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佐久間五十六厳選ヒューマンストーリー集  作者: 佐久間五十六


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長崎海軍伝習所

 ムシャカマルだけではなく、旧幕府軍勢力にとって勝海舟の存在は大きな追い風となった。流石のムシャカマルでも海外へのパイプは無いからだ。やはり幕臣の中でも稀有な存在感を示していた勝海舟をあらためて、旧幕府軍の外務大臣的ポストに置いた榎本武揚は流石である。

 元々榎本は、勝海舟と親交があり長崎海軍伝習所で学んだ同士と言う事でもあり、勝海舟と言う男を知り抜いていた。長崎海軍伝習所の開設はオランダからの勧めによるものであり、オランダはズンビン号(後の観光丸)と言う外輪船を幕府に譲り、旧幕府はオランダの海軍士官及び水兵等22名を教官として雇った。伝習生は幕臣や緒藩藩主から選抜されその中でも勝と榎本は有名であった。

 安政6年(1859年)初め突如廃止されるが、その背景には伝習所が井伊直弼等旧幕府要人と対立する薩摩藩等一橋慶喜(後の徳川慶喜)擁立派の拠点となる事への危惧があったとも言われている。そんな旧幕府軍の作った海軍志士とも呼べる海軍伝習所で、学んだ二人が国の天下を取る為に手を取り合う事になったのは、歴史の皮肉なのか運命なのか分からなかった。榎本はムシャカマルにこう告げる。

 「ムシャカマルよ。外回りは勝さんの最も得意とする所。貴殿は安心して戦の事だけ考えてくれ。」と。

 オランダから援助を貰えそうな気もしたが、海軍伝習所でオランダ兵士の酸いも甘いも見ていた榎本や勝にとっては、黒船来航のペリー提督には(米国には)到底及ばない事を感じ取っていた。そもそも蒸気船、石炭船が主流であった当時の艦船で荒れる太平洋を航海して来るのは、それなりの操船テクニックが必要である。その凄さを知っているのは、海軍伝習所で学んだ勝や榎本であった。ここで学んだ武士にとって黒船来航は世間一般の認識とは違った意味で衝撃的であったのである。勝が米国にパートナー(同盟)として依頼をするのは、長期的な視野を踏まえていた。

 それは仮にムシャカマル達旧幕府軍勢力が新政府軍を倒したとしても、その後の新たなる幕府体制となった時に諸外国に怯え続けるのではなく、開かれた幕府になる必要はある。少なくとも勝はそう考えていた。米国とのコネクション作りはその為の布石である、と。やはり勝海舟はこれからムシャカマル達が勝利を収めた後にも必要な最重要人物なのである。その認識は旧幕府軍最高司令官の榎本や副官の土方も、持っていて、勝海舟には護衛の兵士を10人もつけた所からも伺えるだろう。

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