潤沢な資金力
さて旧幕府軍勢力が西進に向けて策を練っていた頃、新政府軍はと言うと?
まず状況把握入っていき、それからもう一度心を入れ換え江戸を取り戻す。そう言う方向で話が進んでいた。しかし、新政府軍には解せぬ事があった。北端の蝦夷地まで追い詰められていた旧幕府軍勢力が、何故江戸まで勢力を取り戻すに至ったのか?と言う事を新政府軍幹部が詳しくは理解していない。いや、信じたく無かったのである。呑気でいられる様な状況では決して無かった。
日本最強の軍隊である新政府陸軍の精鋭(徴新兵)も投入せざるを得ない情勢ではあった。ただそれは詰めの一手であり出来ればギリギリまで、持ち駒として持っておきたい事は言うまでもない。今後旧幕府軍勢力が新政府軍と直線距離でガチンコでぶつかるのは、恐らく大阪、京都の辺りが有力視されていた。そこで、わざと西へ旧幕府軍を西へ引っ張らせ九州地方と言うホームスタジアムで旧幕府軍勢力を討ち取る。と言う案もあった。
確かにそれなら勝ちを呼び込めるかもしれない。もしそこで、打ち損じたならそれこそ、維新は完遂出来なくなる。未だ、日本人の間では新政府軍の評判は高くない。徳川250年の歴史が色濃く残っているのである。だからこそ、旧幕府軍にやられる事は、新政府軍の敗北を意味する。新政府軍は官軍と大嘘をついて成し遂げた天下を短期間で終わらせる訳にはいかない。その為にはどんな手も使う。良好だった海外とのコネクションを使って、旧幕府軍勢力がしたような新兵器の大量導入に踏みきった。これで実質兵力は旧幕府軍勢力と
同じ位になった。いや、やや優勢とも言える。ムシャカマルはその兵力の差についてこう語っている。
「確かに我々旧幕府軍勢力は、敵の武器を奪い取りながら劣勢を跳ね返して来た。しかしながら、本来敵の武器を奪って使う等と言う事は、その時点で装備が劣っている証である。だから我々旧幕府軍勢力の本当の敵は、新政府軍ではなく海外からもたらされる莫大な最新鋭の兵器なのである。」
と、述べている。旧幕府軍勢力の装備がまだ貧弱な事をムシャカマルは認めていたのだ。その中で作戦を行うには、頭を使うしか無かったのである。新政府軍の潤沢な資金力には旧幕府軍勢力は対抗出来なかった。




