個人技
セントキッツネービス人にはセントキッツネービス人らしさが、シリア人にはシリア人らしさが、シンガポール人にはシンガポール人らしさが、ジンバブエ人にはジンバブエ人らしさが、スリナム人にはスリナム人らしさが、スリランカ人にはスリランカ人らしさが、スワジランド人にはスワジランド人らしさが、セーシェル人にはセーシェル人らしさが、赤道ギニア人には赤道ギニア人らしさが、セルビア人にはセルビア人らしさが、セントビンセント・グレナディーン人にはセントビンセント・グレナディーン人らしさが、サントプリンシペ人にはサントプリンシペ人らしさが、ザンビア人にはザンビア人らしさが、サンマリノ人にはサンマリノ人らしさが、シエラレオネ人にはシエラレオネ人らしさが、ジブチ人にはジブチ人らしさが、ジャマイカ人にはジャマイカ人らしさが、それぞれにある。
国の名前に"人"を付けただけであるから、正式な国の名称ではないし、他にも国はあるだろう。パッと紹介しただけで、これだけの国があり男女がいて、その数は2023年現在で80億人を越えている。何が言いたかったかと言うと、恋愛の形もそれだけあると言う事を知って欲しかったのである。
同じ様に日本人にも日本人らしい恋の形があるはずなのである。個人差は勿論ある。だが、それを知っておくだけで、有利有益に恋愛を進められるだろう。そもそも、人と比べる事が無意味なのである。恋の形は世界にたったひとつオンリーワンなものである。これだけの頁数をさいて国の名前を上げたのは、比較する事がどれだけ無意味なのか事であるかを知って貰う為である。
個の確立が出来れば、腰を据えた恋愛が出来るはずなのである。グローバル時代が叫ばれて久しいが、何も恋をする相手が同じ民族でなければいけないと言う訳ではないし、現代はインターナショナルラブが容易な時代ではある。
何が言いたいのかと言うと、結局恋愛はどんな綺麗事を言っても、チームプレーではなく個人プレーの産物でしかない。対象に対して個人の恋愛力でドンドン突破して行くもので、それはスポーツで言う所の個人技に他ならないのである。どこまで言っても恋愛には個人差が出る。それは仕方のない事なのである。




