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佐久間五十六厳選ヒューマンストーリー集  作者: 佐久間五十六


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"Why?"の精神

 いつか卒業の日を懐かしく思う日は来る。しかしながら、ここが終わりではない。これからも人生は続いて行くのであるし、何より未来は死ぬまで続く。そう、卒業など通過点に過ぎないのである。ここで終わるものがあるとすれば、それはきっとここで終わる宿命なのである。

 終わり行くものがあるなら、始まるものもある。卒業証書を受け取るだけが卒業ではない。きちんと人生の節目として、必要だから卒業式を行うのである。我々は知らず知らずのうちに先人のやる事を踏襲して来ているが、それを深く考えたりはしていない。

 無論、それは悪い事ではない。当たり前に疑問を持つ方が変わり者であり、食事の際に何故手を合わせるのか?サッカーでは何故手を使わないのか?何故お墓の前では手を合わせるのか?等、誰もが疑問を持たずにやっている当たり前の事に対して、疑問を持つ事は日本人感覚的には、野暮な事なのである。

 同じ様に卒業式をやる事に対して疑問を持たない。それこそが正に日本人的限界を作る元凶なのだが、当の日本人は気付いていない。米国人や欧州人やアフリカ人がならば、"why?"と疑問を持てる。民族性の違いなのかは分からないが、日本人に足りないのはこの"why?"の精神である。

 話がそれてしまったが、卒業を期に己の生き方を変える為には、まず身近な所に疑問を持つ事が大切である。人間と言うのは節目を迎えると、何かこれまでとは違った方向と方法で、物事に取り組みたい生き物なのである。変わらない美学もあるかも知れないが、常に変化を求める事も立派な美学である。

 卒業などあっという間に過ぎ去る。まるで昨日まで雨ばかり降っていたのに、突然晴天になる様に。過ぎ行く日々の中のワンシーンに過ぎないが、高校生の卒業式は後にも先にも人生一度きりである。心持ち次第で卒業と言う節目を晴れの日にする事は可能だろう。

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