周囲の目
高校生のくせに。生意気にも。そう言われるのは青龍にとっては苦痛であった。別に自分のする事なす事が世間に影響を及ぼす訳ではないにも関わらず、僻み根性でそう言われるのは我慢がならなかった。あと半年経たずして、社会人に成ると言うのに。一番遊び盛りの時期を邪魔されているようで、不快であった。
それが直接的に言ってくれれば良いものを、間接的に言われるのだから、尚更たちが悪い。気にしないと言うのが、一番の特効薬なのだが、そうした雑音も少なからず二人の関係に影響を及ぼすものである。
野球部時代にもそうした外野のノイズ的な事象の経験はあった。フィールドに対する野次がそれにあたるが、それを無視すると言うのと感覚的には似ている。社会人であろうが高校生であろうが、他人の目から逃れる事などそもそも無理である事は無理なのである。
無人島で生活している訳ではないので、どうしても周囲の目と言うものは存在する。当事者からしてみれば、放っておいてくれ、そっとしておいてくれ、と言う様な気持ちになる。まぁ、そんなノイズを気にしている様では、まだまだ青いのかも知れないが、とにかく周囲の目は最も注意しなければならない環境要因である。
逆を返せば、そう言う事を言われると言う事は、羨望の眼差しを向けられる存在と言う事でもある。他人と比較する事でしか自分の存在価値を見出だす事が出来ない人間がそう言う事をする。
ただ、それが快、不快の2択になった時には不快であると言うだけの事である。青龍も水菜美も人からどう見られるか、と言う事に対する免疫力の様なものは確実についていて、そう言うスキルを身に付ける事で、大人になって行くものであると感じていた。要するに、二人の関係は1段階上へと進化したと言う事であった。
目には見えないながらも大人の階段を登っていたのだろう。無論、そう言う進化の課程で、矛盾が生じる事もある。その矛盾を一つ一つ解決して行く事も大人には求められる能力ではある。
青春時代の恋愛と言うものは、ものすごく流動的で不安定なものである。仮にその時期に付き合っている人がいても、1ヶ月したら別の相手に変わると言った事はよくあり、1年、2年長続きするようなカップルの方が稀である。稀だからこそ、長期間付き合えたカップルは、社会人になった時にゴールインする確率がものすごく高いものとなる。どぐされ恋愛論的に言えばそう言う事になる。




