第4部・第6章南下
正確に言えば南下ではなく西進なのであるが、日本列島の形状からすると、南下と言う呼び名が完全に間違っているとは言えなかった。
江戸で体勢を整えたムシャカマルと土方・榎本・勝率いる旧幕府軍勢力は、遂に新政府軍のお膝元である薩摩・長州に向けて進軍し始めた。京都までを第一ステージ、京都から長州までを第二ステージ、長州から薩摩までを第三ステージと位置付けていた。ムシャカマルの読みでは第一~第三ステージのいずれかで山が来ると見ており、ここまでの戦い方をムシャカマルは、変えるつもりはなかった。
対する新政府軍は維新志士を投入する事を明言。新政府軍も京都から西へは全力で行かせないと言う方針を明確にしていた。この様子ではどうやら京都周辺で一つ大きな戦いがある事が予測される。
旧幕府軍勢力としては、長州近海で米国東インド艦隊所属の軍艦4隻と合流する手はずとなっており、第二ステージまではスピード感を持って作戦を行いたいであろう。勝が無理を言ってお願いしたと言う経緯もあったが、米国海軍の内政干渉を依頼するからには、敗れる事は絶対に許されなかった。西欧列強による世界分割が激しさを増していたこの時代、旧幕府軍勢力は、もたもたしている訳にはいかなかった。早く国内を安定させ、一刻も早く天下を統一して基盤を作らなければ、西欧列強の餌食になるだけだ。ムシャカマルはまず、京都をランデブーポイント(合流地点)とし、2万人規模の先見隊として大阪まで一気に進軍。そこで待機させ、本隊20万人の大軍勢の準備を整えると言う二段構えの作戦を立てた。
策士策に溺れると言うが、ムシャカマルの策はそんな憂いを一蹴する完璧な精度を誇っていた。土方・榎本両部隊の二部隊に大きく分割して、指揮命令系統を明確にした事も、今後の戦いで活きてくるだろう。緻密な戦略の裏には、こうした確実な計算の元に練り上げられた作戦があって、満足する事なく、あくなき向上心を持って最良の策がどこにあるのかを見極める力に優れている名参謀・名剣士のムシャカマルが控えていたのは、旧幕府軍勢力にとって大きな存在である事に間違いはなかった。恐らく土方や榎本も勝もムシャカマルの頭脳と腕にがなければここまで旧幕府軍勢力を盛り返す事は出来なかったと、確実に思っていた。




