江戸奪還完了
二段構えは最早旧幕府軍勢力に浸透したスタイルであったが、この江戸での新政府軍との戦いほどこの作戦が上手くフィットしたと言う戦いはなかった。ムシャカマル率いる200人の遊撃隊(先遣隊)が50小隊となり、待ち構えている新政府軍銃撃部隊を掻き乱す。それを確認した土方隊が周辺にいる新政府軍残党を蹴散らす。敵主力勢力が出て来た所で、榎本隊が合流。それからは削り合い、殴り合い、斬り合いである。
装備で劣勢になる事の多かった旧幕府軍勢力ではあるが、緒戦で奪って溜め込んで来た新政府軍の装備を江戸での戦いから導入し、装備の面でも新政府軍の優位性を無くして戦う事が出来たのも、旧幕府勢力の勝因であったかも知れない。
江戸での戦いも後半になって来ると新政府軍は遂に撤退戦を展開する事を決め実行して行く。勿論、旧幕府軍勢力が簡単にそれを許すはずもなく、確実に討ち取って行く。
ムシャカマルや土方は、新政府軍に援軍が来ると想定していたが、どうやらそれはなく西日本で体制を整える事を決めた様で江戸はあっさりと旧幕府軍勢力のものとなった。旧幕府軍勢力にとっては、江戸と言う拠点を取り返した事によって、随分と戦い易くなった事は言うまでもない。
1869年3月24日には江戸での戦いが全て終わり、新政府軍の敗走完全撤退が決まった。これにより日本は一時無政府状態になったが、内乱状態にあった為、旧幕府軍勢力が政権奪還までの間その辺りの政府機関は全て開店休業状態になった。ムシャカマルらは、江戸での戦いを総括し、武器・弾薬の補給と兵力の調整を行った。
そして、江戸には重要な人物が沢山居た為に、それらの重要な人物の意見も参考にして、西日本攻略の戦略を練っていた。一方、江戸を旧幕府軍勢力に奪われた新政府軍は、大阪まで戦線を縮小して再起を図ろうとしていた。少し相手をなめていたとは言え、江戸防衛が出来なかったのは予想外であった。その為、今一度旧幕府軍勢力の完全排除を目算していた。江戸の桜が咲き始めて美しさを見せていた温かい春の日差しが気持ち良かった。何はともあれ、ムシャカマル率いる旧幕府軍勢力は遂に江戸を新政府軍から奪還したのであった。




