3.ギャル美と勇者の必殺剣
ボリューミーな金髪のふわりとしたツインテールが、熱風に揺れる。
赤いマントを肩に掛けた少女は、立ちすくんだままだ。
「君! 逃げなさい! ここは危険ですから!」
出口は目の前だというのに、何をしているんだろうか。まさか、家族や友人が取り残されてしまって、火の海に助けに戻ることもできず待っているのだろうか。
私の声に金髪の少女が振り向いた。
明るい茶色系の瞳。
軽く日焼けした薄小麦色の肌。
同年代の中でもかなり大きい……およそ片手には収まりきらないボリューミーな胸。
を、包み込む、見慣れた明誠桜花学園の紺のブレザー。Yシャツの首元に赤いリボンタイ。少し空いた胸元の下から、ベージュのサマーニットをのぞかせている。
ゴールデンレトリバーをJKに擬人化したら、こうなりますよ的な人なつっこさがある。
手には立派な長剣を持っていた。気づくなり――
私にギャルピースする。間違いない。うちのクラスの木柳留美……ギャル美だ。
この呼び名はクラスでも定着していて、私もうっかりそう、呼んでしまうことが幾度となくあった。
最近はきちんと「木柳さん」を意識しているが、当人は「ギャル美でいいし。こっちもマエセンだし」と、至ってマイペースだ。
男女ともに人気のある生徒で、誰とでも打ち解けられる、所謂陽キャのギャルである。
彼女は生粋のムードメーカーだ。おかげでクラスにいじめの気配は微塵もなく、新卒二年目で初の担任を受け持った私は、それはもう、ものすごく助けられていた。
男女平等どころか教師にも平等で、友達感覚で接してくるところがあるのは、目をつむろう。
「うぇーいマエセンじゃ~ん」
「あの……ええと、ギャ……木柳留美さん……ですよね? なんでこんなところに!?」
「それな。今日さりげにあつしじゃね?」
さりげにあつし。たしか……さりげ≒なにげみたいなニュアンスだったと思う。あつしは暑すぎて死ぬ。つまり――
「暑すぎて……というより熱すぎて死にそうというか、このままでは死んでしまいますよ。さあ、逃げましょう」
「あーそれ無理」
「どうしてです?」
「アレと今、ちょっとギスってて」
ギャル美は黒竜を指さした。ギスるはギスギスする……だな。
「ちょっと不仲になったとはいいますが、実際には町一つ燃やされているように見受けられますね」
「それな。なんかぁ新しい勇者があーしでオニムカなんだって。勝手に期待して勝手にがっかりして、ヒガモがヤバい」
オニムカは鬼のようにムカつく。ヒガモは被害妄想……っと。彼女の取扱説明書は、春先に習熟済みだ。
「勇者って……木柳さんがですか?」
黒竜は勇者と戦おうとしている。その勇者が目の前の彼女だ。どうやら、竜としてはギャル美では力不足という認識なのだろうか。
と、ぐだぐだしていたら――
「見つけたぞ小娘があああああああああああああ!」
黒竜にロックオンされてしまった。
その巨大な口がガバッと開く。
まずい……というか、詰みだ。ちょっとした遮蔽物など、もろとも竜の黒炎は焼き尽くすだろう。
「危ない! 木柳さんッ!!」
私の身体は勝手に動いた。彼女を抱きしめ黒竜に背を向け庇う。
担任として、大人として、守ってすらあげられなかった。
頭上で黒竜が吠える。
「消し炭になれぇッ! 暗黒灼熱波あああああああああああッ!!」
「それな」
私にぎゅっと抱きつかれたまま、ギャル美は黒竜に返した。
黒い炎が荷電粒子砲よろしく降り注ぐ。
死ぬのは一瞬か。
諦めかけた、その時――
黒き破壊の熱線を、光の壁が遮断した。
黒竜が宙で後ずさる。
「ぐ、ぐぬぬぬうううううう! またか! いったい貴様のその力はなんなのだ!? 死ね! 死ね! 死ね! 死ねええええええええええい!!」
「それな」
今度は火炎弾だ。ボーリングの玉ほどの黒い炎が数十と雨のように降り注いだ。
またしても光の壁に阻まれる。
ギャル美が少し、恥ずかしそうに眉尻を下げた。
「センセーこれ、セクハラだよ? 向こうだったら、即教育委員会案件」
「す、すみません私としたことが」
パッと彼女を解放する。
「貸し一つね」
笑顔が弾けた。一瞬、あっけにとられて声が出なくなった。
「あの……先ほどから木柳さんが防いでいるんですか? この炎の雨を」
「あーね、勇者だし。マエセンこういうの好きっしょ? もしかして裏山歯科医院?」
「うらやましいとは思いませんが、とにかく防戦一方では……私に何か、お手伝いできることはありませんか?」
炎の雨が途切れると、ギャル美は剣を天に向け、切っ先を黒竜に定めた。
「やっとだけどセンセー来てくれたし、ぶっちゃけ余裕」
やっと……とは? とにかく――
「私が来たことで、いったい何が変わるのでしょうか?」
「バイブス上がる」
やる気が出るとかテンションが上がるという意味だったような。
しかし、気持ちでどうにかなるのだろうか。
彼女は剣道部どころか、帰宅部のエースである。
西洋剣術なんて身につけているはずがない。
ましてや、相手は空に浮かび剣など遠く届かないにもかかわらず――
不思議と負ける気がしない。焦っているのは滅神魔竜エクリプスの方のように感じた。
ギャル美が両手で長剣の柄を握る。その刃に光が宿る。
黒竜が再び咆哮した。
「滅びよ小娘えええええええええええええ!!」
「閃光三日月斬(キラキラ☆クレセントアークスラッシュ)!!」
少女の放った剣は孤月を描き、その軌道のままに光が三日月型の刃となって回転しながら黒竜の口へと飛ぶ。
同時に放たれた黒炎のブレスを孤月は斬り裂いた。そのまま竜の顎に届くと……光の三日月は呑み込まれてしまった。
斬り裂かれた竜の熱波が四散して、城壁や地面をさらに黒く焼く。
月を呑んだ竜はそのままだ。
「効かなかったみたいですよ、木柳さん」
「あーね、一瞬待ってセンセー」
すぐに異変は起こった。
竜が喉を前足で押さえると、もがき苦しみだす。
「ぐ、ぐぬぬ、うお、おごおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
怒声を響かせて、黒竜の身体の内側からまばゆい光の筋が放射状に広がった。
「小娘ぇ! 何をした! 貴様あああああああああああああああ!」
「知りたい? あ? 知りたいんだぁ?」
「早く話せえええええええ!」
「ほら、えっと、陽の力? 苦手っしょ」
「ま、まさか……内側から……狙っていたというのか貴様ッ!」
「とりま一旦爆発してもろて」
次の瞬間――
ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!
私たちの頭上で黒竜が内側から溢れる光に食い破られるように、爆発四散した。
重低音を響かせて、身体が振動するくらいの衝撃が走る。
粉々になった竜は欠片もすべて光に溶けて消える。粉雪のように儚く散っていった。
町を包む炎が光に触れて鎮火し始める。
私はその場でへなへなと腰を落とした。驚きしかない。
腰を抜かすという言葉は知っていても、実際に体験したのは今回が生まれて初めてだ。
一方――
両翼を広げれば視界いっぱい空を覆い尽くすほどの巨大な黒竜――滅神魔竜エクリプスを一刀のもとに下した少女は困り顔で私に手を差し伸べる。
「マエセン草。ほら立って立って」
「あ、ああ、すみません。お手数をおかけします。ありがとうございます」
「めっちゃ敬語だし。社会人おつ~」
なんとか手を借りて立ち上がる。普段なら女子生徒の手を借りるなんてとんでもないことだが、本当に自力では立てそうになかった。
男として、大人として情けないばかりだ。
足腰がガクガクする。生まれたての子鹿になった気分だな。
と、立てたつもりでいたのに、踏ん張りが利かず膝から崩れた。
そのままギャル美の胸に顔面を埋める。
桃みたいな良い香りと、柔らかな感触。服の上からでもわかる弾力とモチモチ感。
浸っている場合ではない。
「ちょ! マエセン……大丈夫そ?」
「いや、これはその」
「怪我したの? さっき、あーしのこと庇って……」
ギャル美の目に涙がぶわっと浮かぶ。
頭の後ろに腕を回されて、ぎゅーっと抱きしめられた。
いかん。いかんいかんいかん。教師と生徒だというのに……力が入らない。
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少し座って休ませてもらった。抱擁で心は落ち着かないままだ。
とはいえ、立ち上がるくらいはできそうだな。
「今度こそ大丈夫です」
ギャル美が笑顔になる。
「じゃ、帰ろっかセンセー」
「そうですね。こんなところに長居は無用でしょう」
何が起こったのかわからないままだが、世界の終わりを告げるような巨大な黒竜をギャル美が倒したのだから、あとは戻るだけで良いに違いない。
帰ったら……きっとカップ麺はスープを吸ってぶよぶよの伸び伸びになっているのだろうな。
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あの、帰るって……王城なんですけど。どうなっているんですか木柳さん?