169話「ダンス・フィールド」
あっという間に二週間が経過した。毎日必死の思い出練習した甲斐あってか俺の足捌きはかなりのものとなっていた。素人でも頑張れば二週間でプロ級にまで成長することができるのかっと、我ながら感嘆するばかりだ。今では音楽が流れてくるだけで勝手に足が運ぶシステムになっている。
「ゼルよ、準備は万端か?」
エルザードが更衣室を少し開けて鏡と向き合う俺を呼びかける。さっきまで鏡に映っていた俺は実に変な格好だ、いつもはたいして気にしていない髪はこれまで以上に滑らかに整えられている。童顔な顔立ちと白い長髪はどこか女性らしさを抱かせるはずなのにこうして男っぽい衣装に身を包んで仕舞えばたちまち俺は立派な紳士だ。
(まぁ本音というか言葉まではギリギリなんだけど。)
ちょっと気を抜けばボロが出そうなレベルだ。口調は意識はするが完全に取り繕う暇はない、だがたった一夜ならこれでも十分すぎる。
「あぁ、準備万端だ。行こう、」
俺はエルザードと共に部屋を出て外で待っている馬車に向かっていく。道中エルザードの服装に目をかけてみると、それはそれはお嬢様のような可愛さがあった。もっともその口調は間違いなくおばあちゃん、精神もおばあちゃんならば、初見殺しもいいところだ。ただ黙って憂い顔をしているならばそれはどこかのお姫様だ。
(顔がいいって。本当に便利だな。)
そう思いつつ、俺たちは友に外へと出た。馬車の前には夫人とガイアスがいる。まるで見送りをしてくれるかのようだった。
「二人とも似合ってるわ。」
「もちろんじゃ!我と汝が決めたのじゃからな!」
エルザードは自信満々に語る。その明るさに夫人も小さく微笑む。
「すでに手紙は出してある。堂々としていけ。」
ガイアスからはアドバイスが聞こえた。その裏には堂々としていないとみくびられて簡単に看破されるぞと経験則を物語ったかのような意味までもが含まれていた。
俺はその言葉に頷き、時間通り馬車に乗ってパーティー会場である王城へと向かった。気分はまるでカボチャの馬車に乗ったお姫様だ、もっともこの馬車はよく揺れるんだが。
「お尻が。。」
エルザードがガコっと大きな石に躓いた振動で、お尻をさすった。実にだらしないが本人らしい。向こう側に着いたらできるだけやらないで欲しいものだ。俺たちは公爵の代理できているんだから、下手な真似できない。
乗り心地がイマイチな馬車に乗って俺たちはお城の大門を潜っていく。ひとえに王城といってもかなりのスペースがある。馬車は中へと入っていくかと思いきやそのまま道に沿って迂回し、ある大きな建物へと到着した。前と後ろには馬車が何台も続いていた。あの馬車一つ一つに貴族かそれに匹敵する重要人物が乗っていると考えると不思議なものだ。
(自分たちもその一部だってことに。)
馬車がゆっくりと動いて止まってが繰り返され、俺たちの番になる。運転手が馬車の扉を開け、落ち着いた雰囲気を意識しながら降りた。
短く広い階段には多くの貴族が談笑をしながら登っていた。しかしいずれも獲物を見るような目をしている、もしくは目利きをしている目だ。もちろん、その視線は俺たちに多く降り注いでいた。
馬車に描かれている紋章からフランドベレスだと予想していた貴族達は俺たちの登場に深い訝しみを抱いているだろう。本来なら獅子のような男と優しい顔をしていながら誰よりもお淑やかな夫妻が登場するはずだったのだから。
彼らは誰だ?何者だ?どうしてフランドベレス家の馬車から?そんな声が聞こえる聞こえる。だがガイアスが言っていた通り堂々としていることが何よりも大切なことだ。ことみくびられないことにおいては。堂々としていれば公爵の事情をなんとなく察した貴族は黙っていることだろう。
「……」
エルザードもわかっているのか完全に黙ったまま、美しい令嬢の仮面をかぶっている。正直ここまで演じるのが上手いのかと、同行者である俺も驚愕するレベルだ。夫人に顔の作り方でも習ったのだろうか。
貴族達はパーティー会場へと入っていく。俺が習ったのはダンスだけではない貴族としてのルールも教えてもらった。それによればまず最初に行うべき行動はそこら辺にいる貴族と楽しく談笑──ではなく、国王陛下のお二人とこのパーティーの中心人物こと主催者のミィレーナ・フォン・フランドベレスとログレス・キングラッドに挨拶することだ。
まるでアイドルの握手会のような長蛇の列が会場を横断していた、俺たちはその最後尾につく。普通の握手会なら先頭はさぞや喜びの声で溢れているだろう。こうして待っている時間も華やかだったのかもしれない、だが実際は地獄へのカウントダウンを想起させるようなプレッシャーが常に乗っていた。先ほどある程度の余裕と自信を持っていた俺のこの時は流石に静かに汗をかいていたのかもしれない。
「ごきげんよう。国王陛下、王太子殿下。」
片膝をついて自分が公爵だ!っという気持ちから捻り出した社交辞令を口にする。
「貴君は?」
「申し遅れました、本日はフランドベレス公爵様の代理にて参りました。お初にお目にかかります。」
「代理。」
「とても小さく些細なものです。ですが誠に残念なことにこの度は私が代理で参った次第です。」
「そうか、ではフランドベレス公爵に私の変わらぬ敬意を伝えよ。」
「謹んでお言葉をお届けいたします。」
自分変なこと言ってないよな?と心の中で思いながら俺はついていた片膝をあげ、王太子とその婚約者の目前に立つ。
「王太子殿下、本日は素晴らしき催しに参加できたこと誠に恐悦至極でございます。ミィレーナ・フォン・フランドベレス様とのご婚約おめでとうございます。」
「先ほどの話は聞いた。フランドベレス公爵殿が見られなかったことはとても残念だ。しかし貴殿はその代理、此度の催しは心ゆくまでに楽しんでもらいたい。」
「は。寛大なお心遣いに感謝を。」
胸に手を当て紳士的に頭を下げる。どうやら王太子は俺たち二人を覚えていない。もしくはあの時からかわっった見た目から気づいていないようだった。
「………、」
(ま、流石に気付くか。)
だがミィレーナ・フォン・フランドベレスは気づいている様子だった。それもそうだろうな、だが築いたことよりもこんな場所に俺たちがきていることに驚いたようだった、それどころか浮かない顔をしている。また罪悪感を感じているのだろうか。
「それでは。」
俺は頭を上げて、きびすを返す。
「待った。」
その時王太子に呼び止められる。公の場であるのなら尚更、実に彼らしくない言葉であった。
「どこかで会ったか?」
「──いえ、おそらく他人の空似でしょう。ログレス様はいろんな方と出会っていますから。」
「……それもそうか。すまない。」
「いえ。」
どう返そうかと考えた時、合間に入って流したのは意外にも物静かだったミィレーナだった。王太子は盲目にも彼女の言葉を間に受けそれ以上何も言ってこなかった。
間も無くしてパーティーが始まった。王太子が声を大きくして自分たちの幸福を言葉にして会場に広める。その顔は幸せと自信で満ち溢れている、なんというかそこそこムカつく顔だ。
加えてこの時ばかりは料理をとりにいかずグラスを片手に黙って話を聞いていなければいけないのだから、退屈も極まりない。
聞きたくない話を永遠に聞くなどまさしくバカのすることである。そしてそんなバカをしなければいけないのが貴族というやつなんだろう。
「───本日は存分に楽しんでくれ!」
最後のその言葉を皮切りにようやくパーティーがスタートした。様々な料理を乗せたテーブルの料理をとっていく。どれも見たことがない豪華なものだ。だが迂闊に取りに行ってはいけない、楽しんでくれとあの王太子は言ったがここにいる貴族は楽しむどころか他の貴族たちとのコネ作りに熱心だ。
だが代理である俺に声がかかることはない。黙って壁沿いに身を寄せて静かに飲み物でも飲むのがちょうどいい。
「……。。」
「──────」
ふとエルザードの方を見てみるとさらに丁寧に料理を乗せながらゆっくりと移動していた。そして疲れたのか椅子に座って、
(げっ!)
行儀良く丁寧にそして嗜むようにケーキを口に運んでいた。俺はその姿に気持ち悪いと感想を抱いた。だってあのエルザードが頭からつま先まで淑女のように食事をしているのだ、その点で驚愕だった。
女性と男性では礼儀作法が違うところもあって俺たちは別々の部屋で作法の練習をしていた。そのことあってエルザードの所作を見るのはこれが初めてとなるのだが、まぁいつもの食い意地張った食べ方とは大違いなもので思わず心にもない感想を漏らしてしまったのだ。
(……まぁ懸念点がなくなったのはいいことなんだけどさ。)
「ごきげんよう。」
そう思って再びグラスに口をつけた時だった。ある夫妻から話しかけられた、もしかしなくてもフランドベレス家に何か用かなと思い、顔を上げた時だった。
「!」
「お久しぶりですね。」
そう声をかけたきたのはプレンサ・フォン・ギリドリスだった、すぐ後ろにはクロージャー・フォン・ギリドリスがいた。スーツとドレスに身を包みいかにもプレンサの方は似合わそうな格好をしていた。
どうして二人がここに。と言おうとした時
「……少し場所を変えよう。」
誰にも聞こえないくらい小さな声でそう言って手招きをするプレンサ。先ほど見せた貴婦人の仮面は一瞬にして外されたのだった。エルザードに軽く一瞥をした後、人が少ない炭の方へと俺たちは移動した。
「ここならいいだろう。」
「お二人はどうしてここに?」
辺境伯もいる手前敬語とごっちゃになった言葉が俺たちの会話の始まりだった。
「私たちもパーティーに招待されたんだ。」
「その気になれば断ることもできたんだが。プレンサから聞いてね、君たちなら絶対ここに来ると。」
「そうですか。でもきてもらっても手伝ってもらうことは。」
「なに、それはこっちが勝手にやるさ。機会は偶然にして起こすものではなく意図して起こすものだからな。」
「機会?」
話はあまり見えてこなかった。
「ともかく君は私たちがいるということだけ考えてくれればいい。少しは心強いだろう?」
「それは確かに。」
二人がいる。それは俺の心に少し余裕を作る行為だった。
「それじゃあ、幸運を祈る。」
夫妻はそのまま人混みの中へと進んで行った。取り残された俺はある機械を待っていた。その機会とはパーティーがしばらくして行われるダンスの時間だった。
食事を楽しむ貴族達の合間を縫うように心地いピアノのメロディが流れる。ゆっくりとした曲調が違和感なく場に馴染んでいく。そして食事に飽きた貴族達によるダンスの時間が幕を変えたのだった。せっかくいい曲が流れているなら踊ろう。そのような考えであったのだ。
「王太子殿下、宜しければ踊っていただけませんか?」
もちろんコネを作りにきた貴族はメインである王太子へとダンスの誘いをする。女性人気が高そうな顔をしているのだ。たとえ婚約者がいたとしても関係ない。貴族にとってダンスとはあくまで隙間もの同士がやることではなくあくまで交流の場であるのだ。もちろん俺は逆の認識のままなのでこういってはなんだが目の前で浮気パーティーを見せられている気分だ。
「申し訳ないが私には。」
「ログレス様、私にお構いなく。その器を見せることも王族の役目であるとわかっておりますゆえ。」
「……わかった。」
ミィレーナの一言によってログレスは仕方なくファーストダンスを貴族の娘とすることなった。
「さて。」
この機会を逃すわけにはいかなかった。なんのためにダンスを頑張ったのかその理由は単に誤魔化すために必要だったとかではない。この機会を待っていたのだ。ダンスパーティがあることは知っている。その中でメインでありずっと座りっぱなしの彼女と会話をするタイミングはこの時しかなかった。
ダンスの相手に俺が出ること、それ以外に彼女に近づく術はなかった。
だがもちろんミィレーナも見る目麗しい令嬢だ。他の貴族の男性が誘いに来ることもある。そこが唯一の難点であったが。
「失礼──私と」
早速一人の貴族がミィレーナを誘おうとした時だった。彼女と貴族の合間に一人の女性が割り込んでその男の手を取ったのだった。
「喜んで。」
「ぇ、あ…の!」
それはプレンサだった。彼女は男の手を取ってダンスを始めた。だが大丈夫だろうか、プレンサがダンスが得意というのを一度も聞いたことがない。もし得意だとしても彼女の場合、戦舞がそれにあたるだろう。
(いやチャンスだ。)
そうだ、そんな一般貴族の心配などどうでもいい。俺はミィレーナの元へと近づいて先ほどの貴族と違い心から真剣な声でこう言った。
「ミィレーナ・フォン・フランドベレス嬢。私と踊っていただけないでしょうか?」
「────喜んで。」
彼女は一瞬驚いたような顔をした後少し戸惑いながらそれを了承して俺の差し出された手に軽く触れた。彼女が踊り出すと知った演奏者は自然な流れで花のような演奏を開始した。それは目の前にいるかの彼女を最大限に咲かせるための曲だった。
軽く会釈して俺は彼女の手を取り、ゆっくりとダンスを始めた。それに合わせるかのようにピアノの曲はスロースタートから始まった。ミィレーナは俺が踊れることに意外だったのか、動きを少しずつ早め自分のペースに持っていく。俺はそれに必死こいてついていく。たった二週間の男にとって生まれながらにして鍛えられた彼女にはついていくのが精一杯なのである。
しばらくして彼女の口が開いた。
「どうして来たの。」
誰にも聞こえないほど小さな声、それも俺は彼女の声を聞き取った。目の前にいる女性はミィレーナではなくミィーナだったからだ。
「……君の本音を聞くために。」
そう言ったら彼女脳起きが少しゆっくりになった。
「本音?」
「君は前にこう言った。もう関わらないでって。でも俺はそれが本心だとは思えなかった、」
「だからそのために?」
「うん。」
「…………。」
彼女は呆れつつもどこか複雑な表情を浮かべた。曲は聴くものだったが中盤に差し掛かって来たことがなんとなくわかった。
「私の本音は変わらない。」
決めたような顔で彼女は言った。俺はそれをしっかりと聞き入れた。本来ならこれまでで終わりだ、俺は彼女の本音を聞いた。だからこれ以上やることはない、ただ太友いついて最後の最後に質問をしようと思った。その最後は曲が終盤に差し掛かった時、このタイミングがおそらく俺たちにとって最後の会話と言えるものになるだろう。そう予感した時だった。
「なら、最後に質問──旅は楽しかった?」
「!………楽しかった。」
ミィーナは口元を穏やかにしてそう語った。そして俺はそれが本音だと思った。




