結果が全て
まだ成熟した関係にはなれていない。しかし、高校生の若いうちから完全無欠の成熟した関係に成る事は、生物学的に見ても土台無理なのである。人間的に成長しきっていないと言う事は、その分だけ伸びしろがあると言う事でもある。
青春期の恋が長続きしない理由は、そこにある。二人で切磋琢磨して高めあえば良いと言うかもしれないが、そんなに単純で生易しいものではないのである。青春期で恋愛を上手くやってやるとは、考えない方が良いのかも分からない。それでも、その不安定な青春期の時期を乗り越えているカップルがいる事も事実である。
では一体それらのカップルがどうやってこの時期を乗り越えているのか、知りたくなるのが人間と言う生き物であろう。しかし残念ながら、これと言う共通点がある訳ではない。ただ、乗り越えたと言うよりは、人間的に成長するまでは恋愛を焦らないと言う傾向は見られる。つまり、恋愛の成り行きに任せていないと言う点は指摘出来る。
どんなに二人が想い合っていたとしても、必ずしも、幸せな終着点に辿り着く事は出来ない事もある。逆にあまり好き合っていなかったはずの二人が、思わぬ高みに行ける事もあるのである。人間と言う生き物の妙はそこにあるのだが、とにかく無理をし過ぎない、がっつき過ぎないと言うのはポイントだ。幸いにして恋愛に関して人間はやり直しの効く生物である。どんなに失敗しても、並の生物ならば再挑戦出来ない事も人間ならば、リトライ出来る。
青春期に恋とは無縁だった人間でも、大人になってからはいくらでもチャンスは巡ってくる。人が人を愛する事に理由はいらない。何歳でも恋は出来る。それが人間だ。
結婚適齢期と生殖可能年齢と言う二点が結婚の目安とされているが、それはあくまでも、種の保存的な見方ををした場合の目安に過ぎない。恋愛と結婚はイコールではない。つまり、恋愛は何歳になっても可能であると言う事である。
とは言え、青春期の恋愛経験がある人間は、より良い幸せを掴むチャンスがある。恋愛をする権利は何人にも平等に与えられているが、その経験の有り無しでは結果は異なる。恋愛経験の多さは武器に成り得る。恋愛とは一種の戦いだ。選択肢の多さは勝利に近付く為には必要である。
恋愛とは戦いだと言ったが、一人の愛する人間を徹底的に攻略しようとする、その姿は戦いそのものである。問題はどんなプロセスを経たかと言う事よりは、結果がどうであったかと言う事である。恋愛も結果が全てなのだ。




