら人間は平気で同族殺しをやってのける悪魔なのだ。それは長命で穏やかに暮らした種族、獣人、ドワーフ、エルフからすれば短命のバーサーカーとも形容されるだろう。
そんな戦闘狂集団のトップもまた化け物ならば、自分たちに勝てる兆しはあるのだろうか?そう思ったものは次の瞬間には
「新王剣!!」
ただ一つの剣技によってバラバラに切断されていた。切られた断面はあまりに綺麗で、空中を舞う鮮血は茶色の大地を絶望一色に濡らす。
恐ろしいことだろう。ここまでの展開はなんと、戦争が始まってただの一週間の出来事。劣勢で始まり、劣勢で終わる。そんな気配すら感じる戦いがそこには既にあったのだ。




