愛の形
久五郎と雅代の左手薬指にはきちんとエンゲージリングがついていた。これが夫婦として目に見える形のしるしとなった訳である。が、勿論エンゲージリングがなくても夫婦生活はスタート出来る。久五郎は結婚の記念にせめて雅代に安いかも知れないがエンゲージリング位は買ってやりたかった。
何故ならば婚約指輪もウェディングドレスも予算に入らなかった為、雅代の許可を得て省略したからだ。雅代はなくても構わないと言ったが、久五郎のプライドがエンゲージリングを買う事に向かわせた。
物質的な豊かさは、収入が増えれば自然と満たせるので問題ないかもしれないが、精神的な豊かさを満たすのは遥かに難しい。お金では買えない代物だからだ。結婚の記念にせめて雅代にエンゲージリングを目に見える形で愛の証を残したかった。新婦である雅代にも理想の結婚生活はあったはずで、その通りにならなかった事が分かっているからこそ、何らかの形を残したかったのである。久五郎や雅代でも手に届く結婚の記念になる物。それがエンゲージリングであったと言うだけの事である。
別にそれは何でも良かった。少し奮発してプラチナの光輝くエンゲージリングならば、きっと長い間残るものであろうし、肌身離さず持っていられる。気持ちを形にする事は一見簡単に見えて実はそうではないのである。
お金をかければ良い訳ではないし、何よりもそれを選ぶ側の気持ちが大事なのである。何でも良い訳ではないし、全ての要件を満たした選び抜かれた精鋭でなくてはならないのである。値段の高低は問題ではない。丈夫で長持ちするものとなるとそれなりに値は張る事になる。夫婦の愛の形は夫婦毎に異なるから、一様にこれが良いと言う事は断言出来ないのだが、夫婦の愛の形を表現して二人でそれを共有する事は、二人の人生にとって大きなプラスになることだろう。




