亜細亜出版入社への道程
社会人というものがこんなにも大変なものなのかと留土羅は思い知る事になった。正直舐めていた。大人と言うものを。それは同時に仕事に慣れて来たと言うサインでもあった。
男性がやや少ないこの職場において、浮いた話も起きるかと期待したが、現実はそんなに甘ったるいものではなかった。面接の時にどんな仕事が与えられでもこなせるか?と問われ快くはい。と答えたが最期。出版社で一番しんどい編集部に配属されてしまったのである。
それでもこの不景気の時代に内定をいち早く出してくれた会社に対する恩義の様なものは確実にあった。留土羅はドイツに行くか日本で就職をするか迷っていた時期があった。ドイツでの就職は日本より楽だったからである。親父の勤める会社に世話になろうと考えていたからであり、親父は好きにしろと言ってくれた。ただ、ドイツ語もろくに話せない自分が到底ドイツ社会に馴染めるとは思わなかった。
だから留土羅は親父の誘いを断った。日本とドイツを比較した訳では無いが、彼にとって難しい道を自分の努力と力によって、開拓する事の方が人生を俯瞰して見た場合に魅力的であった。出版業界にした理由も本当にシンプルなものであった。ドイツにいた頃から雑誌が好きだったからである。ジャンルを問わず。大手の出版社もいくつかエントリーしたが、門前払いに等しい書類選考落ちだった。
藁にもすがる思いで中小の出版社を選択したのが正解であった。亜細亜出版もその内の一つである。留土羅はこの業界に来て正解であったと感じていた。仕事は毎日てんてこまいであるが、その分毎日が刺激的である。どんな仕事でも、苦労のない楽な仕事は無い。
出版社も入社3年~5年が勝負だと上司に言われている。それだけ新人が定着しにくい業界なのだろう。ただ、裏を返せばその下積み時代を乗りきれば、編集者として大輪の花を咲かす事が出来る可能性が高いとも言える。それだけでなく、この職場が留土羅にとって魅力的な理由として、自分を対等に扱ってくれると言う事である。




