185話「勇者の進撃」
讃歌が聞こえる。彼を讃える讃歌が聞こえる。勇者は魔王を倒し、そしてこの大陸の隅から隅まで圧倒的な強さを誇り、今や彼を讃える声は止まることを知らない。
勇者成田天馬。彼が成した偉業により多くのものが救われた。多くのものが平和に過ごすことができた。我々に敵はいない、ただ一つの完璧な強さの前では誰も口答えしない。正しくそれは恒久的な平和の実現である。
勇者様。勇者様。私たちの味方。私たちの英雄。私たちの王よ。私たちに永遠な安寧を。私たちに幸せの時間を。
まるで神を祈るように彼女彼らは祈りを続ける。自分たちを救ってくれた勇者を、盲信的にただひたすらに。
そう、それが仮に勇者という名を受けただけのただの人であったとしても。ただの人に対してその讃歌が、その盲信的な姿勢が、その以上なること無垢なる言葉達が刃より鋭く、彼の心を抉り取ったとしても。
「……ナリタ様。」
「────カテナ、か。」
扉を開けると朧げな瞳のナリタ様がそこにはいた。彼は窓の外から城下町を見ている。でもそれは自分が救った世界に喜んでいるわけではない、どちらかと言えば全てを失って、得たものがこれか。っと言葉を今にも漏らしそうなそんな虚無的な目だった。
「悪い、今日何かあったか?」
「いえ。いつも通りです。」
以前の私であればここで貴方が世界を救ってくれたから。と無神経な言葉を言ったでしょう、でも今は違う。ナリタ様がこのような状態になって半年近く、その全身からはまるで生気を感じられない。今のこの世界が、貴方に賛歌を捧げる無垢なる人々がまるで毒のように、貴方を蝕んでいるのでしょう。
「そっか。」
「ナリタ様。昼食、どうしましょうか?」
「………俺は、いいよ。」
「ですが、」
「───いいって、カテナ。もう。」
「………はい。」
その声から届く感情は死を望む声だった。
自分だけ死に損なってしまったとも聞こえた。ユキシマ様、アマミヤ様、オトカゼ様、ウチムラ様。かつてナリタ様のご友人だった方々は全員、先の戦争にてお亡くなりになられた。
勇者の死よりも、民達は魔王の討伐による、世界平和に喜んだ。
もはや、勇者と名乗るものは目の前の彼だけになってしまっている。他の勇者がいたこと、なんて周りは忘れたように全てはナリタ様が成したことだという。私はそうは思わない、犠牲があったからこそ、あれだけの犠牲を払ったからこそ、私たちは勝てたのだと。
ですが、皆、目の前の幸せに没頭してそれの過程を何も聞かない。
今は、ただ生きてこの世にいるナリタ様の讃歌だけしか聞こえてこない。
それが本当に目の前の勇者ナリタテンマ様にとって、生きたくない理由になってしまった。
「ねぇ、俺って。いつアイツらのところに行けるのかな?」
「そ、れは。」
それは、いつ自分が死ねるのか?そう言った問いに聞こえた。ここで私はどう言えばいいのかわからず唇を噛んで黙るしかなかった、彼にそこまで思わせるほど彼は仲間と一緒に、ご友人と一緒にいたいと感じているのだ。
でも、私は──彼の妻として、一人の人として彼に死んでほしくはなかった。
「ごめん、また変なこと言った。今の聞かなかったことにして、───カテナ。」
「はい。」
「なにか、食べ物ない?」
「はい、、あります。ご用意させていただきます。」
私は彼に頭を下げる。まだ生きていてくれて、まだ生きようとしてくれてありがとう。そしてごめんなさい。こうなったのは私の責任もあるのです。父は生前、ナリタ様に元の世界へと帰れると口約束を交わしていた。そう、口約束だ。実際は変えることなどできない。
彼はこの世界に召喚されて、一生ここにいなければならないのだ。それを知った彼は何も言わずに何も変わらなかったが、明らかに全てを失った今の目になった。
だから、本当にごめんなさい。
「別に、頭下げなくてもいいよ。俺さ、カテナの、、その夫だし、国王だし。男尊女卑なんて古臭いし。」
「はい。」
私とナリタ様との婚姻は早くに決まった。世界を救った勇者と新たな時代を築く女王として国を挙げてパレードが開かれ、三日三晩祝い祭りだった。基本的には政略的な面が大きいと見られがちなこの結婚は、私からすれば嬉しいものだった。
私は多分いつのまにか、ナリタ様に恋をしていた。彼の仲間として、戦って彼の弱くてもそれでも立ち上がる姿に、昔読んだ王子様を重ねたのかもしれない。
だから、私はこの結婚に心からの愛がある。でも、ナリタ様はおそらくそう思ってない。思うことができない。戦いが終わった彼は人々のために魔王を倒した後も色々なことをこなしていた。その全てがにこやかで民を安心させる表情を保っていたものの、その実際、彼の心はボロボロになっていた。
人々が彼に願い、彼はそれを叶えるだけの願望機のような体制がいつのまにか完成していた。
彼は拒まなかった、誰かが幸せならばそれでいいと、言い続けていっときも弱みを見せずに、今の状態まで戦ってきた。
私は妻として、それを癒すことすらできない。
私たちは結婚して、初めての夜さえも越えていない。彼の心を少しでも癒すことができればと私は思っていた、でも彼はその時であっても虚な目をしたまま静かに疲れたように眠りについていた。きっと彼の目に映る私は、薄い服を着たただの人としか見えてなかったのでしょう。
そう見えないことに、心が少し傷ついたこともあった。でもそれ以前にナリタ様が壊れてしまったことに、私は涙した。
私は女王として、国をまとめ上げて日々業務に追われている。ナリタ様は休養という理由で部屋に閉じ籠り動かなくなってしまった。今や私の言葉すら届かない。
そんなナリタ様のことはだんだんと広まり続けていった。
「勇者様は、どうしたのだろうか?」
「勇者様、心を痛めているのかもしれない。」
「だが、このままでは民に示しがつかない。」
最初はそのような動揺だった。でも次第に。
「勇者と言っても所詮は小僧。」
「勇者という名は魔王を打ち倒すための言葉だ。それがなくなればあのような小童に。」
「王という立場でありながら、姿を見せることができないとは、愚かな。」
となって行った。そして
「あの勇者はダメだな。」
「聞いた話では毎日外を眺めては埃臭い部屋で1日を過ごす廃人ではないか?」
「この話は広まっている。」
「ならば、もう飾りに用はない。」
「そうだ。そうだ。」
「勇者ナリタはもう必要ない。敵がない我々に武力は必要ない。」
それはナリタ様の力を恐れたもの達が始めた陰口だった。ですが、肥大化し脚色されたナリタ様の話はどんどん広まっていった。私がいくらデタラメだと言っても止まることなくそれどころか、讃歌の裏には彼への排斥を願う声まで聞こえてきた。
彼らのいう通り、今のナリタ様に戦う力はない。強大な敵がいればもしかしたら動くかもしれない。でもそんなものはいない。いたとしても、罪なきものだ。
私がそれこそ、唆すなんてことをすればすぐに彼は動くだろう。
でもそんな無益なことをしたくはない。でも、このままじゃナリタ様はいつか望むように命を差し出すのかもしれない。
私は危機感を覚えた。彼を愛している私は、彼を守りたいと考えた。女王という立場を捨てればあの腐敗した貴族達は私を殺しにくる。その次はナリタ様だ。
ナリタ様はもう誰にも死んでほしくない、おそらく私にも。だったらこの手段は使えない。
どうすれば彼を、たった一人の勇者で私の愛する人を守ることができるのか。眠れない日が続く、時にはナリタ様が死んでしまう夢まで見た。その中で私はひたすらに考えていた。
そんな時だった。
「女王様、実は小耳に挟むことが。」
それはかつて私たち人間族と獣人族が争いを起こしていたという資料だった。相当昔のものであったため確証性はほとんどない。それでも、大陸を破るほどの争いがあったことは事実であり、獣人達からしてみれば私たちは、まごうことなき天敵になるだろう。
「これがどうしたというの?」
「こちらに描かれた獣人は元は我々の敵であります。もし、このまま放置して仕舞えばいつか奴らは大船を作り、大海を渡りこちらにくるかもしれません。」
「そんな…。。」
そんなバカな話を信じるわけない。あったとしても、なぜそんな昔のことを掘り返して戦いを始めるのか。もし本当にこちらを攻撃するつもりなら数百年経った今までの間に一度でもそういうことが起こるはずだ。
だから、彼らが仮に来たとしても戦いが起こるはずがない。
「………もし、本当に我々の敵が残っているのなら、それは大陸の外でしょう。無論、王女様の考え通りであると私も思いますが。分かりましょう、責められる前では遅いことが時にはあるのです。」
「…………っ。」
その言葉を聞いて私は母のことを思い出した。私の母は魔族の奇襲にあって惨殺された。それは宣戦布告もなしに唐突の出来事だった。おそらく敵は私たち、王族を殺せば国を落とすことなど容易いと考えたのでしょう。
だから、私はやられた記憶に怯えた。
「勇者様ならば、なんとかできるかもしれません。活躍をすれば、女王様の望む通り、ナリタ様は栄光を取り戻しましょう。」
「そ、れは。」
それは悪魔のような囁きだった。このものからすれば私に取り入る理由はいくらでもある。だから、あくまで苦言を呈しただけだった。でも私はその言葉に取り憑かれたように、頭から離れないようになってしまった。
大陸の外にいる獣人。彼らはもしかしたら敵ではないのか?っという思考がだんだんと染まっていく。もしそうなら、私は大事な民達は殺されてしまう。もしかしたら、戦う暇なくナリタ様も殺されてしまう。
「ぅ、ぁううぅっ…………ごめんな、さ、いッ。」
もう手段はなかった。ナリタ様をなんとしても守りたい。その一心で私は彼に心にもないことを告げてしまった。
「ナリタ様、大陸の外側には獣人という人間の敵がいると聞きました。」
「………敵?」
「はい。私たちを脅かすかもしれません。」
「倒した方がいいか?」
「はい。」
「そっか。カテナが言うんだったらそうなんだろうな、」
ナリタ様はそう言って私を信じた。彼は今や敵に対して戦うことしかできない存在になってしまった。誰かを守ると言う強迫観念に取り憑かれた、からくりだ。
そして私は、そんな純粋な彼を騙した。愚かな女王だ。もう後戻りはできなくなった。




