第二話 1秒以内に現れろ
見たところ随分若い執事である。姿勢正しく清潔感のある青年だ。かつ、細身、切れ長の目が更に彼の高貴さを感じさせる。
ところが令嬢の方は、依然として不機嫌そうに黙りこんでいる。彼女の要望通り、目の前に執事が現れたのだが、彼の方を見ようともしない。
執事は、自分では理解のできない令嬢の不可解な行動に、顎に手を当てて考える。
そして、1つの解を出した。
――これは、私の声が、お嬢様に聞こえなかったのかも知れない。
故に執事は、再び令嬢に声をかけた。
「……コホン。お待たせいたしました。お呼びですか、百々花お嬢様」
すると令嬢は、やっとのことで重々しく口を開く。
「あなたが新しい執事?」
「はい。坂本と申します。以後、お見知りおきを」
執事の名前は坂本。
坂本は自己紹介をした後、百々花に向かって深々をお辞儀をした。
しかしながら、百々花は坂本の挨拶に応じず、彼の切れ長の目を彼女の大きな目でギロリと睨む。これはホラー並みの恐怖である。
「名前なんてどうでもいいですわ(きっとスグ辞めるんだし)。それにしても遅い、遅すぎますわ! 私が呼んだら1秒以内には現れなさい(これでいつも執事たちがビビるのよね。1秒で来れる訳が無いってホント情けないわね)……!」
ちょいちょい百々花の本音が、言葉の端々に現れる。つまり、前述カッコ内が、百々花の脳内で考えられている本心であった。
百々花から坂本へ就任して最初の指示。
――呼んだら1秒以内に現れろ
無茶苦茶である。無理である。
しれっと、いとも簡単に百々花は言うが、呼んでから1秒以内に現れる。こんな芸当は、いくら忠実な愛犬でも、不可能であることは言うまでもない。あの有名な忠犬ハチ公でも無理である。
きついわー。
どぎついわー。
性格どぎついわー。
例えれば、百々花みたいな傲慢で残念な女が合コンに来ていたなら、1次会を早々に切り上げ……おっと失礼。
これでは、執事の離職率99.9%の根拠を出だしから凡例付きで示したようなものである。
当然、坂本も、百々花からの指示に一言物申したいのか、重々しく口を開いた。
「大変失礼いたしました。それでは百々花お嬢様の言い付け通り、次回よりお嬢様にお呼び頂いてから1秒以内に参ります」
「……え?」
そう、重々しく否定……って、坂本さん?
なんと坂本は、重々しく百々花の想定を軽々しく覆したのだった。まさかの了承である。
坂本は百々花に呼ばれてから、1秒以内に現れることを快く了承したのである。
他方、百々花は、自分から無理難題を言っておきながら、坂本から想定外の言葉を聞いて目を丸くした。
「こ、今回、あなたは私の呼び出しから到着まで3分以上も要していますのよ?」
「それは申し訳ございませんでした」
「本当よ。それなのに、あなたが次回から1秒で来れると思って? この私に向かって、嘘をつきますの? 冗談も体外にしなさい」
「嘘でも冗談でもございません。たまたま今回は、所用で遅れてしまいました。今回の様なレアケースの所用は、今後無いと思われます。ですので、今後は大丈夫かと思います」
百々花からの難題をハキハキと簡潔に回答する坂本。
しかし百々花は、坂本からの回答にニヤリと微笑んだ。どうやら、坂本へのツッコミポイントを見つけたらしい。全く性格が悪いこと、この上ない。
「はあ? 所用ですって? 何を言っているの!? 私の呼びかけより優先される所用って何ですの!?」
百々花は、疑問符、感嘆符のオンパレードで一気に坂本を捲し立てる。その姿は、執事を叱りつけることで、自身のストレスを発散しているようにも見えた。
だがしかし坂本は、百々花の怒りを軽くいなす。
「いえ、お嬢様に申し上げる程のことではございません」
「言うか言わないかを決めるのは、あなたではないですわ。この私よ!? 私に呼ばれて、遅れる程の緊急な所用があったのか、って聞いてるの!」
再び百々花は、逃げる坂本の先回りをして追い詰めた。一方の坂本は、百々花に謝りながらも断固として遅れた理由を言うことはなかった。
「おっしゃるとおり、お嬢様からの言いつけ以上の所用はございません。大変失礼いたしました」
「わかれば良いのよ。……まあ、いいわ。これから気をつけなさい。最初から厳しすぎるのもどうかと思うし、ここは引き下がってあげますわ。私も甘くなったものね」
「はっ。承知いたしました。お許しいただきありがとうございます」
百々花は追及を諦めた。坂本の粘り勝ちと言うところだろうか。
そして坂本は、1つの問題を難なく解決し、百々花から当初呼ばれた、そもそもの指示は何なのか問いかけるのであった。
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